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Who is リョー?

はじめまして!リョー( @webotaku2020)です。

私は7月から Twitterに個人アカウントを開設したのですが、素性を非公開にしているので、今回改めて、自己紹介させていただきます。メインは、職務経歴になりますが、ご興味ありましたらご一読いただけると幸いです。

※この記事は2685文字。5分強で読むことができます。

大分が嫌いだった

私は九州のおんせん県大分県の出身です。

大分は食べ物も美味しく、温泉資源にも恵まれたとても良い県ですが、子供の頃、私は大分が嫌いでした。(今は好き)

今では、インターネットも普及しそれほど不便を感じないかもしれませんが、昔は民放は2局、雑誌やTVで取り上げられる最新のものは何も手に入らない田舎が嫌でたまらず、早く東京に出たいと考えていました。

ただ、何も優れたところがない落ちこぼれの私は、漫画が好きというだけで、親に漫画の学校の為に東京に行きたいとお願いします。幸いにも親の理解が得られ、私は、高校卒業を期に東京に住むのです。

東京でデザインソフトに出会う

漫画の学校に行ったものの、私が漫画家になれない事は分かっていました。漫画家になる人は、既に覚悟を決めた者だけです。東京に行く口実の為、入学した私にはなれるはずがありません。

ただ、このまま会社に入っても、学校時代と同じように落ちこぼれになることを恐れた私は、何か手に職をつけたいと思っていました。

そんな時、学校の授業でIllustraterとPhotoshopに出会います。このソフトを使えるようになれば、デザイナーなどとして働けることを知ります。フリーになる道もあります。私はこのソフトをマスターすることを決意し、学校卒業後、フリーターをしながらパソコンスクールに通うのです。

広告代理店で働く

Illustraterと Photoshop、Indesignをマスターした私は、広告代理店で結婚情報サイトの運営にアルバイトとして入社しました。ここは、実に充実した環境で、有名クリエーターのセミナーに参加したり、社内コンペも頻繁に行われており、メディアで取り上げられるようなディレクターさんも沢山いました。私は、ここで紙もWEBも全てを統括してディレクションするような職につきたいと決心します。

その夢を持って、私は次のステージとして、小さな広告代理店で正社員として、デザイナー兼営業サポートの仕事に就くことになります。ここでは、主に中古車系のチラシ、ポスター、カタログ、DM、紙ものノベルティ、交通広告などを制作していました。仕事は好きでしたが、徹夜続きで体を壊し、結婚を期に退社しました。

WEBを覚えたい→WEBの会社へ

昼間、HR系企業の宣伝室で契約社員を始めた私は、毎日定時で帰ることができました。仕事ではブランディングなどに関わりながら、ポスターなどの制作もしていました。時間に余裕のできた私は、好奇心から夜間はバニーガールをしていましたが、夢の為、WEBをしっかり覚えたいと思い、アフター5はパソコンスクールに通います。パソコンスクールに通っている間に、仕事はゲーム会社の販促物制作にうつり、店頭POPなどの制作に携わります。

ホームページの作成ができるくらいのスキルになったところで、妊娠し、産休に入りますが(産休中はWordPress でブログを作成しました)、産休後仕事がなくなった私は、憧れだったクリエイターさんが社長をしているWEB制作メインの会社に派遣で入社しました。ここで、メルマガ制作、WEB制作、AD広告、動画メディア運営、コンテンツ制作などに携わります。途中で正社員となり、どっぷりとデジタルに浸かります。ここではアシスタントディレクターでしたが、サポートが好きだったので適職だったとも言えます。接待場所のセッティングからGAのレポートまで、幅広く担当しました。

ディレクターになる

訳あってその会社を辞めなければならなくなった私は、求人サイトでマーケティングにも携われる仕事を探します。これは夢の為でもありました。

ただ、既に離婚していた私は、未就学児をもつシングルマザー、5年以上同じ会社で働いたこともなければ、大したマネジメント経験もないのに、30代中盤という条件の悪い人材です。誇れるものは、使えるソフトの数と今までいた会社のネームバリュー。それでも10社位は面接に行くことができ、私のソフトスキルをどこも評価してもらえたと思います。

今の会社に決めたのは、会社の企業理念にすごく共感した為です。こんな製品をこんな想いで作っている会社で働きたいとおもったのです。イメージの悪い会社だとネットを見て知っていましたが、面接の時お会いしたメンバーの方がみんな素敵だったので、ネット情報でなく自分の体感からこの会社に入ることを決めます。

役職もディレクターの名前がついていましたが、面接でうまく話せなかった私はジュニアの正社員として入社します。入社して1ヶ月は何もさせてもらえず、働いて来て一番辛い時期を過ごしました。でも、絶対認めさせてやると決意ができたのも、この経験があってこそです。

デジタルプランナーになる

この会社でほぼ初めての仕事をもらえた私は、前職と同じように資料を作り、クライアントに提案するように、社内の方に提案し、これがヒットしました。今まで、WEB制作に詳しい人材が社内にいなかった為、新しい方法が新鮮だったのだと思います。最初は、何やってるんだ位の目で見られた私が、一気に認められた瞬間でした。

これを期に社内で一番WEBに詳しい人材として、色んな案件に携わり、勝手にデジタル周りのプランニングも上長に提案していた私は、上長から「デジタルプランナー」の役職をいただくことができ。。。今に至ります。今では、自社ECサイト、ブランドサイト、SEO、SNS、サテライトサイト、動画制作などデジタル案件はほぼ全てに携わることができてとても充実した毎日です

今後の私

私の夢は、紙もWEBも全てを統括してプランニングできるディレクターになる事です。今もその夢に一歩一歩近づいているのを感じます。そして今の会社が大好きなので、英語ももっと頑張ってグローバルの統括ディレクターになりたいと考えています。

私の会社は、今はネガティブイメージを抱かれることも多いオーガニック系の化粧品や洗剤などのメーカーです。このイメージも払拭していくことを目標にしています。私が頑張ることでそのイメージが払拭できる要因の一つになるととても嬉しいと思っています。

ご一読ありがとうございました!

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