行倒れと医者、助けた人は
オリジナルの書き出しです。
運が良かったと言われて男は、そうなのかと頷くことしかできなかった。
目の前の医者とは決して長い付き合いという訳ではない、だが、相手の表情から自分の事を心配しているというのがわかる。
患者と医者の立場で出会ってから、まさか、こんなに親しくなるとは思ってもみなかった。
学生のとき同じクラスだったが、殆ど話したこともなかった。
それが、人生とは不思議だと男は今更のように思ってしまった。
「ところで、君、お礼は言ったのかい」
「誰にだ」
男の言葉に医者は君を病院まで運んでくれた人にだよと言葉を続けた。
「炎天下の中、君を運んでくれたんだよ」
「いや、連絡しようにも名前も知らんから」
医者は受付に聞いてみるとデスクの上の電話に手を伸ばした。
「悪いが、確認したいことがあってね」
「わかったところで迷惑じゃないか」
「何を言ってんだ」
医者は肩を竦めた、患者だった男はスーツを着た、一見、どこにいるようなサラリーマン風の男だ。
「今はちゃんとした会社の経営者だろう」
「いや、そうはいってもだな、俺は世間というものを改めて知ったんだ」
半年ほど前、男は病院に運ばれた、梅雨の最中だというのに雨は殆ど降らないときだ、猛暑で大勢の人間が熱中症で病院に運ばれるのは珍しくないし、ネットやニュースでも注意喚起で珍しくなかった。
そんなときだ、男が運ばれてきた、最初は熱中症だと思われていた。 だが、そうではなかった。
「体調管理には気をつけてくれ、四十にもなれば」
「わかってる、だが」
男は診察室を出ようとして足を止めた。
「今度、飲みに行かないか」
「嬉しいが、今」
「忙しいか、病院勤めは」
そうじゃないと医者は首を振った。
「実はやめるかもしれない」
男は驚いた、入院している間、他の患者と話すこともあり、目の前の医者の話を聞いていた。
とても良い先生だ、病気のこと、治療に対しても親身になってくれると言っていた。
男は考え込むような表情で、もしかしてと呟いた。
「俺の、せいか」
医者は首を振った。
「診察は無事にすみましたか」
病院を出て道路を歩き出そうとすると男が近寄ってきた。
「近くのパーキングに停めてあります、すぐに車わ」
胸ポケットから携帯を取り出そうとするのを男は止めた。
「調べてほしいことがある、この病院、医者の」
言いかけて言葉が途切れた。
「もしかして、丸川先生ですか」
その言葉に男はすぐには返事ができなかった。
「まあ、仕方ないか」
「何、言ってるんですか、ボス」
男は苦笑した、こういうのはすぐには直らないんだろうなと思いながら、そういえばと言葉を続けた。
数ヶ月、半年近くも前のことだ、倒れた自分を病院まで運んでくれた人がいた、成人男性をだ。
そのときのことを男は覚えていない。
入院して意識を取り戻した後、手術をしましょうと言われたときは驚いた
何か悪い、命に関わるような病気なのかと思った。
そういえば祖父はベッドの中で思い出しながら手術を受けた。
遺伝性の病気だと知ったのは手術が終わり回復に向かっていた頃だ、そのときに自分の担当医が学生時代の同級生だと知って驚いたのだ。
退院してからも何かあればすぐに診察を受けるようにと言われていた、だが、自分の担当、同級生が病院をやめるかもしれないと聞いて男は考えた。
「ここに住んでいるのか、本当に間違いないのか」
「そうです」
車の窓から見たアパートはかなり古い、レトロといえば聞こえはいいが、今時、木造のアパートなんてあるのかと呟くと今、流行っているんですよと部下に言われて男は驚いた。
「ただ、このアパートは、少し違うみたいですね、管理人が亡くなって新しく引き継いだのは娘らしいですが」
「その娘、いや女性が助けてくれたのか」
「聞き込みをしました、間違いないと思います、それというのも」
話を聞きながら男は返事をすることもできなかった。
三十の半ばすぎ、結婚はしていない、弟と暮らしていると聞いたが、珍しくないかと思ってしまった。
「実は、よくわからないんです、今は個人情報も厳しいですから近所の人間も言葉を濁すんです」
「まあ、言いたくないこともあるだろな」
自分の前職を考え、男は外を見た。
「このアパート、空き部屋はあるのか」
男の言葉に運転席の男が振り返った。
「いや、話を聞くとっかかりになればと思ったんだ、とにかく車を出せ」
「は、はい、あっっ」
運転手の視線の先、空居たドアから出てくる人物を見て男は驚いた。
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