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文化人類学がおもしろい

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わたくしコミュニケーションを専門とする博士(学術)の筆者が”複数の他者のあいだのコミュニケーションを記述すること”という切り口から文化人類学の文献を読んで行きます。 わたしは文… もっと読む
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アクターネットワーク理論を意味分節理論で読む 〜記述の可能性を発生させる非同非異の媒介子

ここ数年、井筒俊彦氏の著作を日常的に読んでいるためか、近頃ではなんでも意味分節理論として読める。アクターネットワーク理論もまた意味分節理論として読める。 * 「として読む」などというと、なにやら曲解、誤解、誤読、事実のねじ曲げ、捏造、偽造、詐欺などなど、要するにマナー違反やルール違反、犯罪スレスレのことをしているというふうに捉えられることがある。確かに、その通りの場合もあるし、そうでもない場合も稀にある。 として読む ー正しい読みと正しくない読み「として読む」が妙な感じ

神話の「構造」はダイナミックで生成的である -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(61_『神話論理3 食卓作法の起源』-12)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第61回目です。これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 ちょうど中沢新一氏によるレヴィ=ストロース論『構造の奥』を読んでいるところ、ということで、今回の『神話論理』精読は、「構造」にフォーカスしてみよう。 神話の論理をどのようにモデル化するかこれを書いているわたしがレヴィ=ストロースを読み、わたしなりの読みの補助

中沢新一著『構造の奥』を読む・・・構造主義と仏教/二元論の超克/二辺を離れる

中沢新一氏の2024年の新著『構造の奥 レヴィ=ストロース論』を読む。 ところで。 しばらく前からちょうど同じ中沢氏の『精神の考古学』を読んでいる途中であった。 さらにこの2年ほど取り組んでいるレヴィ=ストロース氏の『神話論理』を深層意味論で読むのも途中である。 あれこれ途中でありますが、ぜんぶ同じところに向かって、というか、向かっているわけではなくすでに着いているというか、最初から居るというか。 ようは同じ話なのであります。 すでに「ここ」に「すべて」が「ある」の

分別心と「霊性」/中沢新一著『精神の考古学』を大拙とあわせて読む

鈴木大拙は『仏教の大意』の冒頭、次のように書いている。 私たちは感覚的経験的に、なんとなく、自分を含む自分の周囲の世界はいつも同じ、昨日と今日も一続きで、ずっとおなじ一つ世界であるような感じがしている。 しかし、実は気づいていないだけで、世界は二つである、と大拙は書いている。第一に「感性と知性の世界」、第二に「霊性の世界」。 感性と知性の世界とは、通常、素朴に実在する客観的な世界だと思われているもので、確かに固まって、誰にとっても同じ、どっしりと安定した重たいものだと思

不老不死の妙薬/語への執着を断つ妙薬 -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(59_『神話論理3 食卓作法の起源』-10)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第59回目です。これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 今回は、前回の記事の続きです。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。と、いつも書かせていただいているが、今回に限り、前回を読んでおくことをお勧めします。と、書こうかと思いましたが、やっぱり前回を読んでも読まなくてもいいです。線形に読んでもいいし、線形に読まなくてもいいです。 * 前回の記事の最

「三枚のお札」と「かぐや姫」は同じ話?! -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(58_『神話論理3 食卓作法の起源』-9)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第58回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 まさかそんな「三枚のお札」と「かぐや姫」は"同じ話"である。 まさか、そんなはずないだろう! またいい加減なことを書いている! と憤慨される向きもあるだろうが、ところがまさか、神話論理という観点からすれば、この二つは「同じ」なのである。 もちろん、かぐ

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読み始める

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読んでいる。 私が高専から大学に編入したばかりの頃、学部の卒研の指導教官からなにかの話のついでに中沢氏の『森のバロック』を教えていただき、それ以来中沢氏の書かれたもののファンである。また、後に大学院でお世話になった先生は中沢氏との共訳書を出版されたこともある方だったので、勝手に親近感をもっていたりする。 中沢氏の書かれるものには、いつも「ここに何かがある」と思わされてきて、特に『精霊の王』、『レンマ学』、『アースダイバー神社編』は丸暗記す

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読み終える

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読む。 三日間かけて最後のページまで読み終わる。 というわけで、これから二回目を読み始めよう。 前の記事にも書いた通り、わたしは中沢新一氏の著作のファンで、これまでもいろいろな著書を拝読してきたが、この『精神の考古学』も鮮烈な印象を残す一冊でありました。 最後のページから、本を閉じた後も、いろいろとめくるめく言葉たちが伸縮する様が浮かんでは消えていく。 この『精神の考古学』の読書感想文だけで100万字くらい書けそうな気がするが(1万字

マニ教の創世神話を深層意味論で読む

「深層意味論で読む」シリーズの第三弾! 今回は青木健氏の2010年の著書『マニ教』を深層意味論で読みます。 「マニ教と言えば二元論」と、たしか中学生の頃に丸暗記したような記憶があるが、一体、何と何がどう関係して二元なのかは不明なままであった。そして「あれから40年」いや30年くらいを経て、この『マニ教』を手に取ったのである。 マニ教は西暦3世紀の西アジアで生まれた宗教である。キリスト教の文献ではキリスト教会の敵役として登場することが多い。 マニ教の開祖の名はマーニー・ハ

猿かに合戦で月を生成する深層の”心” -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(57_『神話論理3 食卓作法の起源』-8)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第57回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 分離すべきところを結合し、結合すべきところを分離することと、親族構造の起源 前回の記事の最後にレヴィ=ストロース氏の友人であるジャック・ラカンの『精神分析の四基本概念』に記された一節を紹介した。 陰/陽、火/水、寒/暖、男/女といった”経験的で感覚的な区

カエルの跳躍で、観念のもつれをほどく -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(55_『神話論理3 食卓作法の起源』-6)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第55回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 観念はどのように相互作用するかグレゴリー・ベイトソンが『精神の生態学へ』の冒頭に書いている、ひとつの問い。 「観念はどのように相互作用するのか」 この問いは、もう何年も、わたしを捕らえて離さない。 観念がどのように相互作用するか。 これは切実な大問題だと

籠と縄 -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(54_『神話論理3 食卓作法の起源』-5)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第54回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 すでにある実体を組み合わせるのではなく『神話論理3 食卓作法の起源』の冒頭、レヴィ=ストロース氏は次のように、同書の主題を示している。 空間的な対立と、時間的な対立。 今回はこの違いについて考えてみよう。 まず『神話論理3 食卓作法の起源』の60ページ

超感覚的世界を感覚するための器官としての言語の神話論理モード -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(53_『神話論理3 食卓作法の起源』-4)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第53回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 経験的区別を概念の道具にして 抽象的観念を抽出レヴィ=ストロース氏は『神話論理』の第一冊目『神話論理1 生のものと火を通したもの』の冒頭で次のように書いている。 『神話論理』を読んでいるうちに迷子になってしまったら、この冒頭の一節に立ち戻るといい。 *

星は天空の魚/魚は水中の星 -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(52_『神話論理3 食卓作法の起源』-3)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第52回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の記事では、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えてきた。 即ち、神話的思考(野生の思考)とは、図1に示すΔ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の対立という二つの対立とを”異なるが同じ”ものとして結合する、と言うために