いまの自分が思う、新しい働き方とは。

かな入力のリハビリついでに、もう一本、記事を書いてみようと思いまして。

ちょうどこの記事を書いた前日、「自由大学」という、いわゆるソーシャル系大学の授業にお呼ばれされて、しゃべってきました。

そして、この記事を書きながらも、あさってはこんなイベントに登壇して話してくる予定です。

いずれも内容は少し違えど、みなそれぞれの「新しい働き方」を考える場だと思います。そんなところに呼ばれて、どんなことを自分に話してほしいのかというと、もちろん「ギルドハウス十日町」のことなどを期待されるわけです。

でも実際は、ギルドハウス十日町の話はそこそこ簡単に済ませて、なぜそういう家を作るに至ったのかという理由や経緯、そしてどのようにして生活しているのかといった流れに、いつもなります。

果ては、みんなげんきんなようで、山奥に住みながらも生活費をどうやって稼いでいるのかといったナリワイや小商いにもっとも関心が強くて、深くつっこまれることもしばしば。

そうなれば自分はいつも隠し立てなくしゃべっています。

ただ、たいてい時間切れになるので、毎回のように「もうちょっとあのことまで話したかったな」となるのが残念ですね。それでも、もっと聞きたいことがあれば後日、自分に会いに来てくれる人もいるのでありがたいです。


そんな自分が考える、「新しい働き方」とは。

ひとことで言えば、「自分らしくいられる日常が、誰かの価値になる働き方」でしょうか。

そういえば、以前こんな記事を書いたことがあります。

何かになろう(なりたい)、足りないものを得よう(欲しい!)と思って、いろいろしてきませんでしたか?

そして気づけば、手のひらには、いらないものであふれていませんか?

たまにはぜんぶ脱ぎ捨てて、裸になってみて。そこから、ほんとうに自分に必要と思われるものだけを身につけて、どこか興味の赴くままに飛び込んでみませんか?


すでにそのひとのなかには答えがあって、やりたいことがあって。ただ、それを思い出せないというか、日常の中で埋もれてしまって気づいていないだけなのかなって。

なんだかうまく書けないのですけど、上記のような場で会うひとたちと話していると、いつもそんなふうに感じます。


そんな気づきをくれるのはいつも他人で、そんな他人との出会いが得られる場が、いまいっぱいあって。だからとくにいまの学生さんとか、会社員として働きなからも休日に私的な活動をするひとたちが、とてもうらやましく思います。一歩踏み出せば、多様なひとたちと交流できるコワーキングスペースのような場所が各地にあるわけですから。

また、東京とかに行けば、もっといろんなイベントがあるので、インターネットで検索しながら、そういう機会っていくらでも持てそうです。

ただし、話しているだけではそのうち頭でっかちになってしまうので、つながりを作って興味のあることを見つけたら即行動。各地に目を向けて足を延ばせば、魅力的なひとたちがもっとたくさんいて、将来に向けた体験価値が得られるはずです。

そのようにして興味の赴くものだけでいろんな経験を積めば、ある日ぼんやりとする時間のなかで、脈絡のないものばかりに思えた多くの体験のなかに、自分が本当にやりたいのはこれかも!なんて具合に、共通する一本の軸があることに気づきます。

自分がそれに気づいたのは40歳を過ぎてからでした。


あ、そうやって動いてきて、想定外のことも生まれましたね。

でも、以上のようなことを言うと、

「それはハルさんだから出来たことですよ。世の中にはそうしたくても、そんなふうにできないひとがたくさんいるんですよ。」

とか言われたりすることもあるんだけど。


それでも!
いまの状況を変えようと新しい働き方をしたいと思うのなら、何かを犠牲にするか、乗り越えたり、捨てないと成し遂げられないと思います。

その先には、とても自然体で無理なく、楽しく出来る働き方が待っているでしょう。

だって、自分らしくいられる日常が、誰かの価値になるんですから。

働き方を変えれば、いまの生き方もおのずと変わっていくと思います。


というのが、いまの自分の、「新しい働き方」に対する考え方です。

わたしはこう思うな、とかあれば、よかったらいっしょに考えてみませんか?

上記のようなイベントでもいいし、ギルドハウス十日町でもいいし、いつでもお持ちしています。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。