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自分の意見で進めて良い

自分の意見など反映されない環境で生きてきた。

小学生の頃、野球をやっていて、本当につらかったことは何度も言っている(著書「やりがいの正体 何がしたいかわからない人へ〜」参照)。

キャプテンに任命された。

監督は厳しく、私の仕事は秩序を保つことと、監督の意見をメンバーにどう伝え、反映させるか。

監督の意見が絶対であり、自分の意見はない。

いや、本質で言えば自分の意見もあるのだが、自分の意見を言ったところでそれが反映されるわけがないし、勝手なことをすると怒られるし、責任も負わなければならない。

さらにテスト教育の弊害で、何か「ひとつの正解」があるという考え方に凝り固まってしまい、「上の人が言う意見が全てだ」という思考ができあがった。

何か正解があり、それ以外は正解じゃない。

だから自分が思ったことがあっても言わない。

それにより何が起きたかというと、仕事でもなんでも自分の意見で物事を進めていこうという意思がなかった。

仕事のことに関しても、上司の意見が絶対でありそれ以外はダメ。

自分の意見なんてダメだから上司が決めた意見でやるのが当たり前。

そう思っていた。

しかしだ。

最近になってようやく気づいた。

「自分の意見で物事を決めて、進めても良いんだ。」

正直そんなの当たり前だろ、と思うかもしれない。

しかしこれは私にとって大いに発見だった。

考えてみれば確かに何をやるにしても、誰かに聞いて許可をとっていたかもしれない。

自分で考えて行動しようとはしていた。

しかし私が誰かに何かを聞いてしまうのは、自分の意見など反映させるに値するものではない、と何かをやる前から思っていたからだ。

だから

上司が考える意見=ひとつの正解

であると思い込んでいた。

しかし他の記事でも言ったがこの世にひとつの「正解」なんてものはない。

それを追い求めるから苦しくなる。

自分の思っている「正解」と社会が思っている「正解」が異なりギャップが生まれるから苦しむ。

それだと人生本当に苦しくなる。

自分の思う正解が正解でなければ何のために生きているかわからない。

食べログ1位の店に行って、うまくなかった。

近所にある食堂に行った方がうまかった。

それなら食べログ1位より近所の店の方があなたにとっての1位、正解なんだ。

自分の正解が何かわからない人は、

「常に自分の意思で、理由を持って選択し続ける」

ことが求められる。


「自分で判断して良いんだ」

自分の意見がある。

それで仕事を進めたい。

私はこうしたい。だからこうする。

そういうように自分がしたいという考えがあるから物事が進んでいくし、楽しくなる。

「あなたはどういう考えなの?」

仕事で聞かれるフレーズ。

そう。自分の意見を持って、自分はこうしたい、というものを持って仕事することでやりがいにもつながってくるのだ。

今まで自分の意見で仕事を進めたことがなかった私にとって、自分で考えてこうした。

だからこれで良い。

これがやりたい。

それならやって良いんだ。

「自分で決めて良い」

なんだか嬉しくなった。

自分のやりたいように進めて良いんだよ。

別に案外誰も文句言わないし、怒られないから。

P.S

外の空気がめちゃくちゃ気持ち良い。

初秋の空気で、

気持ち良くて、どこか少しせつなくて、でもどこかに出かけたくなる。

空気の匂いが良い。

この感覚、今の嫁とすごく合ってる部分のひとつです。

わかる人いますか?笑


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