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7、宇納間地蔵まつり(北郷村・旧暦正月二十四日の前後三日間)

渡辺一弘『祭礼行事』 おうふう、平成10年2月

 多様な地蔵信仰のなかでも宇納間地蔵は県域の火伏祈願の中心的な存在で、県域にはこの地蔵尊を勧請したり分祀したという地蔵堂が多く、打扇地蔵(北方町巳)・近江地蔵(同町角田)・荒谷地蔵(同町曽木)・石野田地蔵(西都市)などがある。
 五十鈴川最上流部の山間地、北郷村大字宇納間の曹洞宗全長寺に宇納間地蔵は安置されている。全長寺の三六五段の石段を登りつめた高台に地蔵の堂宇がある。「宇納間地蔵由緒」(碑文)によると往古天台宗正岸僧都が宇納間の市木に梅花山宝蔵寺を開創、延命地蔵を安置本尊としたとある。
 本尊は行基菩薩の彫作と伝え、天正六年(一五七八)大友氏・島津氏の戦いで兵火にかかったが、山頂に飛翔して難を逃れたので、いよいよ心を寄せる人々が多くなったという。尊像は忿怒相の半跏像で像高三八センチメートルほどで、秘仏のため六十年に一度だけ開帳される。
 享和元年(一八〇一)延岡藩主内藤政韶が江戸在勤のときに藩邸が大火に包まれたが、その鎮火祈願中に異僧があらわれ、火伏を修して類焼を免れたと伝える。この異僧こそ宇納間地蔵尊の化身であると悟り、自らも氣山の法号を得て入道し、全長寺にはのちに家紋の「下り藤」の使用を許すなど手厚く保護したという。
 地蔵縁日は旧暦正月・六月・九月の二十四日。特に旧正月二十四日の前後三日間は縁日大祭で、祈願参拝者が長蛇の列をなす、県内屈指の祭礼に数えられる。
 全長寺第十四世秀山和尚のときに遠隔地を含めた「地蔵講」が結成され、代参受付所も設けられた。四国の松山・高知をはじめ、隣県大分・熊本からの代参もある。県域の講中はお札を受領して帰り、集落の入口に竹にはさんで立てたり、各戸では台所に貼る。また焼畑の防火祈願や椎茸乾燥小屋や炭焼窯にも貼られ、日向山村生活の基盤ともいえる信仰である。
 縁日には屋台店が並びからいも飴などを売るが、特に蛤は代参者が求めて、お札に添えて各戸に配る習わしである。潮吹きによって火を消すという縁起物のひとつとされている。
 当日は午前六時から鎮火祈願祭、心経を読誦し加護を願い、二十五日の最終に祈願成就の仏事を営む。なお、六月縁日には盆供養をかねて「練り踊り」を踊るなど、村あげての夏祭りとなる。

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