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『さくら』 - 償えないこと、許すということ

※ネタバレ含みます。

僕は最初「さくら』を読んだとき、ミキを許せないと思った。彼女のしたことで、幸せだったはずの二人分の人生(プラス、ミキや薫、両親の人生も)が狂ったからだ。
でも、「じゃあどうすればミキは許されるんだ?」と考えたとき、その答えを僕は持っていなかった。矢嶋さんに謝れば済む問題ではないし、彼女がそれを望むかも分からない。

自分の怒りがとても感情的で、ものごとを前に進めるためのものではないなと思い直し、「許すこと」について考えてみた。

許すことについて

『さくら』は僕にとってかなり久しぶりの小説だった。
恥ずかしながら中学校以降、小説のもやもやした感じ、眠れなくなる感じが苦手で避けてきたからだ。
今回あらためて、小説は、色々な「もはや償えないこと」「取り戻せないもの」について追体験させてくれる媒体だと思った。
僕らは小説を読むことで「もはや償えないこと」の悲しさに心を痛め、自分の中の「許せない!」という感情に対して立ち止まって考え、人の過ちを認めることができるようになる。

「償うこと」と「許されること」は別だ。
償うというのは悲しみを洗い流すことで、許されるというのはその人の物語をもう一度ともに生きる許可をもらうことだ。
悲しみを抱えたままでも相手を許すことは出来る。
許されないとしたら、その人の前からは去るしかない。

薫の場合

薫の「もはや償えないこと」は、再会した湯川さんの顔に失意を見せたことだ。

その後どんなに湯川さんの容姿を褒めたって、湯川さんの悲しみが癒えることはない。(薫の過ちも消えない。湯川さんへの贖罪の手紙は宛名がなく誰も癒やせるものではなかった。)薫は湯川さんに許されることを拒み、彼女の物語から消えた。
最後に湯川さんから年賀状が来るが、それは薫が何かを成し遂げたからではない。あくまで、湯川さんの中の悲しみが何かに変わり、薫を自分の人生に引き込むことを決意させただけだ。湯川さんにとって「乗り越えるべき壁」になったのか、「苦悶する過去の自分への愛しさ」になったのか、全然別のものになったのかは分からない。

ミキの場合

冒頭で書いたとおり、僕は最初「さくら』を読んだとき、兄の恋を終わらせたミキは許されないと思った。一と矢嶋さんの結ばれるべき関係に対して、ミキが取った手段は姑息だったからだ。
ミキが実の妹だったから、とかは関係なく、ミキのやったことは姑息だ。

しかし本来許すかどうかを判断する兄はもうこの世におらず、代わりに父親に赤いランドセルを捨ててもらい、サクラにうんこをかけられ、それでミキは家族に「許された」のだと思う。
兄に許されず、兄以外誰もいなくなった世界にいた彼女を、家族が「家族の物語」に引き込んだ構図だ。ミキは家族の物語を一緒に歩んでいく権利を得た。

僕について(自分語り)

僕が中学生の頃は、薫達と違って彼女もいなかったし、「取り戻せないもの」なんてないと思っていた。そのころ市川拓司の『VOICE』という恋愛小説を読んで、それがトラウマで恋愛小説は読まなくなった。悲しい別れをしておいて、なぜそれを取り返そうとしないのか理解できなかった。

『VOICE』は、ある女性の心の声が聞こえる主人公と、その女性の恋愛(すれ違い)を書いた作品で、彼女が心の中で主人公の名前を呼びながら他の男に抱かれるシーンで心を抉り取られました

ただ、今は高校と大学を経て社会人になった。何人かと付き合い、「取り返しのつかない関係」について自分で作って初めて気付いた。
別れた彼女がずっと好きで1年後にもう一度告白して泣かせたり、「ワンナイトってほんとにあるんだ」と思って本当に自分のことが好きだった女の子の気持ちに気がつかず不誠実な関係を持ったり、割とマジのゴミムーブをかましている。その後、彼女たちの人生には関わっていない。

取り返しのつかない関係である。

それで、結局言いたいことはなんなんだ

なんなんだ…?

「取り返しのつかないこと」を沢山経験した人は、人に優しく出来る可能性が高まるということだろうか。「償いようがない」という悲しみも理解できるし、許す人の複雑な胸中も推し量れるようになる。
湯川さんのように、傷付きながらもその相手をもう一度自分の物語に引き込みたい人もいる。

そもそも、ミキの場合のように、世の中は一対一で許す⇔許される関係だけではないのだろう。
この前遺書を書いた時、僕は「僕を殺した人をあんまり責めないでほしい」と書いたが、許すのは僕じゃなく、その人の家族が果たすべき役目かもしれない。その人の家族がその人を家族の物語にもう一度引き入れられるよう、僕は沈黙すべきなのかもしれない。

そういったケースひとつひとつを全部現実で経験しまくってたら人生がつらい感じになるので、小説を読むのっていいなと中学生ぶりの恋愛小説を読んで感じた。

※「許す」「許さない」の文脈で語れないし、語弊が生じやすいので全部すっ飛ばしたけど、『さくら』で描かれる、タブーとされる恋愛感情やセクシャルマイノリティ、兄の苦悩、性教育などもどれも大切な問題だと思います。今回はまとまらなくなるので省略しました。

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