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20210806〜08 自然な許し


20210808

それでいうと、誰かやなにかを許す というアプローチではなくて、
ただ、いまここにある気持ちを味わうだけ。 

 許しのアプローチ


その気持ちを「許そう」ともしてない 

いまここにそれが“在る”ってことを
否定もしてないし肯定もしていないだけで
「拒絶が起きていない」から
結果的にその瞬間に起きること 自然な許し

その延長線として、誰かやなにかを許すってことも起きたりするかもしれないけど その「許す許さない、そうであるかないか」ということへのこだわりもなく。どちらでもよくって。そういうことではなくって。

実際、誰かやなにかは関係なく、
いまここに現れている感情思考“自分”

それに気づかれて、認めて、味わう。

 #マインドフルネス

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▶︎ いまのこれにオッケー

いまのこれ が 受け入れられなくて、どーにかしたくて、
変わろう 何者かになろう #試行錯誤 してみるのだけど、
変わってもいいし、変わらなくてもいい。

というか、そこはどちらでもよくって、、、
要は、そういうことじゃなくて🤣

いまここの居心地のよさを決めているもの

▶︎ 気づく、認める、味わう 寄り添う


20210807

夢の度合い

気づいてる っていう単純さ

その 気づきの状態って 
夜、寝ているときにみる夢とおなじ。

夢の状態=気づきの状態

①  夢ってことに気づいていない。自分。
②  あれ?これって夢じゃん?
③  醒めている 夢を真に生きてない
( 誰もいない、わたしはいない、と言ったりする)

1から3に気づきがスライドしていくごとに、色と空の境目が微妙になっていって、それとこれ(色と空)ってバラバラじゃない それを統合っていったりしているのかな。

1も気づき、2も気づき、3も気づき 

状態の違いはあっても、性質の違いはあっても、気づきはつねに気づきでしかなく、「その気づき」と「この気づき」は違う気づきってことはない。それもこれもあれもそれも、それがなんであれ、そうではいことのなさ。

それは水が、気体になっても氷になっても、氷からまた水になって気化したとしても、水であることに変わりはない っていうのとおなじ。

その状態に関わらず、性質がかわっても、水は水。気づきは気づき。


20210806

インナーチャイルドについてのあれこれ
浮かんだことをまとめてみました。
【保存版】インナーチャイルド的あれこれ

非二元的な観察 と 心理学的?観察  いわゆる内観

“自分”がなにをやっているのか?という気づき
それ、案外、別だったりするのだなあ。

というより、
もう気にしてない=そのまま ってこともある。


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“自分”って、自分しかみてない。

だから、自分がいないことすら気づかない。

誰かをみているようで、自分しか見ていない。
すべてがそんな投影 わたしわたしわたし

もし、ほんとに“誰か”のことに気づいているなら

そのことにも、気づくはず

それもこれも自分自分 わたしわたし


◯◯って なんのことだろう?

自分 って、なんのことだろう?
思考 って、なんのことだろう?
リンゴって、なんのことだろう?

本質を確認する問いかけ

なのだけど、、、
これ 単に唱えているだけじゃ
単にコトバ概念として、
そのまま信じているだけ
真に受けているだけ

マインド的#信奉 #暗記 しているだけ

いま、確かめてみる。

 #直接的理解


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ワクチンやら、解熱剤やらとカラダさん大変
でも、カラダさんはいつも受け身よ
不調とは、単なる生きる反応で抵抗ではない

カラダさん抵抗してない

単に 生きる イノチ そのものであるだけ。


ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp

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