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時間をつくる《何か》に感謝を。

2019年の11月もあっという間に3週目に突入。

2015年の5月から約4年半にわたって続いている《ソーシャルな隠居》という生き方は相変わらずです。

最近では、妻の安産祈願のために開催したホームパーティーでもたくさんのひとがわが家「ギルドハウス十日町」に集まってくれました。


妻が妊娠したということもあって今年はわりと"控えめ"な場づくりをしてきたけれど、それでも冒険者たちはやってきます。


さて、そんな相変わらずの隠居生活をつづる、このnote。

たとえばこんなことを書いてきました。

どちらも共通するテーマは「時間」です。

ソーシャルな隠居という生き方において最も重要な要素のひとつが、この「時間」と言えます。

じぶんの時間が持てなければ、ソーシャルな隠居は成立しません。


わたしは自らの住まいに「ギルドハウス十日町」という名前を付け、そこに「住み開き」といったコンセプトをはじめとする100個以上の”仕掛け”を乗せて発信したことでこれまでに全国・海外から延べ8,100人の冒険者を迎えてきました。

その冒険者たちのなかからわが家を気に入ってくれた延べ67名が一緒に共同生活を営み、それぞれの無理のない範囲で生活費などを共有しあうことで、ここに住むみんなの日常や家計が成り立っています。


お店でも宿でもなく、あくまで個人宅としてこのように”デザイン”したことによって、じぶんの時間がたくさん持てるようになりました。それに、”わたしは隠居しています”と対外的に発信していることで、赤の他人のためにするような、わずらわしいあらゆる物事からも解放されています。


そうした暮らしを続けて4年半。

「時間」というものに対して、とても実感することがあります。

それは、この社会はあらゆる互助によって時間が作られている、ということです。


朝起きてごはんを食べて働いてお風呂に入って寝る。

たったこれだけのことにも、たくさんの互助が働いています。

ごはんのお米は誰が?

水道の管理は?

電気は?

移動手段の鉄道などは?


かくいうギルドハウス十日町では

キッチンやトイレやお風呂の掃除は誰が?

いつもゴミ捨てをしているのは?

トイレットペーパーやストーブの灯油を補充しているのは?

早朝の出勤前に雪かきをしているのは?

人間だから失敗も忘れてしまうこともあるだろうけど、その立て替えや後始末をしたり笑って許してくれているのは誰か?

コタツでぬくぬくこうしてnoteを書いているこの瞬間にも、最近やってきた冒険者が掃除していたり、妻と住人がお昼ごはんを用意してくれています。しかも誰かに言われたわけでもなく、みんな自発的に。


ギルドハウス十日町では、こうしたことを挙げればまったくもってキリがありません。ここに集うみんなの互助で日常が成り立っていることに感謝を。


そのつど直接的に恩返しをする必要もないとは思います。

以前のこのnoteで書いたように...。

ただ、まずはごく身近な互助に感謝を。

そうして作られている、じぶんの時間に感謝を。

そして、ほんのちょっと意識して行動してみよう。

ソーシャルな隠居という生き方では、そうした連鎖によって、あらゆる豊かな互助が流れ込んできている気がします。


ごく身近なところに、そういう互助の関係性を感じますか?

それに対して何か行動していますか?

互助の関係性が薄すぎると、おそらくは孤立してしまったり、じぶんがやりたいことに対して協力や支援を得にくい状況になるし、時間もお金もないなどと悲観することになるのではないでしょうか。


じぶんの時間を作っている互助に感謝しながら、自らも誰かの価値になるような連鎖を、これからも日常的につなげていきたいものです。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。