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ウェルビーイングと私 えりこ

突然降ってきた言葉、“Well-Being”。

それは、研究所名を健康にかかわる名前にしなさいとの業務命令で、チームの仲間たちと新しい名称を検討していた時だった。

“健康”? “Health”? “Wellness”? なにかしっくりこない。
文系の研究所である私たちの研究対象としてふさわしくないからだろうか。私たちは試験管を振ったり、動物実験を行ったりして、心身の健康状態を向上させる物質を見つける仕事をしているわけではない。人の健康状態に影響を与える行動や習慣について、コーホート研究しているわけでもない。
さらに言えば、“健康”はつまるところ生活者にとって人生の目的となるものではない。健康は手段であって、目的ではない。むしろ幸せになるための能力なのではないだろうか。

そのときひらめいたのが、“Well-Being”という言葉だった。-Doingでも、-Goingでも、-Havingでもない。Well-Being。

~十全な状態であること~
あたかも、ほころび始めたつぼみのように。
これから始まる一日に向けて、おだやかに、そして
充分なエネルギーを蓄えて、目覚める直前の朝のように。

ああ、なんて素敵な状態だろうか! 私たちが探究したいことは、この状態だ!そして、目の前にいるあなたの、ありたい状態を見つけるきっかけになりたい。ありたい状態に向けて、もし欠けていることがあるのなら、それを補うためのサポートをしたい。あなたが一歩ずつでも、十全な状態に近づけるように、寄り添ってあげたい。
・・こうやって生まれたのが、Well-being Design Labだった。

それから私たちは、生活者のWell-Beingについての研究を開始した。慶應義塾大学の前野先生が主催するオンラインサロン・ウェルビーイング大学で、Well-Beingに関する過去から今までの論文を読んだり、仲間とWell-Beingとはどういうことかを討論したり。
そして、生活者が自分の人生や日々の満足、幸せ、生きがいをどのように感じているのか、またそのことに影響がありそうな考え方のクセや習慣にはどんなものがあるのかについて、調査を繰り返した。

研究の根底にあるのは、Well-Beingの姿は一様ではない、という仮説だ。主観的なWell-Beingは一次元の尺度のどこかに位置づけられるが、たとえ同じ段階に位置づけられていたとしても、収入や家族、学歴や仕事などの客観的な状態は人によって異なるし、どんなことに楽しさを感じるか、人生で何を重視するかといった価値観も人それぞれだ。これらを調査項目として組み立てていったのだ。

私たちは、調査の回答について因子分析を行って、結果的に8つのウェルビーイング・クラスターを抽出した。日常生活の習慣や関心、人生への向き合い方などによって、Well-Beingの形も様々であることがわかったのだ。人との関係性を重視する人もいれば、趣味などの自分の関心を追求する人もいる。自らの成長に喜びを感じる人もいれば、日々をしっかりちゃんと生きていくことが大事だと感じる人もいる。

この結果をどのように生かしていくかが、私たちのこれからの課題だ。お客様に、心身の健康に向けた行動を起こしてもらいたいと投げかけるメッセージも、その内容によって心が動く人もいればそうでない人もいる。どうしたら最初の一歩を踏み出そうと思ってもらえるのか、さらに健康的な習慣を続けていくために何がモチベーションになり得るのか。正解は一つではない。そして私たちが考える、“あるべき姿”を押し付けるものでもない。

ウェルビーイング・クラスターの中には、自分のWell-Beingの状態に満足していない人たちもいる。過去を悔やんだり、忙しさに流されたり、諦めから無気力になったり・・ そんな人たちにとっては、心身の不調が減ることが、ありたい姿に近づく第一歩になるかもしれない。

そう。健康は手段であって、目的ではない。幸せになるための一つの能力なのだ。これからもウェルビーイング大学でさらに知見を深めるとともに、ウェルビーイング・クラスターを手がかりに、一人ひとりの目的を探し、それに寄り添う活動を行っていきたいと考えている。その結果として、心身と社会のWell-Beingが高まっていけば、こんなに嬉しいことはない。

さあ、あなたと、そして私たち自身の、ありたい状態を見つけに行こう。


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