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科学デトックス

科学の貢献は大きい。
こうしてノートPCとインターネットを使って、noteに投稿できているのも、科学技術があってこそ。
現代人の生活は科学の上に成り立っているといっても過言ではありません。

私も「科学的」であることを心掛けてはいます。
合理的で論理的であることを、根拠に基づいて思考することを、現実主義であることを心掛けてはいます。
(実際に実践できているかはわかりません)

しかし、このスタンスもなかなか疲れるもの。
人の心もまた科学の研究対象となることはありますが、それでも説明し尽くせない「非科学的」な部分があるのではないかと思っています。
(心理学は不得意なので、そう思っているだけかもしれませんが)

仮に人に非科学的な部分が残っているのならば、非科学的な存在である人間が過度に科学的であろうとすると、無理が生じてくるのではないか。
そうした考えから、時には非科学的である時間、いわば「科学デトックス」なる時間の過ごし方も必要なのではないかと思っています。

「科学デトックス」の実践方法

非科学的であるということは、すなわち、科学的であるために求められる諸条件から解放されるということです。

科学的であるために求められる諸条件とは、たとえば、

  • 論理的であること

  • 理性的であること

  • 客観的な根拠に基づくこと

  • (主義によっては)実用的であること

などが考えられます。

「科学デトックス」では、これらの条件からの解放を志向しますので、

  • 非論理的であること

  • 感情的であること

  • 主観的であること

  • 実用的でないこと

を許容していくことになります。
これらの羅列を見たときに「人間らしい」という印象を抱く方もいるかもしれません。

すでに何度も言われている主張かもしれませんが、こうした科学的でない「人間らしさ」を尊重していくことも必要なのではないかと思っています。

ありのままに

なにかを学ぶことの意義や必要性を否定するつもりはありませんが、学ぶことによってストレスや窮屈さを感じることもあります。

そのストレスの背景には、

  • 既存の知識や情報で説明できないこと

  • 既存の知識や情報との矛盾

があるのかもしれません。

こうしたストレスへの対処法としては、単純に考えれば2通りの方法が考えられます。

1つは、知識や情報を増やして説明不能な物事を説明しようとしていくこと、もう1つは説明不能な物事を説明不能なままに受け入れようとすることです。

「科学デトックス」は後者の考え方です。

  • 説明しようとしなくて良い

  • 理解しようとしなくて良い

  • 矛盾が残っていても良い

ありのままに受け入れていくという発想です。

疲れるまで答えを探さなくてもいい

なにか悩みがあるとき、インターネットの検索機能は便利です。
運が良ければ、その悩みを解決してくれる情報に巡り会うことができるかもしれません。

たとえば、「スマホの電源がつかなくなった」というような悩みであれば、検索によって解決する可能性も高いことでしょう。

しかし、心に関すること、人生に関することなど、答えの見つからない悩みもあります。
大御所の書いた本を読んでも、ピンと来ないこともあります。
「専門家」に相談しても、答えに辿り着かないこともあります。

仕方のないことかもしれません。
もともと「答え」がないからです。
科学的な説明の限界ともいえるでしょう。

「答え」が見つからないと不安にもなります。
しかし、「答えが見つからない不安」に苛まれるくらいならば、答えを探そうとしないというのも一つの選択ではないかと思います。

説明できないままに受け入れる。
非科学的なものは、非科学的なままに。
非論理的なものも、感情的なものも、主観的なものも、実用的でないものも、そのままに尊重してみる。

わがままで、自分勝手で、他人からは理解不能かもしれないけれど、自分のなかに生まれる素直な「思い」を科学の枠組みに無理に押し込もうとしなくても良い。
矛盾していても、根拠に乏しくても、客観的に説明できなくても、自分に嘘をついてまで否定することはないと思います。

学校生活のなかで科学の基礎を学んできた私たち。
科学に囲まれた日常生活。
科学、科学……と疲れてきたときには、少し科学から離れてみる時間も必要なのかもしれません。

*この記事は「科学的なもの」を否定するものではありません。
しかし、それと同等に「非科学的なもの」を否定するものでもありません。

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