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#35 相手と自分の”情報量の違い”に気をつける

西日本にもたらした豪雨被害に関するニュースについて、先日放送された映像に多くの批判が寄せられています。

高まる水位の中、車に取り残された人が動けなくなってしまった状況。
ある男性がなんとか引きづるように車の中から助け出して、車が沈む寸前に脱出。あわや、という状況が一部始終、番組の中で放送されたようです。

私はニュースそのものは見ていませんでしたが、ツイッターでその映像を見ました。

見た瞬間、やはり私も「なんでカメラ回してるの?カメラマンは助けないのか?」という気持ちがこみ上げました。
しかし、私にはカメラマンの矜持とか職責とかはよくわからないですし、それぞれ意見があるとも思う。
そして何よりも、その場で実際にどんなやりとりがされたかは映像からは分からないので(もしかしたら救助要請をしていた可能性とか、スタッフが動いていたとか・・)、そのことについては書きません。


ただ、どうしても一つ気になったのが、なぜあの映像を最初から最後まで放送したのか?という点は気になって仕方がありませんでした。

もちろん、放送されたのが全てかどうかは分かりませんが、すくなくとも放送された映像は、その後に批判が集中するのは想像に難くないはず。(というか、想像できなかったらダメだよね・・)
なのになぜ?と、疑問でした。いろいろな事情があってカメラを回していたのだとしたら、なおさら、人が救助されたという事実がわかる、数秒の映像だけでもいいのでは?と思いました。


そのことを映像を見せながら友人に話したところ、友人から「推測だけど」と前置きした上で、下記の意見を聞いてハッとしました。

「あくまで私の推測ですが、これを放送すると判断した番組制作側は、『あっという間に水位が高まるから危険』ということも伝えたかったのかもね。制作側は、事前に映像の内容を全部見ているから車の中のひとが助かる、ということを知っている。そして、助けに行った人の腰あたりだった水位が、あっという間に胸以上の高さまでになっている。そういう警鐘を伝えようとしたのかもね。でも、最初から見せられた何も知らない視聴者は、当然、批判するよね

と。

確かに、その可能性はあるのかもしれないと思うと同時に、仮にそうだとしたら、伝える手法を誤ったばかりに批判を生むという悲劇。
なんとなく、こういうことってありがちだなとも思いました。

うまく表現ができませんが、自分は全て知っているゆえに、むしろみんなには気づきづらいことをしっかり伝えたい。けど、何も知らない相手は最初に伝えられた情報に強烈な違和感を覚え、自分の本意ではないところで反発を招く。

事象は違うけど本質の部分で似たようなことを見聞きしたことがあるように思う。というか、具体的な事象は忘れてしまいましたが、自分自身が過去に仕事でそういう失敗をしているような気もする。いや、しているな。
これを書きながら思い出そうしていますが、「苦い思いをした」というなんとなくの記憶はあるので、経験したことがあるはず。


具体例が伝えられないので、ボヤけた表現しかできないのがもどかしいのですが、とにかく、身近なリスクとして他人事ではないなと感じています。

何かを相手に伝えるときは、自分が知っていることは相手も同じように知っていて理解しているのか、伝える順番によっては大きな誤解や批判を生むだけで、伝えたいことは伝わらないどころか、信頼関係にも影響がある。

改めて気をつけようと思いました。

(というのは簡単だけど、この気づき自体を書くのも容易ではないというか・・書く順番も含めて悩みました。やっぱり伝えるという行為は難しい。。)




もし気に入っていただけましたら、次回の更新もぜひ楽しみにお待ちいただけたら嬉しいです。