見出し画像

常識のラインは何処にある?


 皆さん、こんにちは。そんなの常識。木賃もくちんふくよし(芸名)です。
 はい。ワタクシは常から「マナーをなくせ」と繰り返し言ってる訳ですが、


 私の常識、貴方の非常識。貴方の常識、私の非常識。

 って事で、ワタクシ、

 常識ってヤツも嫌いなんですよね。


 そう。常識。

 常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションである。とは、かのアインシュタインの言葉。
 常識なんてのは、個人によって、家庭によって、地域によって、国によって、宗教によって、時代によって、団体によって、時勢によって、まるで違うもの。

 環境によって計り知れぬほどの差があるモノを、「これが常識で正しい!」などと我が物顔を出来る人の気が知れぬ。
 実際にやってみてわかるが、常識なんてのはいい加減であやふやなもの。


 いいかい、ユリアン。常識もマナーも「相手を不快にさせないため」のもので、「自分が不快になるため」に身に付けるモノじゃない。
 人間は自分が身につけた「常識」や「礼儀」を相手に求めがちだが、キミがその「常識」とやらを身につけたのは、そのほとんどが、


 (´・Д・)」 たまたまなんだよ。


 たまたまその環境で育った。たまたま教えてくれる人がいた。たまたま知る機会があった。その程度のものでしかない。
 こう言うと、


 (`°皿°)」 何を言うか!

 俺は一生懸命に常識を勉強した!


 って阿呆な反論をする阿呆が出て来るが、


 懸命に勉強しなきゃ
 身に付かない
 「常識」って何だ?


 知ってて当然だから「常識」なんじゃないの?


 (´・Д・)」 それとも常識の認識が常識と違ったのかしら?

 わかりますか? 皮肉ですよ?


 これで常識なんてのはアテにならないとご理解いただけただろうか。
 だが同時に、ワタクシは常識を重んじたい。
 わかりやすく言うなら、

 非常識である事を
 ステータスだと
 勘違いしている輩を、
 減らせるものなら減らしたい


 と、思っているからだ。
 そう。前述のように、常識ってのは他者を不快にさせない為のものである。
 「非常識」と言うのは、概ね誰かを不快にさせても平気だとか、むしろ誇らしげな痴れ者の恥ずべき行為である。

 それから、常識ハズレ。
 常識と違う事をすればいいと言う逆張り
でしかない。
 常識に囚われぬ柔軟な発想と、常識でやらない事をやればいいと言う安い考えの混同である。
 他人と違わなければ個性じゃない訳ではない。他人と違う事こそが個性だと勘違いした結果が常識ハズレである。

 常識破りという言葉があるが、常識という壁を知らなれけば、それを破る事は出来ない。
 それほどに、常識は重要なのである。
 無論、時折ではあるが、常識を知らずして、壁をブチ破る


 (´・∀・)」 オレ、何かやっちゃいましたか?


 ってリアル異世界転生主人公みたいにチート能力を持ってる人間が出てきたりはするけれども。安心しろ、お前は違う。すっこんでろ。

 うむ。少し話がズレた。
 要するに発明などの類でコロンブスの卵に代表されるような「常識破り」は必要だろうが、何故それが禁止されているのかという「常識」や、何故それが成り立ってきたのかを学ぶ「常識」を知らずして、いたずらに「常識」を壊すべきではないのだ。

 だから、「常識をなくせ」と言うのは、

 自らの不快指数を上げるために常識を身につける人に向けている。

 「常識は相手を不快にさせない為のもの」であり、ひいてはそれが自分のためになるからだ。
 「常識は学ぶものであり、強いるものではない」のだと心得て欲しい。

 では、そこで問題だ。


 じゃあ一体、
 一般常識って
 何なの?
 って事である。


 常識的に考えれば、「常識知らず」は一定数いるものだ。
 それに家庭や国や宗教や世代で常識は変わる。

 常識なんてあやふやなもの、が常識化すると、常識は常識でなくなってしまう。
 ロールキャベツのベースはトマトかブイヨンか、はたまたクリーム系か? 多数派であれば常識なのか?
 「新しい」の本来の読み方は「あらたしい」である。
 「山茶花」を、本来の「さんざか」ではなく「さざんか」と読むようなものだ。今で言えば「雰囲気」を「ふんいき」と読むか「ふいんき」と読むかである。
 正しい事が常識でもない。多数派であれば常識でもない。まして「俺がそうなんだからコレが常識」は以ての外である。

 それを一体どこで「常識」と定義付けるのか。
 ワタクシは常識は数でも正しさでもルールでもモラルでもないと考える。
 要は「コンセンサス」=「同意」だと思うのだ。

 つまり、より多くの人間が承諾せざるを得ない事柄ぐらいしか「常識」とは呼べないのではないかと考えている。

 その線引きは、常識のラインは何処にあるのか。
 それを明文化できるのは、


 義務教育をおいて
 他にないだろう。


 と思うのだ。
 要するに「義務教育」という、全員がある程度一律に受ける機会があった、受けたであろう教育だけが「常識」と言っていいのではないかと考える。
 無論、義務教育だって国が変われば大きく変わる。
 時代が違えば次第に変わる。
 地域が違えば妙に変わる。
 
 そう。学校にプールがないから水泳の授業がないケースもあるし、時代によって円周率が3.14だったり「およそ3」だったりする。
 国が変われば、教えている「国語」からして違うのだ。

 これが常識の違いであり、義務教育で習ったはずの事を履修できていないと、それなりに馬鹿にされるのも致し方ない事なのだ、と言ったなら、相当数のコンセンサスが取れると思うのである。

 (´・Д・)」 そんな訳で、ワタクシが流石に、「お前、常識ないやろ?」ってなった話。

 昔、だいたい20年ちょっとぐらい前、無料でネットに接続し放題のテレホーダイ(常識)セガプロバイダ(無料)&ドリームキャストという最強の組み合わせでチャットに勤しんでた頃の事だ。

 相手は、おそらく男子高校生と思われる。
 ワタクシも当時はまだ20代半ばだった筈だ。

 多分、ロボットアニメかなんかの話から、兵器とか、戦争みたいな話題になったと思うんだが、何だかどうにも話が噛み合わない。
 何か根本的なところで話の歯車が噛み合ってない気がしたので、何処がおかしいのかを整理してみた。
 どうやら、第二次世界大戦の認識、とりわけナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)についての認識に大きな隔たりを感じたので、思い切って訊いてみた。



 (´・Д・)」 ところでキミは、

 ナチスを何だと思ってるの?



 どんな答えが返って来ても、冷静に受け止めるつもりだった。
 しかし、彼の答えはワタクシの想像の範疇を大きく超えていた。




 ( ・ω・) んー…と、

 よくわかんないですけど、


 『悪の組織』とか?




 悪の (´°Д°)」 組織!?



 それを聞いて以来、「第二次世界大戦の日本の同盟国がアメリカ」だと答える若者がいると聞いても、


 (´・Д・)」 悪の組織と戦ってないだけマシか、、、。


 と思ってしまう自分がいる。


 ※ この記事はすべて無料で読めますが、この記事を面白いと感じた人は投げ銭(¥100)をするのが「常識」らしいです。
 そんな常識聞いたこともないけどね。今作ったから。
 なお、この先にはその後の遣り取りが少しだけ書かれています。


ここから先は

726字

¥ 100

(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。