終焉



 もしも、この世が、あと一日で終わるとしたら人はどうするだろう。
 女性の多くは、親、あるいは子と過ごすと答えるらしく、多くの男性は、とにかく女性をレイプすると答えるらしい。
 ぼくも、アンケートにならそう書くかも知れない。だけど、現実はどうだろう?
 あと一日で世界が終わる。ーその言葉の何処に確証があると言えるのか。
 もし本当に世界が終わらなかったら? ぼくはそれが怖くて、犯罪なんて起こせない。
 逆に言えば、治安の悪い国なら、停電一つで街中が暴徒で溢れると聞く。
 どれほど犯罪の増加が叫ばれても、ぼくの済むこの日本では、多分、暴動なんて起きないだろう。少なくとも、ぼくは暴徒にはなれないし、どちらかと言うと暴徒に殺されているタイプなのだと思う。
 もし、あと一日で世界が終わるとしたら。
 ぼくは、どうすればいいのだろう。
 原点に返って考えてみる。人は何故、生まれて、死んでいくのか。何のために成長し、何のために種を残し、何のために種を育てるのか。
 多分、それは、証しなのだと思う。
 人は何故、名声や金を欲するか。人は何故、人に認められたいのか。人は何故、子を生み、育てるのか。人は何故、墓の中に持って行けもしない金を稼ごうとするのか。
 ーそもそも、墓とは何なのか。
 多分、それが答えで、多分、それが証しなのだと思う。
 人はその存在意義を求めて、生まれ、その存在意義を探すために育ち、その存在意義を残して、死ぬ。
 存在意義。レゾンデトル。
 多くの種は、生きていた証しに自分の分身という子孫を残して死ぬ。
 芸術家や作家が作品を作るのは、まさに生きていた証しだろう。
 富や名声は、後世に残る自分の生きていた証しで、墓なんてのは、容易に作る事の出来る生きていた証し。
 ぼくには何が出来るだろう。
 ぼくには、何の力もなく、妻もなく、子もいない。
 そんなぼくが残すことの出来るものとは何だろう。
 この世があと一日で終わるとしたらー。
 いや、正しくない。多分、この世はあと一日で終わる。少なくとも、ぼくの世界は終わりを告げる。
 馬鹿馬鹿しい話で、誰も信じないだろう。
 書く事が、少しためらわれる。実は、馬鹿馬鹿しい話だが、書き出すのには勇気が必要だった。
 まだ生きているから書き続けるがー、
 ぼくは昨夜、死神に会った。
 死神は突然ぼくの前に現れ、ーでもぼくは驚く事もなくー、僕の死を告げる。
 死神の風体は、何処にでもいるような普通のサラリーマンの格好をしていた。
 漫画みたいに黒いマントも大きな鎌もなく、ガイコツだったり、美少女だったりもしない。
 顔も体格も説明のしようがないぐらいに普通で、でも、ぼくにはそれが死神だとわかる。
 死神は、ぼくに対し営業口調で喋り出す。
 「まことに突然で悪いのですが、あなたは明日を持ちまして、この世を去る事になりましてね。それでまあ、詳しい事は死んでから話しますけど、こちらの都合での突然死の規定により、死の宣告をお届けに参りました。残り一日です。しっかり有意義に使って下さいね。それでですね。お亡くなりになる前にいくつか注意点がありまして」
 死神は、命を奪う以外にはこの世に干渉する力を持っていないらしく、筆記する事も出来ないので、とにかく口頭で長々と説明した。
 規定によると、死神を見た瞬間から24時間がぼくの寿命らしく、これで少なくとも、残り24時間の内の一時間は死神のために費やした事になる。
 この分だと、死んでからも面倒な手続きがありそうだった。
 死神が長々と告げた規定は色々あるが、大きく説明すると、「死ぬ事を誰にも話してはならない」「死神に会った事を誰にも話してはならない」同じく、書き遺すことは厳禁。
 これらを実施(あるいは実施しようと)した場合、寿命が失効し、なおかつ死んでからの条件が悪くなる、と言う事らしい。
 なおかつ、それを伝え知ってしまった人間も、下手をすると運命共同的に死ななければならなくなる、とのことだ。
 実に事務的に、一方的な通知を終え、死神は去っていった。
 それが昨日の話だ。
 だから、ぼくは残り一日の人生とやらをどうすればいいか考えて、一日を過ごした。
 だって、仕方がない。ぼくには、さっきも言ったように犯罪に走るだけの度胸がない。
 悲しいかな、昨日の死神を夢だったとは思っていないけど、死の実感もないのだ。
 確かに恐怖はあるけれど、犯罪者に身を落として、もし自分が死ななかった時の事を考えると、そっちの方が恐怖だったりする。
 豪快に遊びまくって死ぬのもいいかも知れないが、生憎と豪遊できるほどの金を持ち合わせている訳じゃないし、大金を使っての遊びも知らない。
 別れを告げたい妻も子供もいない。恋人もいない。我ながら、なんとも寂しい話だ。
 気に入ってる女の子程度ならいるけど、特別に好きって訳でもないらしい。せめて、好きな女の子でもいれば、告白してドラマティックな死を演出できたのに。
 それに、死神も夜の11時半に現れた訳で、深夜には何か行動が起こせる訳でもないし、銀行から金もおろせないときた。せめて12時間か6時間ずらして欲しいところだ。
 幸いだったのは、死神が残してくれた今日は休日だと言う事。
 両親には会いたい気もするけれど、新幹線を使ってまで会いにいくのは面倒だ。
 とりあえず親に電話した。用事がある訳でもないし、死ぬ事も言えないから、何だか不審者の電話みたいになった。
 何を言っていいかわからないから、最初電話に出た母親には、親父に用事があるみたいな事を言って、親父に代わってもらう。
 どちらの声も聞いておきたかったから。
 親父が出て挨拶した所で、明日あたりに掛けなおすと言って電話を切った。
 どう思われたかはわからないけど、とにかく涙が出て、ようやく、死ぬかもしれない実感がわく。
 ひょっとして親が電話を掛け直してくるんじゃないかと思ったけど、掛かって来なかった。掛かってこなくて良かったかも知れない。泣いていたから。
 それから自分を落ち着かせて、どうすればいいのかを考えた。
 ずーっと、生きる意味と生きてきた意味と死んでいく意味を考えた。
 ぼくは芸術家じゃないから、絵を残す事も出来ない。第一、今から描いたって間に合わない。
 メッセージは書いちゃいけないといわれた。
 だから、ずーっと考えて、ずっーと考えて。
 その内に、何かする時間もなくなってきた。
 でも、せめて何か残したいと思う。それが、ぼくの出した結論だった。何か残さなければいけない。
 ぼくは、コンピュータの電源を入れ、この文章をタイプしている。
 死神は、話すことと書くことを禁じていただけで、タイプする事を禁じた訳ではないと言う屁理屈だ。
 勿論、こんな屁理屈が通じるかどうかなんてわからないけど、どうせもう、何時間もない。
 せめて何かやってから死にたい。
 それに、あの世は何かと面倒な手続きがありそうだ。ひょっとしたらまだコンピュータ媒体によるメッセージには対応していないかも知れない。
 良くはわからないが、少なくともここまで書いてぼくが死んでいないと言う事は、望みがない訳じゃないようだ。
 これをプリントアウトしたら、紙媒体だからアウトだったりするのだろうか、となると、インターネット上にアップするのはどうなのだろう?
 いや、わざわざ危険を冒すこともないだろうか。でも、ぼくがモニタにただ書き連ねるだけのものを残して、意味があるだろうか。
 それは、誰の目にもとまらない墓と同じだ。
 それは、いやだ。
 ぼくは、それでも、生きていた証しを残したい。いやだ。本当は死にたくない。死にたくなんかない。まだまだまだまだいっぱいしなければならない事がある。
 まだ、さよならも告げていない人がいる。まだ、出会ってもいない人たちがいる。
 いやだ。ぼくは、ここにいたいのだ。
 ぼくは、ここにいる。
 ここにいるんだ。今、ここで「送信」のボタンを押せば、誰かぼくの存在に気付いてくれるだろうか。
 今、僕がここでこうして泣いている事に、どこかの誰かが気付いtfwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww




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 なお、この先には特に何も書かれてません。



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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。