HAPPY/BUMP OF CHICKENの歌詞考察③〜最後に全ての世界がひっくり返る〜


※歌詞の全編解説は行いません。
※作詞の背景にあたる情報なども取り扱ってるような考察・解説ページがたくさんあると思うのでそちらをご参照ください。今回は扱いません。

☆「HAPPY」というにはあまりに不穏な歌詞


「HAPPY」は2010年シングルとしてリリースされた他アルバム「COSMONAUT」に収録された楽曲で電波が乱れたような弦の音から入る印象的なイントロから聴く人の心を捉えます。

そんなこの曲ですが「HAPPY」という名前から想像通り誕生日を祝う歌です。曲の中にはコーラスで「happy birthday」と歌われているのがわかると思います。ところが聴いているとどうにもクラッカー鳴らしてお祝い!という感じでもない。
違和感が決定づけられるのはサビの頭このフレーズです。

悲しみが消えるというなら喜びだってそういうものだろう

普通に歌詞を書くとしたら「喜びが消えるというなら悲しみだってそういうものだろう」とすると思います。そうすれば前半の「悲しみが消える」というネガティブなワードを後半の「悲しみだってそういうもの(消える)だろう」によって打ち消してポジティブな意味合いにできるからです。
サビの頭という曲の中でも最も目立つ位置に「喜びだっていつか消えるぞ」なんていうのはとてもHAPPYな歌に聞こえない

☆悲しみの先に見える希望とは


2番が終わり大詰めの部分でもこの「悲しみが消えるというなら〜」というフレーズは繰り返されます。他の歌詞は歌の進行とともに希望を感じさせるものになっていますが最初に気づいた違和感が曲の終盤までしっかり形を残しているわけです。

そして終わりの間際にこの歌詞が歌われます。

消えない悲しみがあるなら
生き続ける意味だってあるだろう
どうせいつか終わる旅を僕と一緒に歌おう
Happy birthday

悲しみが消えるようなものなら確かに喜びも消えてしまうかも知れません。でも大きな悲しみは傷跡として残るし、優しい言葉という雨で洗い流したところで傷のままであることに変わりはないです。
逆手に取れば大きな喜びだって何をしたって消えるものではないし、生き続ける意味にだってなるのです。しかも毎年その日になれば祝うような最も大きな「生」という喜びをどんな人間も生まれた時から必ずみんな持っているんです。

最初の時点ではHAPPYという名に似つかわしくないネガティブな曲に聞こえていたものが、最後のフレーズによって意味合いがひっくり返り
「幸せ」というものを突き詰めた時どんな悲しみも打ち勝てないような「生まれたこと」という究極の答えがあるとを諭してくれる。
歌詞の中にこんなどんでん返しを準備されているとは思わず最初にこのトリックに気づいた時は思わず目頭が熱くなっていました。

作詞の藤原さんは詞の中で多くの対比や視点の反転を用いながらその曲のストーリーを組み上げていきますが、この「HAPPY」においてはその技巧が一際光っているように思います。

どんな悲しみに会ってもそればかりに囚われずに生きていけたらいいなという気持ちになれるHAPPY。紹介しなかった部分の歌詞も素晴らしいのでまだ聴いてないというひとも聴いてもらってじんわりとした感動を味わってもらいたいですね。

☆余談:もうひとつの解釈。


先程は「悲しみが消える」ことと「消えない悲しみがある」こと、「喜びだってそういうもの」であることと「生き続ける意味だってある」ことを対比の関係として解釈しましたが、もうひとつこのフレーズを解釈の仕方があります。それは消えない悲しみ自体が生き続ける意味であるという考え方。

BUMP OF CHICKENの歌詞では悲しみが必ずしもネガティブな意味合いのみで語られるわけではありません。前回取り上げた「ray」では「悲しい光が僕の影を前に長く伸ばしてる」と言っていて悲しい思い出が先行きの道標になっていると考えられます 。
最近の曲(「窓の中から」)でも「痛くないことにした傷が見失わない現在地」という歌詞があり傷には傷の役割があるとも言えます。
傷や悲しみを歓迎こそしなくていいものの自分のコンパスとして許容できるというのは人生において必要な心構えかもしれません。

ただこの曲に関しては悲しみ自体が生きる意味だと言ってしまうとHAPPYの要素に付け入る隙がないので本線ではなさそうです……

でも色んな考察ができるというのも曲の深みですよね。BUMP OF CHICKENの曲はいくら聴いてもまだ自分の理解が足りてないって感覚があります。これからもたくさん聴いていこう。

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