見出し画像

被災者と難民。彼らは同じように、突然やって来た脅威に対し、未来の選択肢を奪われた存在だった。Tech-Up事業統括島倉がWELgeeに参画した理由。

「難民という境遇によらず、自分の人生をデザインできる未来を創る」

明確なビジョンを掲げ、難民向けのプログラミング研修「Tech-Up」をマネージするのは、中央大学4年生の島倉 愛理(しまくら えり / 24歳)。2018年9月より、WELgeeのインターン生として関わりはじめ、2020年4月より、WELgeeのTech-Up事業部統括として、Tech-Upの中長期的な事業設計や、タームの運営を担っている。

彼女はエンジニア出身者ではない。しかしそんな彼女がなぜ「難民」という存在に惹かれ、彼らにITスキルを授けることにコミットするのか?
そこには彼女が生まれた境遇ー「福島での被災者」と、「国を逃れた難民」との接合点があった。
島倉の原点に迫る。

福島生まれ、福島育ち。東京の大学でのある出会いが難民に携わるきっかけに。

島倉は、福島県会津若松に生まれの23歳だ。

画像1

▲幼い頃の島倉。好奇心旺盛で「なんで?どうして?」が口癖だったという。

東京の大学へ進学するまでの19年間、福島から出たことがなかった島倉は、「世界」への非常に強い好奇心を持っていた。

「うちは、両親もパスポートを持っていない”地域密着型”の家族。だからこそ、世界で何が起こっているのか、世界史、英語、地理を学ぶことが好きでした。地図帳の地形や山脈、国に思いを馳せることが楽しかったんです。」

大学受験の際に、惜しくも第一志望に落ちてしまった島倉。しかしその分、浪人時代に大学で何をしたいのかを徹底的に考えた。そのため、大学入学直後からさまざまなことに取り組んでいた。ソーシャルベンチャーでのインターン、ピースボートでの3ヶ国への渡航、シアトルでのリーダーシップ研修などを重ねた。

画像10

▲ピースボート参加時に、参加者たちと船上で撮影した一枚。

その中でたまたま参加したフィールドワークが、後に島倉が「難民」というテーマに関わるきっかけになった。

「君の人生はよくなっても、俺の生活は変わらない」”難民”というトピックが、挑戦に変わった瞬間

大学1年生時に参加した、フィールドワークのテーマは「市民社会と多様性」。「様々な背景を持った移民・難民たちとともに、どのように市民社会を作ってゆくか?」をメインテーマとし、フィールドワークやディスカッションを含む実践的な講義であったという。

島倉が講義を受講したの2016年は、シリアでの紛争が激化し、ヨーロッパへ逃れる難民が後を絶たない「難民危機」が度々報じられていた。2015年度に、シリア出身の男の子アラン・クルディ君が、地中海沿いに死体で見つかった、センセーショナルな写真も、島倉の印象に強く残っていたという。

画像2

▲シリア・コバニ出身の3歳のアラン・クルディ君は、2015年9月に遺体となってトルコの浜辺に打ち上げられ、その写真が世界を駆け巡った。© 2015  AP Photo / DHA

「難民」というトピックに興味を持ち始めた島倉は、講義のフィールドワークとして訪れたシドニーにて、人生で初めて難民の男性と出会うことになる

フィールドワークでは、オーストラリアのシドニーに渡り、難民の社会統合の現場を訪ねた。

画像8

▲シドニーにて、世界最大のLGBTQIパレード『マルディグラ・パレード』に参加した写真

そこで現地に暮らす、パキスタン出身の難民の男性の話を聞く機会があった。壮絶なライフヒストリーを語った彼が、島倉へと最後に伝えた言葉が、今でも記憶に残っているという。

「彼は私たちが出発をする際にこう言いました。”今回のフィールドワークで、君の人生はよくなるけれども、俺の人生は変わらない”

プログラムは終了し、フィールドワークに参加していた学生たちはそれぞれ別の道を歩み出していた。島倉自身も、キャリア教育など、難民とは別の領域の活動にも取り組んでみたが、どうしてもシドニーで出会った男性の言葉が忘れられなかった。

なぜだろう...

自省を繰り返した時にわかったのは、14歳の頃に経験したある出会いだった。

3.11。震災によって「選択肢を選べない」同級生たちとの出会い

さかのぼること9年前。

震災が起きた2011年3月は、島倉にとって中学校の最終学年を迎える前の年度末。三陸沖を震源とする、マグニチュード9.0規模の災害は、島倉の日常の風景を変えていた

画像5

▲東日本大震災は、福島の人たちの日常の風景を大きく変えた。

予定していた始業式が延期になった。中学校の校舎の一部が崩れていた。そして、教室には新たな「転校生」がやってきた。彼らは、福島市よりも大きな被害を受けた、沿岸部や、原発のそばに暮らしていた中学生たちだった。

その「転校生」の中には、島倉の中学校の制服を着ている人もいれば、自分の学校のセーラー服を着ている人もいる。彼らの目に見える「違い」ー 被災した状況や、これまでの経験には、誰も触れなかった。まるでタブーのように。

中学3年生の島倉は、高校受験を控えているうちの一人だった。

高校受験は、人生の大きな選択の一つである。

生まれて初めて、自分が行きたい学校へと決意を決め、そこに向かって勉強をする。 しかし、震災によって、いきなり自分が目指していた高校が行けなくなり、全く自分が聞いたことも、見たこともない高校しか選べなくなってしまう。自らがコントロールできる範囲を優に超え、故郷を逃れざるを得ない状況にある同級生たちを見て、「選択肢を選べない」ことへの不条理さを強く感じた。

修学旅行ではじめて気づいた「被災者」というレッテル

中学3年生の島倉にとって、最も楽しみにしていたイベントの一つが京都への修学旅行であった。修学旅行の最中、お土産屋でおばさん数人に声をかけられた。

「君たち、どこから来たの?」

「福島からです。」

その言葉を聞いたおばさんたちは、怪訝な顔をし、目配せをしてた。島倉は、そのおばさんの疑わしい素振りを、今でも鮮明に覚えているという。

当時は、震災からちょうど1ヶ月過ぎた頃で、原発事故や放射能など、ありとあらゆる情報が錯綜していた。

そこで初めて島倉自身も「被災者」であることに気付かされたという。

「私が住んでいた地域でも、学校校舎が崩れたりはしたけれども、自分たちよりももっと辛い思いをしている人たちがいる。だから、私自身が”被災者”であるという感覚はなかったんです。でも、県外に行ったら、この人は福島から来た”被災者”だと、同じ被災者として見られている、ということに気がつきました。

修学旅行の経験は、島倉の中にある「福島」というアイデンティティを意識するきっかけとなった...

そして、シドニーで出会った難民の存在が、14歳の彼女の経験と重なった。

被災者難民

彼らは同じように、突然やって来た脅威によって、思い描いていた未来を奪われた存在だった。彼女の14歳の出来事の「点」と、シドニーでの出来事の「点」とが繋がった瞬間だった。島倉にとって、難民問題が、単なる「社会課題」ではなく「挑むべき挑戦」になっていた。

『就労機会とのマッチング』という一文に引き寄せられた島倉に任命された、プログラミング教室

WELgeeの存在を知ったのは、大学一年生の際に、弁護士の渡邉彰吾先生が講師として授業にやって来た時だった。授業の最後に、WELgeeのイベントを紹介した際に、団体の存在を知った。

次にWELgeeの名前を見たのが、偶然見つけた記事だった。
記事の中のある一文に、目を光らせた。

『WELgeeの目下の目標は、難民一人ひとりがもつ専門性やスキル、志を生かした就労機会とのマッチングだ。』(Forbes JAPAN : 疑うよりも信じることを 日本の難民を救う「ウェルカムの魔法」 #30UNDER30 )

「難民という境遇によらず、自分の人生をデザインできる未来を創る」ための、何かしらのヒントを得られるかもしれない...!と思った彼女は、そこからWELgeeのインターンシップへと応募をした。

画像9

▲3周年記念の場でWELgeeの取り組みについて話す島倉。

エンジニアとして働くチャンスを提供することで、難民であってもスキルを生かし自分の未来を切り拓くTech-Up

インターンを始めて2年間。現在島倉が担っているのが、Tech-Upだ。

Tech-Upとは、難民の若者へプログラミングスキルを身につける機会を提供し、彼らが自分らしく生きるきっかけをつくる、未来のIT人財育成の場である。

Tech-Upの着想は、WELgeeがドイツ・ベルリンへと視察した際に訪れた「ReDI school」というベンチャー企業の取り組みからだ。1,000⼈以上の卒業⽣を輩出し、未経験からプログラマーとして就職、スクールで得たネットワークを活かした起業など、受講生の進路は多種多様だ。

画像3

2018年11月からの4ヶ月間で、西アフリカから2名、東アフリカから3名の難民の若者たちが参加した。

190612 RSA最終選考会スライド (3)

1回目のターム運営の学びを活かし、また楽天株式会社の主催する「Rakuten Social Accelerator(楽天ソーシャルアクセラレーター)」を通じてパワーアップしたTech-Up。2020年4月18日より、新たなパイロットがスタートした。熟練メンター4名と、1名の難民が参加するセッションが開始された。島倉は、メンターや受講生を束ねるマネジメント役を担っている。

画像7

▲楽天ソーシャルアクセラレーターで伴走をしてくださった楽天のみなさんと共に

日本を出たからこそ、自分のアイデンティティに誇りを持てる。島倉が描きたいビジョンとは?

最後に、島倉が見据えるビジョンについて尋ねた。

人生をステップアップできるスカラー(生徒)を生み出すことを望んでいます。彼らの背中を、様々な人たちと一緒に押してゆきたいと思っています。

難民というステータスは、あくまでも社会が決めたものです。それに翻弄されず、むしろその境遇を自分の強みにすることだってできるのだと思っています。」

そして島倉は、難民として国を離れたからこそ、離れたからこそ抱く母国への想いもあるのではないかと話す。

「今Tech-Upに参画しているスカラーも、母国の発展に寄与したい、と言う強い思いを語ってくれますが、こうした母国への思いも、母国を離れたことで削り出されてきた「個性」の一つかもしれない。そうした彼らの個性を磨き、強みに転換してくことも私たちがやっていきたいことの一つです。」

「奇跡的に日本へとたどりついた若者たちの想いと、彼らに賛同するパートナーとして、いいね!それをやって行こうという連携を広げてゆきたいです。スカラーがこんなことをしたい、と語り、それを実装するために様々なエンジニアの人との連帯を広げてゆく。そんな未来を作りたいです。

島倉が掲げる未来が、どのように実現されてゆくのか?
彼女の今後の活躍が、とても楽しみだ。

執筆 : 林 将平

-------

◎ 1日30円〜難民の若者たちに未来の投資をする『WELgeeファミリー』になりませんか?

画像9


WELgeeの応援をありがとうございます。みなさまからいただいたご寄付は、主に難民申請者一人ひとりへの長期的なキャリアの伴走のための『JobCopass』運営費や、組織の継続的な基盤づくりに使わせていただきます。