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ウェルビーイングと私 ノミゾン

ウェルビーイングを「幸せ」と訳すと、私は少しもどかしく感じてしまう。
ウェル(Well)「良い」となるかもしれないが私は「ちょうど良い」と訳したい。
ビーイング(Being)は「状態であること」なら、私は「生き方」「表現」と訳したい。
合わせて訳すなら「ちょうど良い生き方」である。

私にとってのウェルビーイングとは
心がここにあること。
私自身を感じられて、私自身の思考と感覚を何か大きなものに委ねつつも、
全て自分の責任であると感じられること。選択と判断の自由は自分にあること。
一つ一つと丁寧に向き合うこと。
無意識に営まれている体の律動と対話できること。
自分の爪先まで感じ取れ、思うように体を使いこなせること。感性を発揮できること。
私を生み出してくれた両親やご先祖に感謝すること。
私と違う意見や価値観を持つ家族や友人がいること。
そして、いつも私と共にあり、私を支えてくれる鍼とお灸と東洋医学的な物事の見方がウェルビーイングを表現できる手立てである。

ポジティブじゃなくても良いと思っている。
陽も陰があってこそ在り。陰も陽があってこそ在る。
悲しくても良い、もがいても良い、嫌いでも良い、逃げたって良い、怒ったって良い、抱きしめたって良い。
その瞬間に嘘がなければ、つまり自分でないものにさえなっていなければ
私はウェルビーイング、適度なちょうど良い生き方、自分の中と外が循環し続けられる生き方があると思うようになった。

かつて、P.F.ドラッカーはマネジメントの真髄とは何か?と問われた時、
「マネジメントとは“幸せの創造(Creation of Happiness)”」と答えた、と
ドラッカー氏と以前直接話したことがあるという方から聞いた。

幸せの創造、ウェルビーイングの創造。創造していって広がる世界とはなんだろう。
理想郷なのだろうか?アダムとイブの楽園なのか?

明るく眩しいだけでは人は生きられない。
人の痛みを知る。人の心の機微に気づく。
言葉や立ち居振る舞いから発せられる波動のようなエネルギーに
私のままに反応できる人で在りたい。

触れる手と肌の瞬間、鍼先が肌と繋がる瞬間、お灸の温かみが命の温かみとして
体の芯に染み込むように感じる瞬間、
止まりかけていた命の律動に再び生気が漲り、血液が蕩々とながれ、
顔に赤みがさし、呼吸がゆったりとなり、全身から強張りが取れていく一連のフロー。
生命の素晴らしさ、偉大さに立ち会えることが
私にとっては何よりもありがたい。
広がっていく命のウェルビーイング。
ウェルビーイングはもしかしたら「輝く命」と訳した方が
もっとしっくりくるのではないかと、今ここに来てそう感じるようになってきた。

命の力と向き合い、命を真摯に支える人で在り続けることが
今の私にとってのウェルビーイングである。


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