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テーマ:ボランティアについて

みなさん、こんにちは。クジラ8です。

いつも、好きなことだけ書いていて、しょうが無いやつです。今日も、好きなことだけ書いていきます。

最近、共助の概念が取り沙汰されています

要は、「社会のためにがんばろ~」ってやつです。でも、僕としては疑問なんですよね。

社会のために働いているのに、休みの日まで、社会のために過ごすの? って。

すごく嫌な言い方ですが、僕にとってはかなり疑問なんですよ。ボランティアする人のことを。

こんなことを、昔、友達にいったら、「お前は本当に嫌な奴だな」と、言われました。

けれども、社会のことは、基本的に「国」がすべきことですよね? みんながみんなのために働いているのに、「国」は何をしてるの?

国会でよく分からないパネルを出して、「総理、クイズです」ってなことを、野党も与党もやっている。政治家は楽だな~って、思いませんか?

僕は、余暇について研究していました。その中で、1990年代後期に、「社会性余暇」という余暇が一部では流行りました。端的にいえば、ボランティアのことです。

でも待ってください。余暇というのは、本来は極めて「私的な活動」のことです。しかし、余暇を「社会的」に使うなんて……。これはおかしいぞ、ということで調べてみると、これを発案したのは、「経済企画庁」つまり、「国」でした。

労働の後の骨休めを、ボランティアに向かわせることで、僕たちは「余暇を悪いこと」には使わないように仕向けた。これが広がると、学生や老人にまで、「余暇」は「ボランティア」をする時間だ。という、意識が広がっていきます。

大震災が起きたとき、人々がボランティアをすることは、紛れもなく美徳です。けれども、「国」が何もしないというのはおかしいぞ。

ボランティアなんだから、無償で行うべきだ。今回のコロナでも、政府はそういうことを言いそうになりました。

ボランティアって、本当は、国から仕事を押しつけられている面も多分にあるんだよ。

だから、ボランティアをするときは、単なる良いことってだけじゃない。これは、国からの共助の押しつけかもしれないぞ!

そういう思考を張り巡らせてほしい。

僕は、本当にそう思います。

ではでは、また。

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