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属性や役割ではなく人間同士で出会いたい。グランドレベル代表・田中元子さんが語る「まちづくり」への違和感【後編】

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人間同士の付き合いがあるから、矛盾を受け入れられる(続き)

24時間、自分として生き続ける

田中 人間がラクに生きられる状況ってなんだろうって考えたら、属性とか、「私こんなにできる人なんですよ」っていう自己演出から解き放たれた、リアルな姿で付き合えている時だと思っていて。

例えば、まちに何か問題があって開発が必要な時、賛成・反対って人々の意見が分かれるじゃないですか。それで、反対派を言いくるめたり、合意形成とったりしようとするわけですよね。

もし私が開発に反対だと思っているとして、開発側とのコミュニケーションがなかったら「開発反対!」って言い出しますよね。
でも、開発側の人と個人的に話す機会があって、よく話していたら、
「もうわかった。私は開発してほしくないと思うことに変わりはないけど、あなたのこと好きだから、あなたを応援したいと思ってるから開発に賛成するよ。自分の思い通りにはならないけど、これからも仲良くしようね。」って言えると思うの。

そういう、二項対立的な矛盾を飲み込むためには、その相手側の人と向き合うしかないんです。結局、人間同士で付き合わないと解決しないことがあるんじゃないかなと私は思ってます。

矢野 それこそが、地域の付き合いですよね。決してみんなが同じ意見ではなくても、人間同士で付き合えていれば、自分の中の矛盾も受け入れられるという。

田中 そうなの。むしろ、そういう付き合いがないと、お互いのことがわからないから怖くなってしまいますよね。
肌の色とか服装とか言動とか、目に見えている部分だけで判断すると、差別が生まれるかもしれない。だけど、それは意地悪してるのではなくて、根本的には、多分みんな警戒しているだけで。

もっと人間同士のコミュニケーションが取れるようになれば怖くない。こんな人もいるんだ、と思えるだけで、気が楽になると思いますね。

矢野 うわ、、今のすごくジーンときました。そういうことのために、やるんですよね。

田中 そうです。ずっと、属性を問わずに「人間同士で出会いたい」ということを願っていたし、公民館ってほんとはそういうものだと思うの。でも、どこにもない。だからこの喫茶ランドリーを作ったという感じなんです。

ご近所付き合いもまちづくりも全部同じで、属性とかじゃなくて、自分として生きるっていうことを24時間続ける、ということだと思いますよ。

自分以外の何者かになってる対価として、みんなお金もらってると思ってるじゃん。例えば、喫茶ランドリーのスタッフが、カウンターの内側でお店のスタッフとして働いているときでも、プライベートで過ごしている時でも、〇〇さんは24時間〇〇さんのままだよ。

本来、全地球の人間にその権利があるしさ、それを使ってないとさ、自分として生まれた意味ないじゃないですか。だから、本当に一瞬でもそんな時間作りたくないと私は思ってる。
だけど、 多くの大人はそういう時間を潰してあげるのでお金くださいっていう感じでさ。

自分らしく生きる、っていうのがこんなにも贅沢にみられるのは日本だけな気がしますね。

人々の幸福度を高める「1階づくり」

施設運営のメリットは、自分にしかわからない

田中 私は、2〜3年で結果を出すような仕事じゃなくて、気長に回収して、まちの人たちと一緒に在り続けるような仕事がしたいんです。

いつか咲くかもしれない種を植えておいて、ここに来たお客さんがちょっとでも、何にも縛られないで自分らしくいられる時間を過ごしてもらう。
「この時間が尊いな」って、この場所に来なくなった頃に思ったっていいですよね。そういう、めちゃくちゃ気の長いことを考えてます。
くつろぎに来てくれて、大したお金にはならないけど、お金以外の利益がたくさん得られますから。

矢野 わたしも施設を運営してるので、よくわかります。でもその運営って、なぜか誰もやりたがらないですよね。「あとは、ここに人を置いてくれたらいいので」みたいなこと言われて、いや人ってロボットじゃなくて生身の人間なんですけどって思うんです。

田中 そうそう。「ウチではやったことない事業だから」とか言われてね。私だってノウハウが無い状態から始めたんだから、「あなたにもできますよ!やってみてください!」って思いますよね。

こういう施設運営を自分でやってみて、直接人と会うことで、1番財産が得られるんだっていうことは伝えていきたいですよね。

矢野 本当にそうですよね。ローカルならではの大変なこともありますけど、売り上げや利益以上のよろこび、というか。

結局1番嬉しいのは、イベントとか大きな成果よりも、まちを歩いていて、誰かが自分に挨拶してくれたりとか、誰かが自分を認識してくれていることに気づいたり、そういう小さなことかもしれない。

田中 そうそう。その相手の名前を知らなくても、どこで働いてどれだけ稼いでるかを知らなくてもいい。気持ちのいい挨拶をしてくれる人がいる、それだけでいい。
自分で施設を運営して人と出会って、そこに価値があると理解できる人が世の中にもっと増えるといいですよね。

自分らしく生きられる、1階がもたらすまちの価値

矢野 次にやりたいことなど、何か決まっていますか?

田中 最近台湾に行くことがあって、これは確実なことじゃないかと思ってることがあるんです。
台湾ではまちの多くの1階が騎廊と呼ばれる半屋外になっていて、お店が連なっています。普段から、いろいろな暮らしが見えている風景がいかに人々の秩序に影響してるかっていうことを感じたんです。その相関関係みたいなものをこれから研究してみたいなと思っています。

まちを見た時に、自分の都合でガレージとかシャッターになってるけど、それがどれだけ人々のメンタルとかシビックプライドを下げているのか、資産価値にどんな影響を与えているかっていうことね。
この資本主義社会でも、1階とかグランドレベルの重要性を理解してもらえるように、経済的な予測だけでも出してみたいですね。

矢野 それはたしかに、関連性ありそう。面白そうですね。

田中 でしょう?台湾の騎廊はアーケードっぽくなっていて、1階の通路の柱には電気とか水道とかのインフラも仕込まれているから、まちの人がそれを使って、朝だけお粥屋さん出したりしてるんです。

日本だと、その通路はみんなが通るものだから、 テナント側の権利はないですよってなるけど、台湾は、そのテナントが道路のギリギリまで権利を持っていて。柱とか道路の際まで自分の場所だから、椅子とか出してきてるんです。

それを見て、人々がどう暮らしてるのか素直な状態がまちの風景に現れているって、すごいことだなと思ったんです。日本だと考えられないですよね。
そのお陰なのか、台湾の人のメンタリティーも、めちゃめちゃエネルギッシュでおおらか。

1番驚いたのは、何かやってる他人のことを馬鹿にしないんだよね。
ある時、路上にしゃがみこんで、砂糖と重曹を混ぜて焦がして、カルメ焼きを売ってる人がいたの。
台湾の人に「あの人、大丈夫ですか?」って、どういう回答が返ってくるか気になって質問してみたら、「彼は困ってないんじゃない?どっかの大家かもしれないし」とか「楽しくてやってるんだし良いんじゃない?」とか答えるの。

「あんなふうになるのは惨めなもんですね」みたいに、人を馬鹿にしたような反応が全く無かったんだよね。

矢野 みんな、自分らしく生きていて、お互いを認め合っているんですね。
それって、すごく生きやすいというか、みんなが自分の幸せを求めていいと感じられる社会になっている、というか。

田中 そうなの。それが、あたりまえで、普通の光景になっているんですよね。
南国特有の感覚もあると思うんですけど、そういうまちの風景を見てきた人たちだから、そういう人間性になるんだろうなって思います。

だから私は、建物を使ったり見たりすることで、その人たちの幸福度が高まるとか、そのきっかけを作れる可能性があるということを言いたくて、グランドレベルで1階づくりを続けているんです。


属性や役割ではなく、自分自身がひとりの人間として居られる場所。
そんな空間が、日本にどれだけあるのだろう。
そんな関係を、わたしたちはどれだけ築けているのだろう。

自分が自分らしく生きられる、ウェルビーイングなまちを求めて。
今日はゆっくり、まちを歩こう。

<取材協力>
株式会社グランドレベル
「1階づくりはまちづくり」という考えのもと、「まち」や「社会」、「組織」や「個人」の課題に一緒に取り組む、1階づくり専門コンサルタント。あらゆる施設や建物の1階から公園や広場、軒先から都市計画まで、“人が居る日常”を実現することで、持続可能で価値ある建築・まちを目指す。
公式サイト:http://glevel.jp/

<取材場所>
喫茶ランドリー 森下・両国本店
株式会社グランドレベルが企画・設計ディレクションを行い、2018年1月から運営を開始。コンセプトは「どんなひとにも自由なくつろぎ」。洗濯機・乾燥機やミシン・アイロンを備えた「まちの家事室」付きの喫茶店は、まちに暮らすあまねく人々に来ていただける「私設公民館」のような場所になれば、という想いでつくられている。
公式サイト:https://kissalaundry.com/