ray / BUMP OF CHICKENの歌詞考察② ~13年ぶりの天体観測~


※勢いで書いているので余計な情報も読みづらいところもあると思います。
※ラジオや雑誌から得られるような曲の周辺情報は反映されていません。あくまで「歌詞」の考察です。

はじめに

rayは2014年3月12日にリリースされた曲で、ボーカロイド「初音ミク」とのコラボレーションをした事でも衝撃を与えました。

当時ボーカロイドとメジャーシンガーがデュエットすることは珍しく(というか今でも例がほとんどない)、藤原さんの声と初音ミクのコエとが合わさった神秘的なハーモニーは日本の音楽界に吹いた新しい風と言えます。

そんなエポックメイキングな取り組みをした本曲rayですが、もうひとつ画期的な要素がありました。

それはBUMP OF CHICKENの代表曲である2001年リリース「天体観測」と関わりが深い曲だということです。ピンと来ない方もいると思うので大まかに共通点を並べると、

1.歌詞に重なる部分がある
2.2つとも「別離」をテーマにした曲である
3.メインモチーフはどちらも「彗星」である

という3点があります。
上の2点については作詞者が同じだから似たような歌詞になることもあるよねとか、別離をテーマにした曲は他にもあるよねとかツッコミは色々あるかと思いますが、3点目は数々の天体を扱ってきたBUMP OF CHICKENだからこそ、特別な意味を持たせたと感じざるを得ません。

なので今回は「ray」が13年の時を経て再生した「天体観測」であるという仮定を軸に歌詞の考察を行っていきます。

本文<考察パート>

まずは曲の頭から
お別れしたのはもっと前のことだったような
前のことだった!と言い切らず記憶が曖昧になっているように書かれていて、長い時間の経過を感じるフレーズです。

悲しい光は封じ込めて踵すり減らしたんだ
この時点では悲しい光というのがどういうものかは分かりません。光だから彗星のことかな?とも思いますがまだ断定できない。
踵をすり減らしたという表現からは長い道のりを歩んできたことが伺えます。足や靴を踵と表現している曲として「宇宙飛行士への手紙(踵がふたつレンガの道 等)」などもあります。

君といた時は見えた/今は見えなくなった 透明な彗星をぼんやりと、でもそれだけ探してる
透明な彗星は君といた時(過去)は見えたもの。透明と言う表現はガラスのように透明で綺麗なものとして存在してるという表現ではなく、今は存在しないということの喩えです。

しょっちゅう唄を歌ったよ、その時だけのメロディーを。
長い旅路を歩く過酷さと同時に道程を楽しんでるような感じも読み取れます。

寂しくなんてなかったよ、ちゃんと寂しくなれたから。
ぐずぐずと嗚咽しているよりも一度悲しみと向き合ってわんわんと泣いてしまった方が楽になれることがありますよね。「ちゃんと」寂しくなって悲しみと向き合えたから今は寂しくない。

いつまでどこまでなんて正常か異常かなんて考える暇もないほど歩くのは大変だ。楽しい方がずっといいよ。誤魔化して笑っていくよ
大丈夫だ、この痛みは忘れたって消えやしない。
傷がいつか癒えて失くなるとしても、傷があった事実は動かしようがない。「花の名」の「一緒に見た空は忘れても、一緒にいたことは忘れない」のような印象的なフレーズですね。
でもなぜ痛みのような普通に考えると消してしまいたいようなものが消えやしないのが何故「大丈夫だ」なのか。謎を残したまま2番へ続きます。

「理想で作った道を現実が塗り替えてくよ。思い出はその軌跡の上で輝きになって残ってる
2番冒頭はこれまで曖昧だった「悲しい光」の正体が顕になってきます。
現実という自分の辿ってきたルートを彩る思い出が「輝き」つまり「光」なので「悲しい光」は「悲しい思い出」と読み取ることが出来ます。その悲しい思い出は曲の冒頭の「お別れ」と繋がります。

お別れしたのはなんで、何の為だったんだろうな。悲しい光が僕の影を前に長く伸ばしてる
その悲しい別れも時間の経過とともに薄れていく思い出であることが分かります。
悲しい光が過去の軌跡に残してきた思い出であるため後ろから僕を照らして影を「前に」伸ばします。
また影を「長く」伸ばしていることから、光が僕より遙か後ろ(過去)にある事も分かります。にも関わらず、僕の所まで届いているということはとても強い光、それほど強烈な過去なのでしょう。

時々熱が出るよ。時間がある時眠るよ
夢だとわかるその中で、君と会ってからまた行こう
夢にも見る君との再会を胸に僕は前に進みます。ここから2番サビへ

晴天とは程遠い終わらない暗闇にも星を思い浮かべたならすぐ銀河の中だ
星は輝きとも通ずるので、ここではいずれ昇る太陽や雲が霽れることを待たずに、星=思い出を糧に前に進む様子が描かれます。

あんまり泣かなくなっても、靴を新しくしても、
大丈夫だ、あの痛みは忘れたって消えやしない

1番と同じように締めています。

この後続く歌詞が「天体観測」との共通項になっています。
伝えたかった事がきっとあったんだろうな。恐らく在り来りなんだろうけど、こんなにも。
該当する歌詞はこちら
「背が伸びるにつれて伝えたいことは増えていった。宛名の無い手紙も崩れるほど重なった「僕は元気でいるよ」「心配事も少ないよ」ただ1つ今も思い出すよ」
天体観測では「僕は元気でいるよ」と具体的に伝えるフレーズがrayではより抽象的な「在り来りな伝えたいこと」という表現になっています。この抽象的表現に置き換わることでやはり記憶が薄らいでいっているということが伝わってきます。

お別れしたことは出会ったことと繋がってる。
ここへ来てようやく痛みが消えやしないことが大事だったのかが分かります。お別れの悲しみは出会えた時の喜びがあるからこそのもの。お別れをしたことが悲しい光となったのは出会ってから大切な時を君と紡いだことの証明でもあるということですね。

あの透明な彗星は透明だからなくならない。」
今は存在しない彗星は君と「天体観測」した時のもの、今夜空を見上げも観ることはできません。元からないものはなくすことが出来ないのだから、僕が進む理由も失くなることがない。
でも存在しないのならば、見えないのならばどうやって彗星を追いかけているのでしょうか。

おそらく曲名のrayがその答えになっているのではないかと思います。rayはこの曲の「悲しい光」を指していると思われますが、単なる光やぼんやりと光るものならlightとも表現できます。rayは光の中でも指向性のあるもの、光線や光の筋を表す単語です。
「悲しい光」は僕を照らして前に影を伸ばします。横でも斜めでもなく、前に。離別を思い起こさせる「悲しい光」は同時に最後に君と会った「天体観測」の思い出でもあるので、この光が伸びる先にはきっと君がいた時には見えた彗星があるはずです。

〇✕△どれかなんて。みんなと比べてどうかなんて考える暇もないほど生きるのは最高だ!あんまり泣かなくなっても誤魔化して笑ってくよ。
これまでの厳しい道程を思わせる歌詞と裏腹に、人と較べてどうかなんて知らない。生きることはもう最高だと力強く叫びます。
ちゃんと寂しくなれてもう寂しくないから。ちょっとの悲しみは誤魔化して笑ってくことを覚えたからその時だけのメロディーを口ずさみながら進むことができるんですね。

大丈夫だ、この痛みは忘れたって消えやしない。大丈夫だ、この光の始まりには君がいる
最後に曲の本題をもう一押ししてくれるフレーズが締めてくれます。
後ろを振り返ればあまりに大きな「悲しい光」がありました。その大きさ故に更に過去の向こうにある君との出会いを思い出すことは出来ないのかもしれません。でもその出会いを見返すことができないことこそが、悲しみの大きさこそが、どれだけ君と出会えたことが大きくてそこから離別までが大事な時間だったのかの証明です。
だからこの痛みは忘れたと思っても消えたりはしない。過去の悲しい光が今の自分の未来への道標になっているのだから……。

おわりに

rayの抽象化された歌詞は具体的なストーリーがある天体観測に比べて強烈な印象はないかもしれません。しかし抽象化されたことによってよりたくさんのひとを包み込める曲になっているとも思います。
午前2時に望遠鏡を担いで行った過去はなくても、誰しもそれぞれの「悲しい光」を抱えて生きているものですよね。
天体観測から13年、曲の中の「僕」と同様に書き手である藤原さんも聴き手であるリスナーも人生の色々な波を越えてその時の今にいたはずです。
大切な者との離別は誰にもやってくるし、離別があった事実はどうやっても変えることはできない。でもただ悲しいだけではなくて、その過去が自分がいつか見た未来へと後押してくれる光であるというのがこの曲からのメッセージなのかなと思います。

長くなってしまいましたがrayの歌詞考察でした。

この考察だと「君」と出会ったこと、お別れしたこと、今の「僕」、透明な彗星が一直線に並ぶことになるので図解なんかも出来れば良かったなーとも思います。

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