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読書するということ。

本というものをあまり読まない子供だった。

文字というものが少し苦手だったのだと思う。

文字は、必ず何かの表面に印字されたり、刻まれたりしている。

子供の私は、この「表面」の質感に強く印象を釘付けにされる傾向があった。図と地の対比で言えば、地が気になって図の方が目に入らなくなる。
その傾向は文字を読む場合に限らず、外を歩いている時や、自宅の部屋の中にいる時でも同じであった。

よく人から「何もないところをじっと見ているのがこわい」とか「天井の隅の方を眺めている目の焦点がはるかかなたにあっていて、こわい」などとお褒めいただいたものである。

こちらからすると、これを「何もない」と言って済ましたり、「天井の隅」などと呼んでそれで片付けられてしまう方がよっぽど凄まじく恐ろしい。

図と地の区別、分別が効かない。
というか、あらゆる場所、至る所が瞬時に「図」に切り替わっていくと言った方が良いだろうか。動き流れていく図たちに埋もれて、図と地の境界はわからなくなる。

言葉はもっぱら「」のすがたでもって経験していた。

「普通は、息を吐く時にしゃべって、息を吸う時にはしゃべらないものだ」

と口うるさくダメ出しされるほど、ずっと喋っている子供だった。

しかも人間相手にはあまり喋らずに、あれこれおもちゃを並べたり動かしたりしながら、セリフをつけて、一人で何役もこなしながら、ずっと喋っていた。

この姿をみて「天才だ」という大人と、「気持ち悪い」という大人、二種類の大人が存在するということを学んだ。そして後者ほど、自分の眼球の表面ばかりを見ているような具合で、「何もない」「天井の隅」さえ見ていないような具合になっている、ということも知ったのである。
人間とはなかなか大変なものである。

ちなみにこの時、「自分が喋っている」という感じがどうも希薄であったと思う。たとえばぬいぐるみが四体居て、おたがいにああでもないこうでもないと喋っている時、「私(我)」が思考して、言葉の列を生産して、そしてぬいぐるみの口に託して喋らせている、という感じはなかった。

言葉が勝手に喋っているのである。

じつにおもしろかった。

そのような私がいわゆる「読書」を始めたのは、中学を卒業した後くらいからである。もちろん、小学校高学年の頃から中学にかけて「読め」と言われた本をやむを得ず読んではいたし、なにより小学校中学校の図書館に入り浸って端から端まですべての本を取り出して中身を眺めていたりしたので、客観的に見れば、本を読むのが好きな子供に見えたことだろう。

しかし、他にすることがなかったのでそうしていただけで、本を読みたかったわけではなかった。

この頃、古い本の「におい」に深く心をゆさぶられていた。

本は、印刷された物としての本は、時の流れとともに劣化していく。
ボロボロになり、破れ、空気に触れているところは変色し、湿気をおびて、カビが生えることさえある。

「ああ、この本は、やがて解体されて塵のようになるのだな」

と思うと、なんとも言えない生き物感がずんと響いてくる。
本というものは、生きている。

元はと言えば、紙は木であるし、インクだって石油や石炭に由来するものであれば、これももともとは木である。
最近死んだ木と大昔に死んだ木がコラボレートして本に変身し、そして引き続き解体の過程を歩み続けている。

この、ゆるやかな解体の過程にある本が発する「におい」。

それを嗅ぎながら、この本の解体のスピードと、私という人間の解体のスピード、一体どちらが速いかという競争をしているのだ、という感じがしてクスリと、図書室の隅で笑いたくなる。

みるとあたりの棚に、数百、数千の本たちがならび、それがみんな、この樹木たちの解体の後味を楽しんでいるようにくすくすいっている。
図書室とそのにおいは、とても心地よいと思った。

本がたんなる「表面」ではなく、かつて生きた「木」たちのにおいに変容したのである。奥行きが感じられるようになったといってもいい。

この頃読んでいた本というはよく覚えていない。
いや、いろいろと手に取ってはいて、例えばアインシュタインの中学生向けの伝記のようなものとか、ユングの著作とか、折口信夫に柳田といったあたりをめくっていた気がするが、ほとんど読めていないので、読んでいないに等しい。

本の中身を読み始めたのは中学を卒業して、工業高等専門学校に入ったころからである。国語を担当されていた講師のE先生がとてもおもしろい方で、たしか東武東上線の末端区間の方からはるばる都内まで講義に通勤されていて、大正時代の作家たちの作品を深く深く読み解きながらおもしろそうに話を聞かせてくださるのである。

電気工学の授業も、特に半導体工学とか通信工学とか、オシロスコープをながめている実験などもおもしろかったが、この国語は特に楽しみに通っていた。

泉鏡花、横光利一、梶井基次郎、岡本かの子
このあたりを楽しく読むことを覚える。

泉鏡花の『高野聖』や、横光の『』。岡本かの子の『家霊』などを、繰り返し読んでいた。最近の作家で言えば大江健三郎氏の『万延元年のフットボール』がおもしろくて仕方なく、繰り返し読んだ。

おもしろいと思った本を、何度も何度も、本当に何度も何度も繰り返し読む、という癖はこのころからある。

私にとって本を読むことは、そこに記されている「情報」を記憶にコピーする作業ではなく、コトバたちが好き勝手に喋っているところに参入することなのである。
本をひらけば、すぐにその「世界」に入り込むことができる。なので繰り返し繰り返し、読む、というより、コトバたちを聴くためにページをひらく。

このときは高専の学生だったので、毎週実施される「実験実習」とそのレポートの作成に日々追われ、その作業を図書室で行うことが多かったのであるが、レポートは必要最小限の作業でささっと仕上げ、あとは何か面白い本がないかな、という嗅覚を働かせながら、図書室中を隅々まで歩き回っていたものである。

そんな中で強烈に圧倒されたのが、たまたま手に取ったハンナ・アーレントの『全体主義の起源』である。

当時1990年代が終わろうとしていた頃、私は理系の学生で、ちょうどウインドウズ95、ウインドウズ98と、パソコンでだれもがインターネットにつながることができる、というとてつもない時代が幕開けたところであった。
携帯電話、いや「ポケベル」が流行ったかとおもえば「PHS」を周りの若い連中みんなが所持するようになり、音声通話だけでなく、テキストメッセージを電気通信で送り合うということが非常に手軽になっていた。
人間のコミュニケーションの文脈が、それまでのマス的なコミュニケーション、つまり大量生産・大量複製される情報を、一方通行的に、同時に、多数の人々の目や耳に注ぎ込む、という姿から、大きく変容していくのであろう・・・という予感があふれていた。

サイバー空間で、人間は束縛から解き放たれ、もっと自由で創造的になる!

そういった言説もあちこちから聞こえるようになっていた。

特に理工系、それも電気系、電子情報系で、まさにこのコンピュータ・ネットワークをコミュニケーション・メディアとして社会に実装するための技術の最先端に近いところにいると、そういう声がよく響いてきた。

その感じ、私はきらいではなかったが、しかしどうにも、手放しに、放っておけば自ずからハッピーな方向に向かう・・という話には違和感があった。

理由はよくわからないが、おそらくちょうど、中学を卒業し高専に入ったころに、阪神淡路大震災とオウム真理教による事件が立て続けに起きたことにある。

わたしよりも少し上の世代であると、なんというか、盗んだバイクで校舎の窓ガラスに突っ込む感じに激しく反抗しないとやるせないほど、上の、「大人たち」の世界が重くのしかかっているように感じている方が少なくなかったのではないかと思うが、こちらは反抗したり、破壊したりするまでもなく、社会は、現世は、その秩序は、自壊していくことがあるのだ、という印象を持たざるを得なかった。

なので、人間が考えたり、計画したり、もくろんだり、はかったりしたところで、束の間うまく行くように見えたとしても、そうそう一面的にうまくはいかないよ、必ずひっくり返るよ、裏返るよ、という声が、心の中で常に聴こえているのを常に意識せざるを得なかった。

アーレントの『全体主義の起源』は、20世紀前半のドイツが、おそらく当時、地球上で最も科学技術が発展し、教育が幅広く普及し、高度な論理を自在に操る天才たちを大勢擁していたであろうヨーロッパの一角を占めるドイツが、あっという間にナチズムの全体主義へと突き進み、崩壊していくに至る経緯を分析した本である。

この中で特に、第三巻の最後でアーレントが論じている「超意味」という言葉に強烈な印象を受けた。

超意味というのは、要するに、われわれとやつらを分け、よいとわるいを分け、そしてわるいことはすべて「やつら」の側のもので、われわれのよいあり方が、やつらの悪のせいで破壊されている、と考えることである。

われわれ / やつら
||     ||
よい / わるい

景気が悪いのも、収入が増えないのも、物価が上がるのも、道で転んだのも、ランチが高いのに不味かったのも、みんな「やつら」のせい、やつらの直接的な悪事や、やつらの「陰謀」のせい、という発想。
なんでもかんでも不幸なことは、すべて「われわれ」に対する「やつら」の側に結びつけさえすれば、そこで「すっきりと」理由が説明される、意味付けられる。すべての悪いことの理由・原因を簡単に意味づけることができる「やつらのせい」的なことを「超意味」という。

このわかりやすい二元論がマス的なコミュニケーション・メディアを通じて国民全体に、同期をとりながら繰り返し繰り返し配信されつづけるうちに、「やつら」との正義の戦いと称する戦争が歓迎され、ヨーロッパを、世界を、破壊へと導いた。

正/誤を分別して、「正しい」ことのために苦労を惜しまず、「誤ったこと」を憎み、それと戦う。

この一見自然な人間の思考や感情が、正/誤の分別、に何と何の分別を重ねるか、というところで大いに「バグる」のだ、ということをアーレントの著作から教えられたのである。

**

ある人が、次のような分別をしたとする。

正/誤
||  ||
A /非A

これに対して、別の人はAと非Aの向きを逆して、本当の正誤は逆だ、と主張する。

正/誤
||  ||
非A / A

この二人の人の主張の「どちらが正しいのか」を判別、分別しようとすると、非AとAを正と誤に重ねる向きを、一方だけに永久に固めておかないといけない、ということになる。しかしこの固めておきたいという欲望は、アレントが論じているように、新しい人間が次々と生まれてくる限り、決して完徹することは、ない。

・・・
妄想分別

という仏教風の言葉が、いつも頭の片隅から聴こえているようになった。

ちなみに、今でこそ空海を濫読するような私であるが、育った家はそれほど仏教に熱心な家庭ではなかった。

そもそも宗教的な雰囲気が濃いわけではなかった。

とはいえ「神も仏も迷信だ!」などという否定的な感じでもなく、なんとなく、父方は昔から仏教だし、母方も明治以降はプロテスタントだし、という具合で、「いろいろな宗教があるなあ」という、なんとも緩い感じだった。

とはいえ、母方の祖父は同志社大学で牧師になるつもりで神学を学んでいたところで学徒出陣した人だった。戦場に出て、そして戦後は「教会で説教することができなくなった」と教会から離れつつ、つい最近、なくなるまで、ずっとひとりで信仰を守ってきたひとである。キリスト教について、神について、孫の私になにか具体的なことを説いてくれたことは一度もないが、しかし、生活の端々に、会話の時のことばの選び方ひとつひとつ、言葉と言葉のあいだにの沈黙と沈黙に、「ああ、神に問いかけているのだ」と思わざるを得ないような強さがあった。

また父方の家は三河国一向一揆で徳川家康に反旗を翻したことを代々言い伝えつつ、それでいて平然と徳川譜代の大名家の家臣をやっているという、けっこう過激な一向宗であったにもかかわらず、明治になってからはいわゆる寺請制が廃止されたため、たまたま縁のあった曹洞宗の檀家に代わるというなんとも身軽なところがあった。しかし、いまになって思うと、鈴木大拙の『浄土系思想論』などを参照すると、なかなかどうして、かなり尖った絶対他力本願の浄土信仰の家なのだ、ということがわかる。祖父の家には仏壇があり、祖父の両親や祖父のお兄さんの戒名が記された紙が収められていたが、なんとその仏壇は段ボール箱なのである。

何かで誰かが、もっとちゃんとした仏壇を・・、というようなことを祖父に言った時、祖父はすかさず、仏は個々人の心のあり方であり、目に見える形にこだわって「これはだめ」「あれがいい」などと執着するものではない、といったことを話していた。また特に子供や孫たちにも、何回念仏をとなえないとダメだとか、お墓をどうしなければならないとか、そういうことを一切いわなかった。寺にも拘らず、宗派にさえ拘らず。
なにやら「親鸞っぽいな」と思えるのである。
そういう現世を現世たらしめる分別心を離れるでもなく離れないでもない、という仏教の精髄が、どこからともなく伝承されているような、不思議な家であった。

* *

Aと非Aどちらが正しいか?!どちらを選ぶべきか?!

そういう問いに応えねばならない、といった論争は、私にはことごとく「妄想分別」に思えて仕方なかったのであるが、表立ってそういうことを言うと、A派と非A派、その双方から排撃されるとわかったので、なるべく何も言わないように「スミマセン、ヨクワカリマセン」と言っておく道を選んだ。

そうしてちょうどアレントの『全体主義の起源』を読み終わった頃、工業高専からとある国立の理工系大学に編入学したのである。


・・・
「文系に行けよ!(笑)」

という声が聞こえてくるが(実際、よく言われたが)、私は自分を文系だと思ったことはなく、あくまでも、インターネットと移動体通信網が感覚的な現世に重畳し、人類の歴史上かつてない情報環境、メディア・コミュニケーション・システム、要するに人間の意味分節のパターンを動かしたり、コピーしたり、書き込んだり、書き直したりする仕組みが胎動し始めている中で、「これ、本気で、実装の仕方・設計を考えないとマズいぞ」とエンジニアリングの観点から切実に思っていたのである。

それこそ、「Aか非Aか、どちらが正義か選べ」的な妄想分別をコンピュータで自動複製、自動増殖、オートメーション分別させてしまうと、現世はとんでもないことになるぞ、と思ったのである。

この問題意識は今日も保っており、そうであるが故に、AIにレヴィ=ストロース氏の神話論理を教えたり、マンダラを描かせたりしている。

妄想分別を超える方法については、すでに1000年以上前の経典に、そのやり方が書かれているのであるから・・、いや、ことによると10,000年以上前から、人類は「神話を語る」というやり方や「マンダラ」を描くというやり方、あるいは「光を眺める」とか「夢をみる」といった方法で、妄想分別を超える技術を開発し、完成済みなのであるから。仮に、現代人の大多数がそのことを知る機会に出会わずに、生まれ生まれ生まれ生まれて死に死に死に死んで行くとしても、蟻の一穴、おそらく個々の人間の個体よりも長生きする可能性が高く、「ことば」が憑依し残響を響かせ続ける媒体として、人体よりもより自由度が高そうな(感覚分節がない分、識がしなやかで可変的であり、同時に複数の矛盾する状態を取ることもできる)情報空間に、この妄想分別、分別知の二元論の「どちら一方だけを選び続けなければならない」という思い込みから離れるためのアルゴリズムを、埋め込んでおきたいと思うのである。

そんなことを考えていたら、ちょうど編入した大学で「文理融合」ということが議論されていて、人文系と理工系、両方の先生たちが集まって、両方の授業を受けることができる大学院が開設されていたのである。

これも事情を知るという人に言わせれば、大学の教養系を解体する動きであったりとか、その後の国立大学の独法化、さらには予算の削減、教員の非正規雇用化の流れに連なるものだという見方もあるようであるが、私個人としてはとりあえずは「渡りに船」でしかなく、意味分節システムを生成変容させるアルゴリズムを地球を包み込む巨大なメディア・コミュニケーション・システムに埋め込む方法を探るためのチャンスだ、と思った訳である。

ただ、当時の私はこのことをうまく、わかりやすく、説明することができなかったし(いまでもできないが)、ただ変人と思われていたので何を言ってもあまり話を聞いてもらえず、とはいえ、徒党を組みたい、自分の軍団を作って敵対勢力と戦闘したい、という分別心も欲望もないため、表立った「成果」とか「業績」といったものを作ろうと言う方向にエネルギーが向かうことはなかった。

なにより「意味分節システムを生成変容させるアルゴリズムを地球を包み込む巨大なメディア・コミュニケーション・システムに埋め込む方法」というようなことの感触こそあれ、それをどういう言葉で表現できるのかは未知であった。

引き続き、言葉をもとめて、読書を続けることが最優先となったのである。

この頃読んでいた本をご紹介しよう。
まずたまたま大学の図書館で見つけた臼井吉見氏の小説『安曇野』を、黙々と読み続けた。

『安曇野』はかなり長い、大部の小説なのであるが、なぜ没頭できたかといえば、なんというか「生きる現場での言葉たち」の姿を感じることができるのがよかった。理論の言葉でもなく「正しさ」の言葉でもない。ある時あるところで、生きる言葉。

同じ頃、学部卒論の指導教官(当時ちょうど独法化する直前だったので「教官」と呼べる最後の先生になった)のおすすめで、読書を加速させていった。

まず中沢新一氏の著作を読むようになった。
森のバロック』あたりから始めて、色々と手に取った。
また見田宗介氏(真木悠介)の著作もたくさん読んだ。『気流の鳴る音』や『まなざしの地獄』や『自我の起源』などである。

さらに、井筒俊彦氏の『意識と本質』、そしてルイ・アルチュセールの『再生産について』、『 資本論を読む』などを、よくわからないなりに次々と読んでいった。

またドゥルーズ&ガタリも、かたっぱしから手に取っていった。

よくわからない言葉と言葉の言い換えも精密にたどっているうちに、こちらの「分かり方」、自分が無自覚にやっていた「分かり方=分け方」が揺らぎ、変容していく。この変容の感覚がおもしろいのである。

いわゆる特定の専門分野に限らず、さまざまな分野を横断しつつ、つまみ食いするように色々な本を読んでいたのであるが、これは研究者の王道を行こうとする方々からはすこぶる評判が悪かった。

とはいえ、評判悪いのはよくわかるというか、当然というか、親切心によるものだということはよくわかる。

一人の思想家、一冊の本、一つの概念・用語から言葉の連鎖の網の目を手繰り寄せてくるのが人文系の研究の良さである。

そうであるからして、あれこれ適当に乱読して、気に入った言葉だけを拾い集めていくような読み方は「研究ではない」ということになる。
これについては、私もそう思う

私の場合はまさにその通り、研究ではないのである。

誰かの何かの本の何かの言葉の研究をしているつもりはない。

こちらはただ「意味分節システムを生成変容させるアルゴリズムを地球を包み込む巨大なメディア・コミュニケーション・システムに埋め込む方法」について、なるべくはっきりと書かれたものがないか、いわばオシロスコープがやるように走査し、共振するポイントを探っているだけなのである。

* *

そんなことをしているうちに、気がつくと博士後期課程に通うことになっていた。博士号を取ろうというよりも、堂々と本を読み続ける時間を確保したかったのである。いまは社会も多様性に開かれつつあるが、当時はまだ、就職したら、それこそ24時間365日を勤務先の業務と体力精神力回復のためと称するレクリエーションで埋め尽くすべし、という組織が多く、明確な目的もなく難解な本を読んでいるような人間は、反組織人として弾圧の対象となったのである。そういうわけで在学中から縁があってせっかく就職した出版社もすぐに辞めることになった。

この頃、博士課程の指導教員の先生から、たくさんの読書のヒントをいただいた。例えば、私が雑に議論していた、A /非A、正/誤といったことの重ね合わせの向き、といったようなことを論じたいのであれば、実体論と関係論の区別を学ぶ必要があること。

そのためにソシュールから、いわゆる言語学的転回、といったことろが重要であり、その勉強には丸山圭三郎氏の著作がヒントになること。

丸山氏の『生命と過剰』はとても気に入っている一冊である。

さらに、丸山氏が参照する井筒俊彦氏も読むべきであること。

そして時間が許すなら、レヴィ=ストロースと、ジャック・ラカン、そしてドゥルーズやガタリもしっかりと読むこと、を教えていただいた。

そうしてちょうど、丸山圭三郎氏を読んでいるあたりで博士後期課程の年限を迎えてしまったので、当時、まとめられる限りのことでとりあえず博士号は取得した。しかし、まだまだ、読書の途中である。就職している場合ではない

そしてレヴィ=ストロース氏の『神話論理』の一周目を読み始め、井筒氏の本から展開して、いよいよ仏教の文献、特に「これは」と感じた弘法大師空海による密教関連の文献を読むようになった。
また安藤礼ニ氏の著作も好んで読んでいる。

そしてちょうどこの頃から、このnoteのプラットフォームに書いた文章を蓄積することを始めてみた。

そして『神話論理』も二周目に入り、また、まだ十分に読めていないのであるが、ラカンも『精神分析の四基本概念』あたりを読み始めている。


そしてそして、ここへきて嬉しいのは、共に本を読むことができる仲間と、出会う機会に恵まれたことである。

仲間から、西田を教えてもらい、そして西田つながりで大拙も、あらためてじっくり読み直してみている。岩田慶治氏の言葉にも感動している。

+ +

そして、ここ数ヶ月ほど集中的に読んでいるのはユングである。

ユング精読のきっかけは、一周回って、中沢新一氏である。2024年に刊行された『精神の考古学』で、中沢氏は心のふたつのあり方、「セム」と「セムニー」のちがいを詳しく論んじていく。

セムは分別心、つまり二つにわけて、あれかこれか、Aか非Aか、どちらかを選ばないと気が済まない心の動き方である。

A  / 非A

それに対してセムニーは「無分節の分節」とでもいえるようなことであり、Aと非Aを分けること、A /非Aのあいだでうごいている「/」の脈動を捉える言葉である。

ここで「/」の動き方のパターンについて考える上で、空海の『秘密曼荼羅十住心論』における十の「心」のあり方が参考になる。
空海において「/」とマンダラがつながるのである。

マンダラでもって人間の分別心が、分けて、選んで、固まって苦しむところから抜け出す可能性を論じるのがユングである。


おわりに

こういうわけで、読書はまだまったくの道半ばである。
限られた今世のあいだにできることはホンのわずかであり、ほぼ全ては今後の(来世の)課題になるわけであるが、しかしだからと言って、なにか絶望的になる感じは一切ない。

なぜなら道半ばといったが、この道は同じところをぐるぐる回っているだけなのである。そしてこの周回ルート以外にいかなる道もない。

それは仏教でいうと「法界」という言葉で呼ばれていることであるのだが、法界のふるえかた、脈動の仕方によって、私がそこを歩いたかのような足跡にみえるような何かが浮かんだり、消えたりする。読書遍歴もまた、そのような足跡という姿にみえる法界の脈動のさざなみなのである。そうであるからしてこれは不増不減にして不生不滅、始まりもなければ終わりもない。

本をこれだけ読もうが読まなかろうが、実はどちらがよいとか、どちらがわるいとかいうことはない。本を読み過ぎで悪い、本を読まなさ過ぎで悪い、本を読んでえらい、本を読ままい方がよい。読む/読まない、良い/悪い、二つの分別を組み合わせて四つのパターンを主張できるが、いずれにせよ「/」がゆれながら踊り出して楽しんでいる(法身の自受法楽)以外のなにごとでもない。

ちょうど研究仲間のひづみさんがこちらに載せてくれている絵とことばの感じである。

だからわたしは、おもしろがって、ただ読むのである。

読むことを目的にもせず、手段にもせず。

そう、相変わらず、言葉たちが自ずから、おもしろがって喋っているだけなのである。

そこで「私」がいったいなにをどう作為できるというのか。

このように言わざるを得ないほどに
「私」の輪郭を変容させてくれるのが、読むことなのである。


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