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カレーを美味しくしてしまえ


 皆さん、こんにちは。カレー大好き、木賃ふくよし(芸名)です。
 はい。もう、自営業をやってたのは4ヶ月前。コロナ騒ぎで店を閉めてから、


 無職のままです。


 色々とシャレになってません。

 再起どころか、このまま立ち消えしそうなぐらいに、Tシャツも、

 このnoteの記事も売れてません。生放送もイマイチです。えいチクショー。

 いえ。再出店を諦めたりしてる訳ではないのですが、現時点では色々厳しい雰囲気。
 かと言って、今、就職を頑張ってしまうと、それこそ再起を諦めて安定を選びそうなのが怖いんですよね。ええ。
 何だか色々と燃え尽きてしまった感もありまして。


 例えば、本。


 小説、漫画、映画のパンフレット、雑誌、画集、その他諸々、、、

 店を閉める際に、その殆どは手放しました。段ボール箱で30箱ぐらいはあったと思う。5,000冊は余裕であったかと思われる。手元に残したのは200冊ぐらいか。

 例えば、CD。

 逆算すると最低でも800枚は持ってた事になる。手元に残したのは100枚足らず。

 金が掛らない、モノを持たない生活に切り替えるべく、色んな物を手放した。
 そこに後悔はない。自営業に失敗した敗者には、身分相応とも言える。

 確かに、コレクションを手放すのは勿体無いと言える。しかし、それを仕舞って置けるスペースなどない。
 モノを持たない、根無し草のような生活も悪くはないし、性に合っている。

 それ自体は悪くない。悪くはないが、張り合いがないのだ。
 モノを持つ、財産を持つ。それらを守る、増やす。
 それはあるいは、家族が1番の宝、なんて表現をするように。守るべき、育てるべき何かを持つこと。コレこそが、人を強くし、活気を与えているのかも知れない。

 今のワタクシのような生活は、気こそ楽だが、張り合いってモノが損なわれている。気軽で身軽で気楽な諦観。それはいい。もはや野望も欲も若さもないだから。


 だが、本当にそれでいいのか。


 ひりつく気配を感じたくはないのか? 危険の匂いに惹かれないのか? 一か八かの勝負に焦がれないのか? 富や名誉に焦らされはしないのか?

 そんな葛藤と戦っている。


 今の無職で怠惰な、けれどタイトロープな生活か、
 牙を抜かれ、安定した場所で働くか、

 どちらの方が、心を折らずに居られるのだろう。


 そんなジレンマと戦っている。


 飯のひとつにしてもそうだ。店を持っていた頃は、お客様の為に料理を作っていた。
 今は何も作る気がしない。

 そもそも自分の為に飯を作るのは好きじゃなかった。誰かに美味いと言ってもらえるから、作っていたのだ。
 自分しか食わないんじゃ、張り切る意義を見出せない。

 この4ヶ月、ろくに料理など作っていない。
 フォロワーの方々に差し入れて貰った「カップ麺」「パックご飯」「レトルトカレー」に頼りきりだ。
 美味い飯は大好きだが、それを食わなきゃ死ぬ訳でもない。食えてさえいれば。だから、料理をする気にはなれない。
 何なら、カップ麺の湯を沸かす事さえ煩わしく思える。パックご飯をレンジで温める事さえ。
 とは言え、食おうと思うと、両方ともほぼ必須の工程である。


 だが、レトルトカレーは別だ。


 温めなくても、とりあえず食べられる。まあ、パックご飯さえレンジで温めれば合格点だ。

 ただでさえ足りない「やる気」が殊更出ない時なんて、




 レトルトカレーの

 切り口を少し開けて、

 レトルトから直接、

 カレーを吸うなんて

 よくある話だ。



 
 (´・Д・)」 え? 皆もやった事あるよね?



 で。それが常習化してしまっていた先日、久々にレトルトカレーを温めて食べたんですが、


 カレーって
 温めるだけで、
 こんなに美味しく
 なるモンなんだなぁ、、、。



 と、しみじみ思った次第です。



 ※ この記事は無料ですが、ジリ貧生活を送ってますんで、投げ銭(¥100)とかあると助かります。サポートとか、もっと助かります。
 なお、この先には「欲しい物リスト」ぐらいしか書かれていません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。