見出し画像

恋愛至上主義と強迫観念

世の中には恋愛至上主義というものがある。
それは「恋愛をしていないやつは社会不適合者である」という所謂レッテル貼りである。そしてそれは一種の強迫観念を生むことになっている。

「恋愛をしていなければ社会不適合者の烙印を押されてしまうので恋愛を【しなければならない】」という強迫観念である。
本来惹かれ合う者同士が好き好んで恋人という関係になる。というだけだったはずの恋愛が一種の義務となってしまっている。
この結果、「妥協してこの人と付き合おう」等という本来の恋愛とは全く異なる事象が発生する。

社会でもこれは存在する。
「結婚していない者には重要なポストは任せられない」というものだ。
そして結婚している、家庭を持っているという責任から企業側は何を命令しても言うことを聞かせられる状況に陥っている。
最も判りやすいのは出張による単身赴任だ。せっかく結婚し家庭を築き家も買ったというのに独りアパートやマンションで暮らし金だけを遠く離れた家族に贈り続ける生活。
これをクソと呼ばずして何をクソと呼べば良いのか?

日本国には古来よりお見合い制度というのがあった。
これにより恋愛をしなくても結婚し子孫を作ることができた。
それも恋愛至上主義によって破壊されてしまった。
いや、今ようやっとお見合いを見直す動きが出ているか。
とにかく恋愛至上主義がお見合い制度を破壊したことは純然たる事実である。これにより恋愛強者・恋愛弱者という一つの身分格差が生まれ、前者は引く手数多、後者は指を加えて御家断絶を待つばかりという二極化が起きてしまっている。

確かに求愛行動が上手い個体が生き残るというのは自然界では当たり前の事である。しかし人間は野生動物と同じレベルに自ら落ちようとしている。
本当にこれで良いのか?上記のような事態を避けるために先人たちが色々と工夫をして誰でも子孫を残せるようにと仕組みを作ってきたのではないのか?

最後に、この恋愛至上主義での最も悲しいポイントを挙げる。
それは「恋愛に失敗したから自殺する人」の存在である。
特に女性に多いらしい。それ程に人間を追い詰めるのがこの恋愛至上主義というレッテル貼りである。

自由恋愛を否定するつもりは更々無い。
ただそれを全体に押し付けるのは果たして正しいことなのか?
強迫観念を持ってしまうほどの恋愛至上主義は良いことなのか?
一度立ち止まって考えてみてもらいたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?