邂逅/BUMP OF CHICKENの歌詞解説④〜いつかきっと誰にも降る別離〜

はじめに

「邂逅」は2024年4月15日にリリースされた楽曲。映画「陰陽師0」の主題歌に起用されています。

そのタイトルにある通り出逢うことをテーマにしている曲ですが歌詞の上では取り分け「再会」としての意味合いが強いように見えます。また「出逢い 」と表裏一体である「別離」が裏テーマになっているようです。

※今回も例によって、勢いで書いたものになりますが読んでいただければ嬉しいです。

本文<ほぼ全文解説>

BUMP OF CHICKEN (以下「BUMP」)の曲には「別離」に関するものが多くありますが、この曲が他と比べ特異なところは別離のラインが明確に「生死」によって引かれている点にあります。それは冒頭の歌詞からも明らかです。

“夜に塗られた水面に月が引いた白銀の道”
“いつかこの足で渡っていく 必ずもう一度逢える”

水面を渡って向こう岸に辿り着くことで再会出来るということは水面が表すのは三途の川で、「あなた」がいる向こう岸は彼岸(あの世)という解釈で間違いないでしょう。

つまり、この叙情的な歌詞冒頭から

「あなた」:亡くなっている

「私」:生きている

という前提が示されます。

(ちなみにこの歌詞冒頭はジャケットのイラストにも表現されています。)


続く歌詞は「あなた」の喪失の大きさを表現しています。

“何も拾わない耳の奥 未だ残る声の火の粉”
“忘れきれない熱を帯びて 只々今を静かに焦がす”

=「あなた」の声が今を侵食するほど頭に残っていて他の何も聞こえない


“誰にも懐かない静寂のけだもの”
“その縄張りの中 息をするだけのかたまり”

=静寂(「あなた」がいないという事実)は言うことを聞かない獣のように私を襲う。「私」はそれが行き過ぎるまでただ息を潜めるしかない。

この時、「けだもの」と「かたまり」がひらがな四文字で対比的に書かれているのも印象深い点です。「静寂のけだもの」と「息をするだけのかたまり」はそれぞれ「死」と「生」のシンボルとも取れます。

次の歌詞がサビに当たるフレーズになります。

“私を孤独にするのは何故 離れたとも思えないのは何故”
“あなたに穿たれた心の穴が あなたのいない未来を生きろと謳う”

僕はこの歌詞を最初に聴いた時、少し釈然としない感じがありました。それは「あなた」が「私」に未来を生きろと鼓舞してくれている、という歌詞に聞こえたからです。

「あなた」と「私」がいくら親しかったとはいえ亡くなってしまった「あなた」の気持ちを勝手に代弁して、「私」を元気づけてくれてると想像するのは、あまりにも「私」の独りよがりじゃないか、と思ったわけです。

しかし、実際の歌詞では『未来を生きろと謳』っているのは「あなた」ではなく、「あなたに穿たれた心の穴」とあります。

では何故心の穴が謳っているのかというのは、この時点でははっきりとは分からず、歌の後半で明らかになっていきます。


その前に続けて一番のサビを最後まで見てみましょう。

“涙を連れてはいけないなら 今だけ子供でいさせてほしい”
“夜明けが星空を迎えに来たら 私の過去が繋いだ未来を選ぶから”

=いつまでも悲しんではいられないけど今だけは子供のように泣かせてもらいたい。(時間が経って)朝になれば、きちんと今まで通りの生活に戻るから。

悲しむべき時にしっかり悲しむことが別離を受け止める為の鍵だということは『ray』の中でも歌われています。

“寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから”

ray - BUMP OF CHICKEN


“些細な風に目を閉じて 二度と夢から帰って来ない”
“泡沫の幾つ見送って 私はぼんやりここにいて”

ここは曲を聴いているとリズムの切れ目から、「目を閉じたら夢から帰って来ない」という文章に捉え間違えそうですが、実際は「二度と夢から帰って来ない」は次の「泡沫」を修飾する節になっています。

二度と夢から帰って来ない泡沫」は単に時間の経過を表しているか、あるいは儚い命の喩えだと捉えられるでしょう。


“捨ててばかりの耳の奥 ちく、と痛い声の火の粉”
“微睡みかけた目を覚ますように 疲れた今を洗って笑う”

歌の前半では「何も拾わない耳」だったのが、ここでは「捨ててばかりの耳」になっています。捨ててばかりという表現だと全く何も拾っていない訳ではないので、立ち直りの兆しとも取れます。ただ実際には前後半で「拾う」と「捨てる」という言葉の対比をしながら曲が単調にならないように言い換えをしているという意味合いが強いかなと思います。

「疲れた今を洗って」とありますが、微睡みかけた目を覚ますために洗うのは顔のはずなので、「私」は洗面所で顔を洗っているのだと思います。

その時ふと目に入る鏡には「疲れた顔」の自分がいるので、自分を励ます為に無理に作り笑いを浮かべているのかも知れません。(ray“ごまかして笑っていくよ”)

または自分の「疲れた顔」があまりにも酷くて笑ってしまったのかも知れませんね。(ラフ・メイカー“アンタの泣き顔笑えるぞ”)

この後から曲は佳境に入っていきます。

※「そばにいて〜」のブロックは解釈解釈の余地がないので飛ばしています。

“嘲るように唸る静寂のけだもの”
“命は譲らずに息をするだけのかたまり”

=「あなた」のいない悲しみは獰猛に「私」を襲うけれど、生きることの希望は負けじとその存在を主張する。


“もう一度逢えたら伝えたい「ありがとう」が生まれた意味はどこ”
“さよなら その先に揺れるこの道 あなたのいない未来に探せと謳う”

「ありがとう」と「さよなら」が対比的に配置されている印象的なこのフレーズはこの曲のミソとなる部分です。しかし、ここだけでは説明が難しいので後の歌詞から解釈していきます。


“私を孤独にするのは何故 離れたとも思えないのは何故”
“夜明けが星空を迎えに来たら 私の過去が繋いだ未来を選ぶから”

“涙はついてきてくれるから”
“死ぬまで埋まらない心の穴があなたのいない未来を生きろとそう謳う”

前半部でも「あなたに穿たれた心の穴があなたのいない未来を生きろと謳う」という歌詞がありましたが、何故心の穴がそんなことを謳うのか分かりませんでした。

そもそも、心の穴がある場所には元々「あなた」との最初の出会いからお別れまでの思い出が詰まっていたと考えられます。「私」の心の中で「あなた」が占めていた部分が、「あなた」との別離によってポッカリと空白になってしまったのです。

逆に言えば、穿たれた穴は「あなた」がいた事の証明になるわけです。(ray“お別れしたことは出会ったことと繋がっている”)


そして「涙はついてきてくれる」(=別離による悲しみはいつまでもなくならない)、「死ぬまで埋まらない」という歌詞から「あなた」との別離とその悲しみは消えることがないと分かります。

※悲しみが消えないというのは他の曲でも歌われています。

“傷は洗ったって傷のまま”

HAPPY - BUMP OF CHICKEN

“大丈夫だ あの痛みは忘れたって消えやしない”

ray - BUMP OF CHICKEN

ここまでを前提にミソとなる歌詞を整理すると、次のような要素になります。

・もう一度あなたに逢えた時に伝えたいあなたへの感謝(ありがとう)がある。

・あなたへの感謝が生まれた意味は「あなたのいない未来」に探すもの。

・「あなたがいない未来」は、過去であるあなたとの別離(さよなら)の先にある。


「私」の運命は「あなた」と出逢ったことによって、既に「あなた」に出逢うことがなかった人生とは全く別の路線を辿っています。
もっと言えば「あなた」と出逢った以上、たとえ「あなた」を失ってしまったこれから先の未来もずっと「あなた」の影響下にあると言えます。なので「私」が生き続ける限り、「あなた」へのありがとう(「あなた」と過した時間)の意味を増やし続けることになるのです。


分かりづらい解釈になったかもしれませんが、“あなたに穿たれた心の穴があなたのいない未来を生きろと謳う”という歌詞は「あなたと出逢い過ごしてきた時間の大切さはこれから先の未来を生きることによって大きくなっていく」言い換えることが出来るんじゃないか、ということです。

このあと、歌詞は「そばにいて〜」のブロックに入り、次のフレーズで締めになります。


“いつかこの足で渡っていく”
“必ずもう一度逢える”

冒頭部分の歌詞をリフレインするような形になっているのですが、僕には最初に聞いた時とは大分印象が変わって聞こえます。

冒頭部分では「私」は悲しみに暮れていて、ともすればもう一度「あなた」に再会できるのなら今にでもこの水面を渡っていくぞ、という危うささえ感じました。しかし最後の部分に至っては、いつかは自分も死んで「あなた」に再会できるのだから、それまでは生きて「あなた」へのお土産話を蓄えておこうと言えるぐらいに「別離」を受け止められたのだろうと思います。


BUMPの歌を聴いていると別離とは、乗り越えたり消化したりするものではなくて、ずっとあり続けるものだから上手く付き合って、受け止めていくものなのかなと感じます。

まとめ

総括としては「邂逅」は、大切な人との死別を経験した時にどのように向き合い、受け止めていくかという内容の歌でした。

亡くなった人が私自身の生を理屈付けたり、赦してくれるわけではないので、そこは自分がうまく折り合いをつけていくしかないんですよね。でも折り合いをつけることは大切な思い出を穢したり、なくしたりすることとは違うわけです。

この解説記事の最初の方では「邂逅」はその歌詞から再会の意味合いが強く見えると書いていますが、一通り歌詞を読み砕いていけば、実は「あなた」と初めて偶然に出逢ったことこそが真に「邂逅」の意味するところなのかもしれません。

以上が今回の歌詞解説になります。

一番核となる部分の歌詞の解釈が難しく、他の曲から読み取れるBUMPの「哲学」のようなものに照らしながら読み解いていきました。特に前回までで解説をしているray、HAPPYを中心に取り上げています。


もしもここまで読んでくれた方がいらっしゃるならまずは感謝を伝えたいです。 

また、「ここの解釈は間違ってるんじゃない?」とか「この記事では言われてないけど自分はこういう解釈があるよ」というのがあれば聞いてみたいですね。

ともあれ、この記事を目に入れてもらい誠にありがとうございました。


補足事項

《補足1》前後半の比較①

“その縄張りの中 息をするだけのかたまり”
“命は譲らずに息をするだけのかたまり”

前半ではけだものから逃れ、息をすることしか出来ない弱々しさが表現されていますが、後半では、息をすることこそが生きていることの必要十分な条件であって、それだけでもけだものと張り合えるんだという力強さが伺えます。

驚くのは「息をするだけのかたまり」という部分は共通で「生」の本質は何も変わっていないという点です。文脈でこんなにも印象を変えられるものなんですね。


《補足2》前後半の比較②

“涙を連れてはいけないなら”
“涙はついてきてくれるから”

前半では大人として悲しみを割り切ろうとする様子が歌われていて、後半部分では悲しみというものはなくそうとしてもそう簡単にはなくなるものではないという比較がされています。

ただし“消えない悲しみがあるなら”……

《補足3》「謳う」について

BUMPの歌詞では名詞は「唄」、動詞は「歌う」と表記されるパターンが多いですが必ずしもこの法則に従うわけではなく、今回はあえて「謳う」という表記になっています。

“あなたのいない未来を生きろと謳う”なので、「生を謳歌する」ことを伝えようとした末のチョイスなのかなと思います。


《補足4》「揺れる」のは何故

“さよなら その先に揺れるこの道”

さよならの先にある道が揺れているのは何故なのか。冒頭出てきた白銀の道なら水面にあるので揺れているのかなとは思いますが歌詞の流れとしてはその道ではなさそうです。

「あなた」と別れた後にぼんやりと見えてきたものだからこういう表現になっているのか、それとも別れの後だから涙が滲んで道が揺らいで見えるのかもしれません。



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