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かぞくのかたち

わたしはいちおう、お母さんである。二人の子どもがいて、一人の夫がいる。長野県でわざわざという会社を経営していて、この仕事を11年やって生きている。

そして、一昨年、家を出た。

家族と離れて暮らすようになって1年半が経過したことになる。子ども達は週5日間もともと住んでいた家でお父さんと過ごし、週末の2日間はお母さんのアパートに泊まりに来る。夫とは一緒に仕事をしており、子どものことも連絡しあいそれなりの協力関係がある。

離婚はしていない。これは俗に言う別居なのだろうか。所謂、別居という言葉には不幸の味が伴っている気がして、心とぴったりフィットはしない。今、わたしはそれなりの満足を感じているし、恐らく子どもや夫もそれなりの満足を感じているのではなかろうか。

人はこれを果たしてこの形を家族と呼ぶのだろうか?
呼ばなかったとして、人に家族と呼ばれないものは
家族ではないのだろうか?

大事なことは、自分と自分を家族と呼ぶ人が
心身ともに健康であることではないだろうか。

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物心ついた頃から父親と祖母と兄の4人家族であった。4人の家族はお互いが個として自立しているような、個人が寄り集まって生きているような家族であったと思う。兄とは7つ年が離れていたので、兄の進学と同じ時期、小学校高学年で父親と祖母の3人暮らしになった。だからといって兄と家族ではなくなったと思ったことはないが、今改めて考えてみるとあの大学に行った日から、兄は家族ではなくなったのかもしれない。

何十年も一緒の家に住んでいないのだから、言葉として指す家族の形に今は兄は入っていないことになる。自然に口をついて出る家族という言葉は、一緒の家に住んでいるという現実を指していて、血の繋がりを示すものではない。現に一度も一緒に住んだことのない血の繋がった母親のことを、わたしが今まで家族だと認識したことはないのだ。

一緒に住んでいると住んでいない。
一緒に住んでいる方が価値が高いから、家族と認められるのだろうか。

また、世の中には血が繋がっていなくても、一緒に住んで家族という形式になっている家もたくさんあろう。どちらが家族でどちらが家族でないということは、ないのである。

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一人暮らしを始めたらうまくいくかと思ったのに、たちまちバランスが崩れていった。かろうじて保たれていた仕事と家の境界線が消え、家でも四六時中仕事をするようになった。外食も多くなり食生活が乱れた。休みの日は疲れ果てて殆ど寝るばかりになって、子どもと会う時間も減っていった。

数ヶ月経過してから、自立することを目標に自分なりのルールを決めることにした。40代半ばになってようやく自立である。生活の核に仕事と子どもとお金を置くことにした。3つのことをバランスよくやればきちんと生きられそうだ。自分自身をまずどうにかしないと、家族の話に及ばない。

1.休日に仕事をしない
2.週2日間を子ども達と過ごす
3.お金を自分で管理する

これだけ。今までこんな簡単なことさえできなかった。1番と2番はセットのようなもので、子ども達と会うサイクルを作ってしまえば、自動的に仕事はできなくなる。

3番がやっかい。わたしは数字が好きだ。会社の経営に関する数字は大好物で分析などはすごく好きな仕事の一つ。なのに、自分の生活のお金となるとやったことがない。まず、口座がどこにあるかわからないし、保険にいくつ加入しているのか、普段の支出がいくらかも全くわからない。本当にひどかった。

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ルールを決めてから、わたしは変わった。

時間が増えて集中して物事を考えられるようになった。また、心身の疲れを癒す時間を十分に取れ、健康的になったと思う。休日に仕事をするという頭を外して平日をスケジューリングしていけば、あっという間にリズムができた。子ども達と目一杯遊ぶという目標ができると、平日の仕事もモチベーションがあがりメリハリがついてよくなった。

子どもとの関係性が大きく変わった。週に2日しか会わないので、じっくり向き合うようになった。2日間は子どものことしか考えない。一緒にボードゲームをしたり散歩をしたり料理をしたり、色んなことを話しながら生活をする。これまで仕事をしながらの片手間だった子育てが、お互いにお互いを思いやる時間に変わった。これが一番の収穫だった。一緒に住んでいた頃より、今の方が子ども達と近く感じている。

学校が休校になってしまった長女が特に心配なので、会えない平日にはお弁当を作って持っていったり、散歩を一緒にしたり、毎日メッセンジャーでニュースを報告しあうことにした。ニュースサイトを見て一番気になったニュースをお互いに紹介する。時事問題について話し合うということも、一緒に住んでいた頃はできていなかった。会えないからこそ何とかコミュニケーションを取ろうといういう姿勢が、わたし達を変えたくれた。

子ども達のことを愛している。安らぎを与えてくれる唯一無二の人たちだ。だけど、子どもはひとりの人間でわたしの所有物でなく、彼女自身を生きていることは間違いない。そして、わたしも親という一役割を担っているだけど、自分自身は紛れもなく自分自身を生きている。これからも一人の親として協力は惜しまず愛することをやめず、見守っていくことをそっとここに誓おう。

お金のことが一番時間がかかった。1年ほどかけて徐々に解決していった。法的な手続きや書類を記入すると、頭が痛くなってきてすぐ投げ出したくなった。気が向いた時に調べて、数ヶ月かかって自分の口座を作りカードを作り、家計簿アプリでお金を管理するようになった。NISAやiDeCoに加入したり、株式投資を始め資産運用も再開した(事業開始前はやっていた)。自分のことを自分自身で考えて自分でやっているという充足感で、前向きに人生を考えられるようになった。

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今、わたしの考えるかぞくのかたちは、一般的なかぞくのかたちとずいぶん違ってしまった。お互いが干渉せずに好きなように生きる自由を獲得しつつ、緩やかに繋がっているくらいがちょうどいいと思っている。お母さんがそう思っても子どもはと言われそうな気はしているが、しっかりコミュニケーションを取っているので、それ以上に特に言うことはない。子ども達を信じているし、自分自身の価値観を大切にしたいと思う気持ちに変わりない。

恐らく今後、この50年ほど培われてきた「かぞくのかたちのふつう」は、何を持って普通と定義するのかが曖昧に溶けていくだろう。同居か否か、血の繋がり、性さえも曖昧になり、自分自身がどう家族というものを捉えるかが重要になってくる。戦後、わたし達を支えてきた物質的な豊かさが当たり前になり、心の豊かさがますます問われることになるだろう。

今は、生きているという感じがする。真の豊かさとは、自分自身を認め生きていると実感できることになるのかもしれない。

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この文章は、「ひふみ」とnoteがコラボした「#ゆたかさって何だろう」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

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2009年に長野県東御市の山の上で、「パンと日用品の店わざわざ」を開業しました。一人で始めた店にだんだんと人が集まり、実店舗とオンラインストアでパンと日用品を販売しています。2017年に株式会社わざわざを設立。代表取締役兼何でも屋。

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コメント (1)
はじめまして。
今の私の気持ちとほとんど同じ方がいらして、そしてそれをこのようにわかりやすい文章にされていたことに、正直とても驚きました。
私はこれまでの家族形態を「卒業」という形で表したく、今後どんな方向に向かっていけるのか自問自答しています。
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