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心を大切にする人生を。

こんにちは!

わーちと申します!

私のこれまでを振り返ったnoteをご覧になられた方が、もしいらっしゃったら、この記事をお読みいただいたとき、私の人生がタイトルに繋がることを、きっと〝心〝で感じていただけると思います。

私のこれまでを振り返ったnoteとは、中学1年時から現在まで書き続けている日記を全て読み返して、私の心の変化について書いたものです。

上記の記事を書いている時点で、私の心の状態では書けなかったことがあります。

その話をこの場で書きたいと思います。

お話が長くなるので、結論から申し上げます。

まず、私の直近の予定です。

①11/1 

メンタルヘルスマネジメント検定のI種とII種を受験

②12/6

 ビジネス心理検定 初級試験を受験

③12/10~12/13  

CTIコーチング基礎コースを受講

④3/7,20,21

 国家資格キャリアコンサルタントを受験


なぜ、この目標を設定したのか、どんな未来を想定しているのか、書きます。

○メンタルヘルスマネジメント検定のI種とII種を受験

・ 父がうつ病になり休職をしていた。

・ 就職浪人を選択し、無職となった。最終面接を終えた時に、全く手応えがなく、先の見えない未来が怖く(後述します)

・ 職場の同僚や、1つ上の先輩が心の病から離職を選択した。

・自身がストレスからこれまで感じたことのない身体の痛みを経験した。

人の心は見えないところで少しずつ変化して、それが表に現れたときには、時間が経過しています。そうなる前に何かできないのか、そんな思いを感じ、自分自身の経験からそんな方々を、自分と同じような思いを感じている人を 1 人でも救いたい。活動をしたい。そこで知ったのが、メンタルヘルス・マネジメントの資格でした。

まずは自分自身のセルフケア。次に自分の周りの人たちのヘルスケア。キャリコンサルタントの資格を取得し、悩みを抱える人の心に私の言葉を届けることができると確信しています。

そして、たくさんのひとの前で、講演をします。人の心を変えます。

なぜ、講演をしたいのかというと、本当に悩んでいる人は、受け身になりがちで、私が関わっていきたい1人1人と向き合う場に足を運ぶことが、重たい一歩となるからです。

私自身が、無職で悩んでいたときに、大学のキャリアセンターに卒業後に問い合わせをすることも大きな一歩でしたし、実際に足を運ぶ当日も行きたくない、行きたくないと思いながら向かっていました。

私が主体となって話す場であれば、過去の私のように一歩を踏みだすことに躊躇する方も、足を運びやすくなると思います。そして、プライバシー面が考慮されている形が望ましい。

その場をきっかけに、別の行動に繋がれば、それはその方にとって一歩になります。そして、私と話すことを選択してくださった方に全力で向き合います。

『私自身が心を大切にしてきた1人』として、多くの人が【心を大切にする人生】を送ることができるように、たくさんの人にメッセージを送り続けます。

○ビジネス心理検定 初級試験を受験

書籍では、
『心の科学をビジネスに応用することにより、ビジネスで成功するための「仕事力」を発揮する専門家「ビジネス心理マスター」のを認定するための検定試験。』と紹介されています。

キャリアコンサルタントとして、実務経験を積む中で、この資格の内容は、机上の話のまま終わるのか、それとも実際に活かせるか、実際に資格を習得し、効果を実感するまでこの資格を取った意味を見出すことに時間がかかるかもしれません。実際に学習はまだ始めていませんが、購入したテキストをパラパラめくる段階で、興味を感じます。必ず取って損はないと思います。この資格は、丁寧に学習を進めていきます。

目次の項目は、動機と動機付け・感情、意思決定の心理、ポジティブな認知の形成と解決志向アプローチ、学習と発達の心理、成長を支援するメンタリング、創造性と自己表現。このような形です。

○CTIコーチング 基礎コースを受講

CTIコーチングの説明会の時に、自分にとって意味がある時に受けた方が良い。と言葉を頂きました。その時点では、いまの思いはまだ、私の奥深くにありました。

説明会の後、私は8月に初めてコーチングを受けました。

受けたから今の自分がある。

自分の信念、価値観を見つめ直すきっかけとなりました。生き方を見つめ直して、まだ1ヶ月ですが、人生が豊かになりました。日記を全て読み返したのもコーチングがきっかけです。

コーチングを受けたから今の自分がある。

この言葉を言い続けている人生になると思います。なぜなら、コーチングを受けてから、心が変わって、行動が変わって、行動によって、また心が変化して、また受けたいと思うからです。

そして、自分にとってコーチングを学ぶのはどういう意味があるのか考えました。

説明会を受けた時点では、まだ意味を見出せていませんでした。

初めてコーチングを受けて行動をするようになってから、自分に可能性を感じたのと、自分の人生を振り返ったことにより、自分の本当にやりたいことが日記に書いてあることに気づきました。学ぶ意義を見出せました。

 コーチングスキル

キャリアコンサルタント

私の経験

○国家資格キャリアコンサルタントを受検

まずは自分自身のキャリアを全力で、とにかく一生懸命に生きる。

自分のキャリアを一生懸命につくる。
どんな生き方をするのか。
どんな考え方をするのか。
在り方を整える。

その過程で得られる経験、思いを大切にしていく。発信し続ける。

そして私は、人の人生に関わり、その方と一緒に前進します。

目標設定とその理由については以上です。


では、役場職員の私がなぜ、メンタルヘルスマネジメント検定、ビジネス心理検定、コーチングスキル、国家資格のキャリアコンサルタントを取得しようと思ったのか、私の人生をもう一度振り返りたいと思います。

○人のために働きたい

その気持ちがずっと心の中にありました。

私は、国家公務員の国税専門官を目指し、途中から地方公務員の役場職員を志し、現在、地元の役場で働いております。

毎日のなかで、人のために働いている実感は確かにあります。

瞬間、瞬間で。

その人の人生に関わるというよりは、乗り物に乗って目的地に向かう方にサービスを提供するイメージ。

市民サービスとはきっとこんな感じなのではないでしょうか。もちろん全てがそうとは言いません。役場の仕事は広範囲にわたりますが、2年半働いて、感じることです。私が配属された部署で感じることを述べています。

目的地に着くまでは、その人と関わります。私が役割を果たさないと目的地にたどり着くことはできないため、私の役割はもちろん重要です。

次から次へ来る乗客に、同じように接します。そんなイメージでしょうか。

なぜ、私が今、この職場にいるのか。

私は役場へ入ることが就職活動での第1希望ではありませんでした。

当初は、国税専門官という国家公務員を目指しておりました。

少し昔の話をします。

私は間違ったことが嫌いでした。今もそうです。

そして、やることをやった人が、周りの人たちと比べると、相対的に損をしている形が、理解できませんでした。

例えば小学校、中学校の宿題です。

・宿題をきちんと自宅でこなす人

・家で答えを丸写しする人

・学校で友達のノートを借りて丸写しする人

宿題をこなすやり方は何通りもあります。

そして「宿題を出した」事実には変わりがありません。

1人1人の学力の身に付き方が違うのはもちろん、当時の私も把握しておりました。問題はそこではありませんでした。

いつも宿題をきちんとこなして学校に行くと、私のノートは友達から友達へ、そして知らぬ間に提出した先生の机から、またクラスメイトの元へ渡っていることもよくありました。

偉いとか悪いとかじゃなくて、そういう生き方が当時から嫌いでした。

国税専門官を志した理由の1つとして、税金を納めていない人が同じサービスを受けていること、同じ機会を得られることに疑問を覚えたことがきっかけです。

遅くなりましたが、国税専門官は、国税の滞納を解決する専門職です。

税金を納める、納めていない。その過程が違うのに、同じようにサービスを受けること、それってどうなのかと。

サービスのイメージとして、身近なものをあげるとすると、道路も水道も税金から成り立っています。

納税の義務があるにもかかわらず、納税をしない人が、隠れたまま生活をしている。納税をしている人が相対的に損をしていると当時の私は思っていました。

先程の宿題の話と納税の話が合致する訳ではありませんが、なんとなくニュアンスは伝わったかと思います。

ここまでお読みいただいた方の中で、私が怒っているイメージを持たれたかもしれませんが、怒っている訳ではないです(笑)

その生き方がまかり通っていることが自分の価値観に反していたのは事実です。

間違ったことが嫌い。その思いから、国税専門官を志す思いは強かったです。

  『人のために働きたい』 

 『間違っていることを正す』

それを実現できる職業が国税専門官でした。そして民間企業ではなく、それが公務員という職業でした。

○どこで国税専門官を知ったのか

大学の授業で、簿記の講義を受けたのと、親友が簿記の勉強をしていたことから、国税専門官という職業を知り、仕事内容を知って、大学3年時に差し掛かるときには、就職先は国税専門官と決めていました。

○国税専門官を目指した過程

国税専門官になると、日商簿記2級を取ります。(確かほぼ全員)

そして、採用試験で会計学の科目があるため、先に勉強しておくことに意味があったため、大学3年の6月試験で取得しました。

あとはひたすら試験突破のために勉強するだけでした。

始発で予備校に通い、1日勉強。

大学4年時の6月に実施される採用試験に向けて毎日を過ごしていました。

母の体調が悪化したのは、大学3年時の3月でした。

私が高校3年の11月に亡くなった祖父と同じ症状でした。

中学2年の8月に亡くなった祖母とも症状が似ていました。

中学2年時は、その時1番楽しみで、大事な大会の前。

高校2年時は、センター試験を控えて勉強していた時。

私の母は心臓病です。子供を産むことを医者が心配していたそうです。母が幼い頃は、遠足には連れて行ってもらえず、母1人でお留守番。公園で先生と2人きり。

母の体が弱いことは知っていた。そんな母が、母の両親と似た症状になりました。

体調が悪化し始めた頃は、まだなんとか勉強を続けられました。

しかし、日を追うごとに、頭の中を嫌なことがよぎるようになりました。

でも、勉強しないといけない。

予備校では、周りに人がいるため、大学の個室ブースに学習場所を移しました。

勉強しなきゃ、勉強しなきゃと思いながら、泣きながら勉強していました。

3月後半、私は家にいました。

勉強は正直できていませんでした。

洗濯、料理、掃除、大学の授業、母の看病で時間が過ぎる。

1日の中で、残った時間。

もちろんありました。

でも、試験を目指して勉強できる精神状態ではありませんでした。

昼間、ぼーっとする時間が増えました。

「この先、どうなんだろう。」

「もし最悪なことが起こったら、どうしたらいいんだろう。」

昼夜逆転の生活。寝ないで勉強していた。母の体が腫れて、熱もある。母が眠りにつけない。タオルを冷やして、交換しながら、母の手を握りながら。

気づけば、大学4年生に。4月、5月が過ぎていました。

試験当日。

受けるだけ受けてみよう。

3か月ほぼ勉強していなかった。

試験はあと1点で合格でした。

一睡もしないで臨んだ試験で、そこまで取れると思いませんでした。それまでの努力があったから取れたのだと思います。でもそんなのどうでもよかった。

転勤のある国税専門官になることはもうできないと、試験2ヶ月前の4月、5月を自宅で過ごしながら、心の中で思うようになっていたからです。

母の病名が発覚したのは試験日の前日でした。

そこから薬も投与され、1週間に1回、自宅で注射を打つ。

薬の効果もあり、母の体調が戻り、日常が少し戻りました。

時間は過ぎてしまったけれど、試験は来年もある。母ももう一度受けてみたら?と言ってくれた。そうすることにした。

○就職浪人期間

来年の試験に向けて、勉強を始めて、予備校に入って、準備は万端でした。

また母の体調が悪化しました。

「お母さんね、あんたがいないとダメだ」

この一言で、私は国税専門官を目指すことをやめました。

地元の役場に就職することに決めました。

就職浪人をしたため、当時の私は無職。

マイナビで検索しても、既卒の場合、受けられる企業も減るし、これまで国税専門官を目指して、簿記→国税専門官の筆記試験対策と多大な時間を使ってきた私は、精神も参っていたし、自然と導かれた答えが実家から歩いて行ける職場でした。それがたまたま役場であり、これまでの試験勉強も生きてくる。それだけでした。公務員になりたいわけじゃなかった。

安定しているから、公務員を目指す。その理由では、動けませんでした。これは、将来いい会社に就職できるから良い大学を目指すことをできなかった高校生の私から変わりませんでした。心が動かないから、行動ができない。それだけでした。


ここで私の父の話をします。

父は私が小学生の頃、うつ病になりました。

友達はしばらく家に呼べないよ。母にそう言われた。毎日父が家に居る。 部屋にこもっている。父の部屋に入ることも、怖くてできなった。 当時の私は、母の雰囲気、父の雰囲気から、大変なことだということは感じていました。

私が高校3年生の8月、父はくも膜下出血で倒れました。

父が倒れて、私がしっかりしないと。と思うようになった。落ち込んでいる場合じゃない。頑張れ自分と、自分に言葉を投げかけて、日々生きていた。日記に思いをたくさん綴っていました。

私の父が病気の後に変わってしまったことは、うすうす気付いていました。

それが確信に変わったのは、父の両親が亡くなった時です。父は両親のことが大好きで、よく実家に帰っていました。そんな父が、実の親を亡くしても涙を流しませんでした。父に感情がありませんでした。

普段も笑わなくなり、いただきますやごちそうさまでした、ありがとう、ごめんね、そんな言葉はなくなり、感情が薄くなりました。感謝する気持ち、嬉しい気持ち、心で感じて、言葉になる。心で感じなければ、言葉はないのかもしれません。

母が体調を崩したときも、父が何かを感じているようには見えませんでした。

「今は母が大変だし、私が就活で大変だから、家のことやるよ」

なんてことはなかったため、家のことは全て私がやっていました。

試験勉強を家から近くの図書館でやって家に帰ってきても、電気をつけずに暗い部屋で父が1人でテレビを見ている。

作っていったおかずは全て食べてあり、食器はそのまま。ごちそうさまでしたはもちろん、ありがとうの言葉もない。

こんな毎日でした。

私は実家にいないといけない。そう思うようになりました。

○役場の面接試験当日

「大学を卒業して空白の期間があるんだね?」

「1年間何をしていたの?」

空白なんかじゃない。なんて言えず、「勉強していました。」と伝えた。

私が言いたいこと、伝えたいことは聞いてもらえなかった。あとから聞いた話では、圧迫面接とのことでしたが、最悪な空間でした。

試験には落ちたと思いました。

筆記試験は受けた日に合格を確信したけれど、面接はそうはいかなかった。

面接試験から発表まで約10日ほどありました。

生きた心地がしませんでした。

仮に不合格だとしても、私は実家から近い場所で働く必要がある。

そして、2年間勉強してきた試験勉強を無駄にはしたくなかったし、また役場を受けるのかと考えたら、もう無理でした。

こんなこと簡単には書けないし、書くか迷いました。当時の自分は本当に悩んでいたし、追い込まれていたのであえて書きます。

私は自ら命を絶つことを考えました。

ネットで検索して、どうにか周りの人に迷惑をかけないように、どんな方法があるのか考えました。何度か登ったことのある山がいいなと思った。山中で消えてしまえばいいと思っていました。

とても怖かったです。

○試験合格から就職まで

試験は合格でした。一安心でした。

やっと就職先が決まった。やっとでした。

卒業旅行も断っていたし、友達とも久しく会っていませんでした。

大学4年の冬に携帯が壊れて、そのまま携帯電話無しで生活をしていました。

就職決定後に携帯ショップで契約。まだ無職のため、不審がられていたのは、店員さんの対応から感じました。

友達と会うようになりました。外出して、家のことをやらない時間が増えました。

そんなときでした。

母に怒られるようになりました。

「なんで○○○やってないの?」

出先にいるのに、電話をかけて伝えてくることもありました。

私の心は壊れていきました。

私はそれまで反抗期がなく、親に何か強くものを言った覚えもありませんでしたが、限界でした。

家で物にあたって、クッションを壁に投げつけたり、よくない言葉も使ってしまっていました。心が壊れていたからです。

就活の時に感じていた思い、もちろん父への思いも。今まで感じていたことが一気に言葉になりました。自分が今までで1番感情をあらわにした時でした。

命を自ら絶とうとした話もしました。

それから母は私に謝るようになりました。

「お母さんのせいだよね。ごめんね。」

母が病気の痛み以外で涙を流すようになりました。

○就職活動ってなんだったんだろう

家族を想って決めた選択。そこに後悔はなかった。その気持ちに嘘はなかった。

でも、残ったのは、空っぽの気持ちでした。

社会人生活が始まることに、特に強い思いもありませんでした。

仕事が始まるんだ。それくらいでした。

働く前から、私は役場で働いて、何十年とこの先、あそこに通って、いつか両親が亡くなった時、どうなるんだろう。と。

大好きな家族のことを恨むようになってしまうのか、そこまではいかないけれど、親のせいにしてしまうかもしれない。そんなことは嫌だ。

でも大事に大事に育ててきてくれた親を責めてしまったことは事実でした。

父も母も、病気になりたくてなったんじゃない。でも病気になって、心が変わってしまったのは事実でした。

そう思えた時、私は必ず自分のやりたいことをやろう。と思いました。

私がもう一度前を向いたときでした。

きっと仕事以外の時間は、多く取れる。通勤に時間もかからないし、勉強することは好きだから、何か他のことを目指せばいいんだ。そんな気持ちの切り替え方でした。

私がやりたいことをできるようになった時、

私も、家族も、幸せになる。

子どもの幸せが親の幸せだと思うから。

○社会人生活スタート

最初の頃は毎日の仕事で過ごす日々でした。

そして1年目の12月。

ストレスで胃に激痛を感じました。

今度は私の体がおかしくなった。

これまで怪我はしたことあったけど、

心がおかしくなり、体に異変が現れたのは初めてでした。

就職活動で辛く、命を絶つことを考えたあの時でさえ、これほどの体の異変は感じたことはありませんでした。

体を強くしよう。

そこから筋トレを始めて、体重は約15キロ増えました。そして、私の心は変わりました。胃痛もなくなりました。

○現在

7月27日の投稿が初めての投稿になります。

そこから私は日を追うごとに行動が変わり、自分自身が変わったと自覚しています。

そして家族も変わりました。

私が笑顔になったからです。

父が最近、よく笑います。

母と父が楽しそうに会話をしています。

父が家事を手伝ってくれるようになりました。

おはよう、いただきます、ごちそうさま、ありがとう、ごめんね、おやすみ。

毎日、言葉が聞こえるようになりました。

長くなりましたが、私が26年間で感じてきたことは、人の心は変化する。それが表に現れ、言葉になり、表情になり、行動になる。それが人の心に届く。人の心を動かす。自分の心の状態を大事にすることは大事。心と体は繋がっています。そして自分の大切な人の心の状態を大事にすることも大事です。心と心はつながるから。どちらかに変化があれば、その変化は少なからず影響を与えます。

嬉しい言葉は、聞いた人の心を豊かにするし、悲しい言葉も同じように影響を与えます。

家族との関わりが私にそれを教えてくれました。言葉からその人の心がわかる。行動からその人の心がわかる。

私は人の心に敏感です。

多くの人が、【心を大切にする人生】を送ることができる世の中にします。

たくさんの方々に、私からの、その人へ向けた私の言葉を送ります。

そのためにキャリアコンサルタントの資格をとります。

メンタルヘルスの資格を取り、人の心に、もっともっと気付けるようになります。

そして、キャリアという言葉は多義的です。

厚生労働省が提唱しているキャリアの概念は、

『時間的持続性ないしは継続性を持った概念』

つまり

生き方、人生です。

私は多くの人が、【心を大切にする人生】を送ることができる世の中にします。

最後までお読みいただきありがとうございました。

わーち



※資格試験やコーチングスクールについては、コロナウイルス感染防止のため、予定を延期しました。


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