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蕎麦湯が来ないと思ったことはないけれど

現実逃避中。インスタもツイッターも見ず、週末をひとりで過ごしてる。子供を産んで約10年で、初めてだと思う。

土曜、いろいろなことに限界を感じた。土曜の夜仕事から帰ってきた夫に、明日、予定ある?と聞くと、ないという。じゃあさ、わたし、ひとりで他のところに泊まって、月曜日の朝に帰ってきてもいい?と夫に聞くと、「いいよ」と。深く聞かないところが私と随分違う。わたしなら「は?え?なんで?どこいくの?」って聞く。間違いなく、聞く。なんならたぶんちょっと怒る。でも夫は全く聞かない。聞かれないことがありがたい。こういうところ本当に似てない。だから結婚生活が続いているのかもしれないな。奴はわたしのことを100%理解するつもりもないし、たぶん、できるとも思ってない。それが、ありがたい。私は私だし、奴はやつだ。先月、ある日突然髪を青くした私に、彼は「おお、青いね」って一言言った。それだけ。たぶん、わたしがある日突然坊主にしてもたぶん驚かないと思ったから、わたしがいきなり坊主にしてもびっくりしないでしょ、っていったら「それはさすがに。なんで?っていう」って言われた。そりゃそうか。

土曜の夜、リュックサック(バックパックという言い方が今どきなのかもしれないけど私の中ではリュックからアップデートされていないし、たぶん一生されないと思う。ズボンをパンツということに違和感を感じつづけていることみたいに)に、下着一式、靴下一組、洗顔料、そしてスキンケア一式を突っ込んだ。ああ、あとはTシャツだけあればいいか。そして、パソコンと、財布と、スマホ。充電器。メイク道具はいらない。しないし。

ほんとにそれだけで、家を出た。

家から10分くらいしか離れてない、いつもならここに泊まることは一生絶対ないな、って思うような立地の激安ビジネスホテルにチェックインして、ひとりきりの土曜の夜が約10年ぶりに訪れた。「絶対」は絶対ないってのは本当だな。

けれど、そんな夜はYouTube観て終わった。

映画みて有意義な時間を!なんて思ってたけど、ただひたすらYouTube観てた。お笑いのYouTubeばっかり。つけっぱなしで寝ちゃったから夢の中にいろんな芸人さんが出てきた。それはそれで楽しかった。私の夢はいつもとてもリアルで、色やたまに味まであって、夢の中で「目覚めなきゃいいのに」って思うくらいに、楽しい。

日曜の朝。そんな夢を見てても、いつもの癖で6時に目が覚めた。娘に会いたいって思った。でも、また寝た。

2度目に起きたら昼だった。とりあえず服を着て、外に出た。今、私は、自由だ。娘の朝ごはんも昼ごはんも考えなくていい。でも、自分が何をしたいのかもわからない。自分がしたいことをできる1日を10年間過ごしたことがないから、本当に、見当がつかない。数時間おひとりさま、はあっても、24時間おひとりさま、は、前例がない。

家にかえろかなっておもった。娘に会いたかった。でも、とりあえず、ぷらぷら歩いた。

そのうちにだんだん心躍ることが見えてきた。ひとりで食べたいものや飲みたいものを買おう。しばらく出歩かないうちに、知らないお店がたくさんできていた。ペットボトルに自分で注いだスパークリングワインを買える店があった。迷わず空のペットボトルを手にとって、少しずつ注いだ。昔ビアガーデンでバイトしてた時を思い出した。泡が立たないように、少しずつ。しかしペットボトルに炭酸を注いだ経験はない。どのあたりで止めるべきか、わからない。もっといけたかも、って思うラインで手を止めて、お会計をした。わたしの後ろにいた人は、わたしより随分多く注げてた。バイトの経験の意味とは、って思った。

テイクアウトの寿司屋であん肝、カニ味噌、トロたくを買った。コンビニでビールも買い込んだ。もう、これで、充分だ。ひとりになっておもった、やっぱり私は飲兵衛だ。

そして本屋に2件寄った。ブックオフと、普通の本屋。ぷらぷらしているうちに、本を読みたい、って気づいた。誰にも邪魔されず、文字に没頭したり、ちょっと疲れたらTVつけたり、ビール飲んだり、そしてまた本に戻りたい。そうしよう。本を買おう。


そこでわたしの理性はふっとんだ。7冊も買ってた。そんなに読めるわけない。けどいいや。


部屋に戻って、買ってきたつまみと酒を口に運びつつ、サクサク読むつもりが、現在夜の10時の時点でまだ1冊しか読めてない。でも、お腹も脳も満たされてる。


なぜかというとその1冊が、とてもおもしろかったから。


読んだのは、せきしろ×又吉直樹の、「蕎麦湯が来ない」。


二人の自由律俳句とエッセイをまとめた本。自由律俳句というものを初めて知った。1文読むたびに妄想と空想の世界が広がったり、自分と重なったりして、考え込んだり、吹いたりした。


1ページに1文しか書いてないところもあるくらいだから、すぐ読み終わると思ったのだけど、いろいろ空想が広がって、次のページへ進めない。そうこうしてたら、午後10時。


せきしろさんの思考回路は私のものにとっても似ている。それ誰にも言ったことないのに!っていうわたしの行動や思考パターンが活字で書かれていて驚いた。


この本、活字にすべての説明を求める人には面白くないかもしれないけど、文を読んで想像を広げたい人には1冊の本以上の楽しさがあるって思った。自分を重ねるもよし、全く自分ではない、架空のキャラクターを脳内で作り出すもよし。いろんな場面に飛べる。タイトルの「蕎麦湯が来ない」っていうのは、まったく自分に重ねることも、想像もつかなかったけど。蕎麦湯を待ち望んだこと、ないな。

ってこういうこと考えてるのもたのしい。てかこういうことをぼーーーーーーーーーーっと考えられる時間が、楽しい。


母親業ってしんどい。しんどいしんどい思いつつも、なんとかやってきたけど、過去10年で多分初めて、昨晩は完全に、逃げた。産んで初めて、24時間以上、仕事でもなく、子供から離れた。

わたしが週末いなかったことで、たぶん娘は傷ついたと思う。自分を取り戻したくてやったこととはいえ、この行動が正しいかと言われると、そうは思えない。愛情を1与えられて充分だと思う子供もいれば、100与えられても足りないと思う子供がいるという。うちの子は、後者だ。なんなら1000000000与えても足りないと思う。実際に言われる。「ママはわたしのこと、すき?」一日に何度も好きだ愛してる、と伝えても、態度に表しても、時間を割いても、何しても、聞かれる。それがうちの娘。


底のないコップにずっと愛情を注ぎ続けているような状態は、それだけ愛されている、求められていると感じるとはいえ、それはそれでなかなかに体力が必要で。それを10年続けてきて、疲れてきてた。

でも今回逃げて、ずっとほぼホテルの部屋にいただけだったけど、1冊の本をここまで味わって読めただけでも、この逃避行は意味があったような気がしてる。

明日戻っても娘は変わらないし、底のないコップの日々がまた始まる。でも、たまにこうやって自分の思考回路を整理して、またそういう日々に挑めるってわかっただけでも大きな収穫だった。


そんな週末。







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