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 その日の俺は、理由もなく荒れていた。
 いや、荒れている理由ならある。だけど、それはもう一ヶ月も前からの事で、強いて言うなら、このクリスマス・ムードの漂う、イルミネーションが輝く街の中にいる事が、それを助長しているのだろう。
 とにかくむしゃくしゃした気分を晴らそうとして、声を掛けてきた呼び込みに誘われるがまま、店に行った。
 店に着くまではそれが飲み屋なのか風俗店なのかなんて考えてなかったが、佇まいから察するに、明らかな風俗店だ。
 前金制だとかで、受付で金を払った俺は、店の奥へ通される。入り口からは想像していなかったぐらいに広い店だ。
 広いからと言って、清潔感がある訳ではない。どういう類の店だかは考えてなかったが、どうやら完全個室シャワー付き、本番厳禁。
 その個室に通される。俺を迎えたのは、俺より幾分か年下であろう女だ。大して可愛くもない細身の女。下着の上に透けたキャミソールみたいなものを纏っていて、そのあまりの陳腐さに、苦笑いする。
 それが見えたのか、女は露骨に嫌そうな顔をした。
 女が、いかにも事務的に俺の服を脱がせ、シャワーを浴びさせ、寝台に横たえさせると、決まり毎を順番に消化していくべく、口付けし、身体に唇を這わせ、まどろっこしい数分間を終える。
 ようやく、面倒な前戯が終わったとばかりに、俺の性器を口に含む女。
 「下手糞。他の女に代われ」
 俺は無機質に言った。女がかなりムッとした表情を浮かべ、追加料金が掛かる事をネチネチと説明する。金ならある、と抑揚もなく答えると、女は部屋に据え付けられた電話を取り、苛立ちも隠さずに交代を告げ、ぷりぷりと愚痴りながら部屋を出た。
 男の店員が金だけを受け取りに来て、代わりの女がやってくる。交代という事態に対して注意が促されたのか、今度は随分としおらしい女が来た。
 俺は、同様にして女を追い返す。また金を払い、次の女を呼ぶ。三度目も、同じ事をする。
 それで、とんでもない金額を払わされた挙句に、店を叩き出された。
 とんでもない金額、とは言ったものの、俺が本当に買おうとしていたものに比べれば、微々たる金額だ。給料の何カ月分だとかいう指環に比べれば。
 俺のむしゃくしゃが晴れるでもなく、また、呼び込みに誘われるまま、別の店に連れて行かれる。
 今度は、一見スナックのような店だ。働いている女は全員外国人らしく、カタコトの日本語が店内をゆらゆらと漂っていた。
 俺に付けられた女は、暗い店内では日本人と区別できないような、アジア人。台湾か? 大陸か? と尋ねると、女は「台湾、ない」と答えた。
 女は先程と同様、下着にキャミソールだけという姿で、どうやら店の目的は酒ではなく、性欲処理のためのものだ。
 ビールを飲むかと訊ねられ、追加料金。女も飲んでいいかと言い、更に追加。手を使うなら更に追加だと言い、口を使うなら更に追加だと告げる。
 「じゃあ、次に払えば何処までさせるんだ?」
 どんどんと追加を呑み、更に金を積んで、無理だろうとわかっている要求を叩き付ける。
 その内に、女が泣き出した。それでも俺の気が晴れないでいると、店の奥から随分と若くて綺麗な女が出てきて、俺を店の奥へと案内した。
 それがマダムなのか看板娘なのかはわからないが、その女は比較的流暢な日本語で「荒れないで」と告げる。
 女が綺麗だった事もあるだろう。叩き出される事を予測していただけに、拍子抜けした事もあるだろう。
 俺は、女を受け入れた。
 「大丈夫。みんな、つらいの。あなただけじゃない」
 女が、俺の耳元で囁いた。多分、そうなのだろう。こんな、訳のわからない国に寄越されて、病気の不安に怯え、異国の男に抱かれ、自国には夫や子のいる女だってあるはずだ。
 店の奥の狭い部屋で、俺は女と繋がり、女はただ、「大丈夫、大丈夫だから」と繰り返し、続けた。
 その言葉を聞くたびに、何故か溢れ出しそうになる涙。だけど、瞳の周りが熱くなるだけで、涙は出なかった。
 俺が店を出た時、携帯電話が鳴る。
 「太田一郎」
 名前を見た瞬間、俺は、そのベルが聴こえなかった事にした。しばらくして途切れると、着信が今までに何度もあった事に気付く。
 あいつが今さら、何の用だと言うのだろう。また、携帯電話が鳴く。それでも無視する。
 次に鳴り出さない内に電源を切ろうと思ったが、あいつが今さら何の用だと言うのかが気になって、次の呼び出し音で、俺は電話に出た。
 「・・・もしもし」
 「真治! 何処にいるんだ!?」

 一郎が怒鳴る。こいつに怒鳴られる覚えはない。俺は嘲笑し、吐き捨てるように言った。
 「風俗店でお楽しみだよ。邪魔するな」
 「風俗だぁ!? ふざけてる場合か! 七瀬が危ないんだよ!」

 まだ怒鳴り続ける一郎。吐き気がするほどにむかつく。
 「知った事か。俺には関係ない。彼氏が傍にいてくれれば、安心して死ねるだろ」
 俺は、それだけを告げ、通話を切ろうとする。だが、指の動きより先に、一郎の叫び声が聴こえて、俺は電話を切り損ねる。
 「俺じゃ駄目なんだよ! お前が傍にいてやらないと!」
 全身が強張るのを感じる。殺意さえも芽生える。どす黒く押し殺した声が、自分の喉から漏れ出す。
 「てめえ、話したのか・・・!」
 「七瀬が死にそうなんだよ! お前が傍に・・・!」

 一郎の声が、叫びから泣き声に変わる。俺は目の前が真っ暗になるのを感じながらも、
 「くたばれ」
 とそれだけを告げ、携帯電話を道路に叩き付けた。

 七瀬陽子。8年ほど昔、大学で知り合った。
 何事もなければ、七瀬と俺は、来年の夏あたりにでも結婚していただろう。
 そう。何事もなければ。
 七瀬が、会社の同僚たちと旅行に出掛けた。
 結婚したら、同僚たちと旅行にも出掛けられなくなるから、と。俺は、笑って見送った。
 その旅行先で、事故に遭ったらしい。
 瀕死の重傷。意識不明。七瀬は何も語らなかった。
 電車で出掛けた筈の自動車事故。その運転手が、太田一郎だ。一郎は奇跡的に、かすり傷だけ。
 幸い、他にも怪我人は出なかった。出なかった理由は簡単で、その車には一郎と七瀬しか乗っていなかったからだ。
 俺は事故の後、一郎から二人の関係を告白される。太田一郎は、高校時代からの、俺の親友だった。少なくとも、親友だと思っていただろう。その時までは。
 一度に色んなものを失った俺は、それでもひとつの提案をした。
 七瀬の両親は、俺と七瀬の関係を知らない。だから、俺は表舞台に立たない事にしたのだ。
 七瀬の恋人は、初めから一郎だった事にしてしまう。そうすれば、七瀬の面子が保たれる。両親の悲しみが増す事もない。
 その代わり、二度と俺はそいつらと接触を持たない事にする。
 俺と一郎は、そういう約束を交わした。
 だが、一郎は約束を反故にしたのだ。
 あいつは、「七瀬が死ぬ時ぐらい、俺が傍にいるべきだ」という大義名分を掲げ、自分の責任を放棄するため、全て両親にを話したのだろう。
 糞ったれ野郎だ。そして、その夜の内に七瀬は永遠に口を閉ざしたらしい。
 俺は結局、病院には行かず、夜の街に溺れて過ごし、そして、七瀬の葬式にも出なかった。
 それから、数日。年が明けて、正月の休暇を家から一歩も出ないで過ごす俺。
 それでも、七瀬の両親は俺を訪ねてきた。一郎あたりが俺の住所を教えたのだろう。
 両親は色々な事を尋ねたり、謝ったりしていた。
 色んな事を教えてもくれた。
 七瀬が妊娠していた事も。俺と一郎の、どちらの子かわからない事も。七瀬は、子供を胎内に抱いたまま、死んだ。
 結局、俺は七瀬の両親と一言も口をきかなかった。当たり前だ。今更、何をどう話せというのか。

 更に、それから数ヶ月が過ぎた。
 その日、俺は随分と会っていない、高橋あゆみを訪ねる。
 夜も遅い、女の一人暮らしだと言うのに、高橋は、俺を部屋に招き入れた。
 「どうしたの?」
 高橋が、俺にコーヒーを出し、こたつに足を入れながら問う。
 「高橋を、犯しに来た」
 俺がそう告げると、高橋は、困った顔のまま笑った。
 「・・・そうね。仕方ないかもね」
 俺は、高橋にどういう反応を期待していたのだろう。
 「知ってるのか」
 「何となく、ね。陽子ちゃんの事故で大破したのって、太田君の車でしょ? 太田君は必死に隠そうとしてたけど、必死になればなるほど、ばれるって言うか・・・。それにほら、陽子ちゃんの御両親から、何度も連絡あったし、逆に、真治君とは交信ゼロじゃない」

 高橋が俺を指差した。人が一人死ぬような事故を隠し通す方が難しいことぐらいは俺にもわかる。まして、恋人相手ともなれば。
 「・・・俺には高橋を犯す権利があるとでも?」
 「権利はないと思うけど。・・・あたしからすれば、あたしには何の関係もないとばっちりだし・・・、とばっちりって言うより、あたしも浮気されてた訳だし」

 高橋はやっぱり、困った顔のまま笑った。
 「裏切られた者同士、仲良くしましょうって事か?」
 「そうね。そういうのもあるかも知れない。それより、自分が真治君の立場だったら、そうするかな、って」

 高橋は、こたつの上の籠に入れてあったみかんに手を伸ばし、それを手で弄びながら、俺を見た。
 俺と、この、酷く優しすぎる女を裏切った二人の顔がちらつく。
 この、酷く優しい女が、優しいままでいる事が、赦せなかった。
 「七瀬が死んだ時、俺が何処に居たか知ってるか?」
 「ううん」

 突然の話の切り替えに、高橋が戸惑う。
 「糞ったれな風俗店だ」
 「・・・そう」

 高橋は、まだ俺の言おうとしている意味がわかっていない様子だった。
 「そこでね、不治の病って奴を貰ってきた。エイズって奴だよ。笑えると思わないか。俺の人生は当たりだらけだ」
 俺は、卑屈な笑いを浮かべて、高橋を見る。
 「・・・そう、ね」
 さして驚くでもなく、高橋はうつむく。信じていないのか、悪質な嘘だと思っているのか、それとも、それで構わないと思っているのか。面白くない反応だった。
 「それでも、まだ犯されるつもりか?」
 俺は意地悪に言う。だが、高橋は、
 「乱暴にしないでくれたらね。あと、ちゃんとゴム着けてよ」
 やっぱり、困った顔で笑うだけだった。
 あの時の風俗店で、「大丈夫、大丈夫」と繰り返した女の事を思い出す。「大丈夫。みんな、つらいの。あなただけじゃない」そんな事を言われたような気がする。
 また、眼の周りが熱くなる。だけどやっぱり涙は出なくて。
 俺は、困った顔のまま笑う高橋の腕の中に抱かれて、ただ、静かに眠った。



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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。