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『暴君――シェイクスピアの政治学 』スティーブン・グリーンブラット (著), 河合 祥一郎 (翻訳) シェイクスピアについて僕はなーんにも知らなかったと思い知る。選挙権年齢全国民、必読書。野党は何百万冊か買って、街頭で配ったらいいと思う。

『暴君――シェイクスピアの政治学 』岩波新書 (日本語) 新書 – 2020/9/19
スティーブン・グリーンブラット (著), 河合 祥一郎 (翻訳)

Amazon内容紹介
「政治は行き詰まり、人々は裏切られることに慣れ、経済的困窮はポピュリストの怒りをあおり……。なぜ国家は繰り返し暴君の手に落ちるのか。暴君と圧政誕生の社会的、心理的原因を探り、絶対的権力への欲望とそれがもたらす悲惨な結末を見事に描いたシェイクスピアが現代に警鐘を鳴らす。」

ここから僕の感想。
 友人皆様お気づきのことかと思うのですが、僕の書評感想、最上級の評価の時、「この本、読んでない人と話したくない。」って書いちゃうのだが。久しぶりに出ました。いや、今年残り僅かになって、今年のベスト候補、出た。読んでない人と、話したくない。

 各新聞の書評欄でも、もれなく絶賛だったし、Amazon評価も五つ星フルマークだし、翻訳家、鴻巣友季子さんも絶賛だし、まあ、あんまりみんながほめるから、ちょっと敬遠していたのですが。電通大先輩というか、僕が就職するときの人事担当だったTさんが、(読書家でいらっしゃるが、僕のように読む本読む本感想を書いたりはしない方が)、珍しくFacebookで感想を書かれていたので、むむむ、と思い、やはり、読まねば、と思い、購入。

 いやー。知的っていうのは、こういうことを言うのですよね。

 どういうことかというとですね。

 この本には、トランプのトの字も出てこないのですが。この本のいちばんおしまい、謝辞の冒頭。引用します。

 〈もう一世紀も前のことのように思えるが、実はわりと最近、イタリアのサルディーニャの新緑におおわれた庭にすわって、私は近々の選挙結果について心配していた。友人の歴史学者ベルンハルト・ユッセンがどうするつもりだと聞くので、「私に何ができる?」と言ったら、「何か書けばいい」と言う。それで、そうすることにした。それが本書の発端だ。そして、選挙が最悪の予想通りになってしまってから、妻のレイミー・ターゴフと息子のハリーが、現在の私たちがいる政治世界にシェイクスピアは異様な関係性を持っているという話を私が食卓でするのを聴いて、その話をまとめるとよいと言ってくれた。そうして、本書が書かれた。〉

 そういうことだ。そして、本書には、現代の政治に関わることは、ほぼ一言も書かれていない。徹頭徹尾、シェイクスピアの作品の分析なのだ。

 この本は、まず、こう始まる。
 「一五九〇年代初頭に劇作をはじめてからそのキャリアを終えるまで、シェイクスピアは、どうにも納得のいかない問題に繰り返し取り組んできた。
ーなぜ国全体が暴君の手に落ちてしまうなどということがありえるのか。(中略) 国民がその理想を捨て、自分たちの利益さえもあきらめる心理の働きを、シェイクスピアの劇は探っている。なぜ、明らかに統治者としてふさわしくない指導者、危険なまでに衝動的で、邪悪なまでに狡猾で、真実を踏みにじるような人物に心惹かれてしまうのか。-シェイクスピアは考えた。嘘つきで粗野で残忍だとわかっていても、それがある状況では致命的な欠点とならずに、熱烈な支援者を惹きつける魅力となるのはどうしてか?本来ならプライドも自尊心もある人々が、暴君の完璧な厚顔無恥に屈するのはなぜか?やりたい放題の、目を瞠るほどの不道徳になぜ屈するのか?」

 こう書き始めれば、どうしたって現実の現代の政治に触れたくなりそうなところ、そっちに筆が進みそうなところ、絶対そうはならない。あくまで、シェイクスピアの時代と作品の分析を、ひたすら進める。

 そもそも、シェイクスピアの時代、統治者エリザベス一世の時代、当時の女王や政体を、演劇でも、批判することは許されていなかった。そんなことをしたら、死刑だったのだ。それをかいくぐるために、シェイクスピアの戯曲も、別の時代、別の国、どこか遠くの国、(スコットランドあたりだとすると、はるか昔)、イギリスの史実を扱うにしても一世紀以上前のこと。第一章、そういう、シェイクスピアか活躍した時代の演劇を取り巻く政治状況を説明しつつ、シェイクスピアがいかに用心深く、お咎めを受けないように注意しながらも、政治批判を作品の中に織り込んでいったか、という話から、この本は始まる。

 そう、シェイクスピアが作品の中でおこなった、「遠回しに、しかし見る人には分かるように、政治批判を織り込む」というその振る舞い自体を、この本で、著者は、使っているのである、はじめに「知的」と言ったのは、その点についてでもある。なんと、おしゃれなこと。

 僕はシェイクスピアについては、代表的なものをいくつかしか読んだことはないし、ここでまず取り上げられていく、『リチャード二世』 『ヘンリー四世』 『ヘンリー五世』 『リチャード三世』『ヘンリー六世』と続いていく(その前後に、まだいろいろあるらしいが。)百年戦争薔薇戦争前後の歴史もの連作を、まったく読んでいなかったので、(しかも、世界史で、その辺について習っても、全く興味もわかず、ほとんど理解せず、すぐに忘れたので)、全く初めて聞く、新鮮な話として、ものすごく面白かった。という純粋に文学として、イギリスの歴史として、面白い、という気持ちと、その一人一人の登場人物、ひとつひとつのエピソードが、どうしても、現代のあの政治家この政治家について、思い浮かべずにいられない、という、そういう二重写しの思考が、本を読む間、ずっと続くのである。

 しかも、この作者、アメリカ人だから、おそらくはと言うか、間違いなく、現代の政治については、アメリカのことを考えているに違いなく、日本の政治状況、政治家のことなんかは何も考えていない筈なのだが、読んでいると。「ああ、これはあの人、ああ、これはこの人のことだ」と、日本の政治家の顔が、つぎつぎ浮かんでくるのである。そんなことは、もちろん、著者は一言も書いていないのだけれど。

 百年戦争薔薇戦争時代モノの分析が終わると、次は、『マクベス』『リア王』というメジャーなものの分析へと展開していく。これがまた面白い。そこから、よく知らない『冬物語』、知らないのだけれど、この著者の分析を読んでいると、もうそれはまあ、面白い。戯曲を読んでみたくなるのである。


 最後はローマものの『ジュリアス・シーザー』という有名作品から『コリオレイナス』と言う、全然知らなかった作品の分析で、この本は終わる。いやー、もう。有名作品とあまり知られていないものを織り交ぜながら、本書は進んでいく。私のような素人門外漢が全く知らない、シェークスピアの奥深さが垣間見えるのである。

 シェイクスピアという天才の、政治をめぐる人間に対する洞察の射程。その長さ広さと精確さというものに、本当に腰が抜けるのである。

 ローマ古代からイギリスの当時の政治を貫いて、21世紀の現代の、欧米の政治だけでなく、日本の政治状況、そこにうごめく、暴君だけでなく、その周囲の、「愚かな暴君を利用しているつもりで、愚かな暴君をのさばらせてしまう」側近であるとか、「暴君を破滅に突き進んでいかせてしまう、妻とか母親とか」とか、「無名の、下流の登場人物として、勇気ある行動をひとつだけして、すぐに消えてしまうのだが、暴君を倒すのに決定的な働きをする人」とか、いるいるそういう人いるなあ。そのメカニズム、今でも本当にあるなあ。そう激しくうなずきながら、ただただ感嘆しながら、読むしかない。


 シェークスピアがすごい×著者グリーンブラッドさんがすごいのである。個人の心理だけでなく、集団の、社会の政治的ダイナミズムまで含めて、シェークスピアの叙述の細部に至るまで鋭く分析して、それを僕ら読者の眼前に広げて見せてくれる著者の腕前というのも、本当に見事としか言いようがない。

 新書ですよ。税抜き価格860円ですよ。安すぎる。高校生以上に全員配れ。野党の皆さん、下手な演説するより、この本を、何百万冊か買って、高校生から大学生に配れ。国民的必読書だと思います。

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