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『イタリアのテリトーリオ戦略: 甦る都市と農村の交流』 木村純子・陣内秀信 編著。ブランド戦略論の仕事でご一緒した木村純子先生の著作ですが、文明論から社会政策論、農と食文化まで多様な視座で編まれた論文集でした。日本各地の「地域再生」にも学びがたくさんあるはず。そちらに関心ある方はぜひ。 

『イタリアのテリトーリオ戦略: 甦る都市と農村の交流』木村純子・陣内秀信 編著  (法政大学イノベーション・マネジメント研究センター叢書 23)

Amazon内容紹介

「イタリアでは70年代に入ってから、経済性偏重の都市政策の結果、都市の過密と農村の過疎が顕著となった。それをきっかけに、歴史、文化、環境、住民意識等の非経済的な価値を重視する地域政策への転換へと舵を切ることになる。その鍵となったのが、テリトーリオ概念である。これは、地域の文化、歴史、環境、その土地の農産物の価値を高め、都市と農村の新しい結びつきを生む社会システム概念である。そしてそこには、地域住民が主体的に活動するロジックが含まれている。本書では、イタリアにおける、テリトーリオを起点とした、経済的価値と非経済的価値とのバランスのとれた社会へのパラダイムシフトのプロセスを、都市・建築・地域政策、経営学、観光、料理・ワイン等を専門とする日本とイタリアの研究者・実務家たちが、多面的に描き出す。彼らは既成の体系に囚われることなくそれぞれの切り口で、しかし歴史という視点には重きを置きながら議論を展開していく。
イタリアと日本は、「石の文化」と「木の文化」の違いという点で、対極にあるとよく言われる。しかし近代化のあり方、豊かな自然と長い伝統を有することなど、共通点も多く指摘されている。経済効率性重視の地域活性化策の行き詰まりに悩む日本への示唆に富んだ、学際的研究による新しい文明論。」

ここから僕の感想。

 先月の、法政大学でのシンポジウムで司会をしてくださった木村純子先生の最新著書。私も文章を書いた『ブランド戦略ケースブック2.0』の中で、木村先生が書いたケース04【セッジャーノ・オリーブオイルPDD/アミアータ・テリトーリオ(イタリア・トスカーナ州】の発展拡大版という位置づけでしょうか。

 しかしまあ、「ブランド論」という括りにはまったく収まらない、地域再生、環境、農業、食文化、景観保全の文化的価値など、まあ「宇沢弘文的ないくつもの視点」が「食文化や旅への具体的な魅力」へとつながる、今までにないアプローチの本でした。

 日本同様、地方の過疎化、農村の衰退に直面したイタリアが、農村だけではなく、地方都市と農村の結びいた「テリトーリオ」全体、地域の固有の農産物、料理、都市の建築や都市空間、そして農村周辺の景観。こうしたもの全体を「コモンズ」の精神と、経済価値と外部経済価値がうまく循環するような仕組みを作って地方の活性化に成功している。これを多角的な視点から分析する。様々な共著者がそれぞれの視点で書いている本。具体例がたくさんあって、一種のイタリア旅行のような体験でもあります。

 僕のここ数年の読書や思索との関連で言えば、たとえば「コモンズ」の話は、宇野弘文の「社会的共通資本」の話そのものですし、

https://note.com/waterplanet/n/nf3eeaf471760

種苗法改正のときに固有種の保護について、アメリカのアグリビジネスの種独占に対して、フランスやイタリアは地域固有種の保護、小規模家族経営農家の保護を農政の基本にしていることなんかは各種記事で表面的には読んでにわか勉強していた。またフランスのミッシェル・ウェルベックの小説のいくつかは、そのあたりのことを舞台・素材にしていた。


 とはいえ、そうした断片的知識は、「こういう問題があるのだ」という認識にはつながっても、では、どうしたらいいか、いままで、よくわからなかったのでした。このあたりの問題への日本での議論というのは、「農業の話」「観光の話」「自然保護」のそれぞれが分断していて、それが全体の構造としてどう連携するかについては、もやもやするものが多かったのです。

 この本で紹介されるイタリアの成功事例は、個別的成功ではなく、国全体の取り組みとしてうまくいっいるようで、国としての取り組みが、地方地域の取り組みにうまく生きている、その構造から学ぶ必要があるように思ったわけでした。

 という社会問題解決をあつかった本ではあるのですが、「観光」と「食文化」の組み合わせの本でもありますから、イタリアやその食文化に興味がある方には、読んで楽しいものではないかと思います。ただ、私の場合①海外に全く行かない。今後も行く予定はない。②酒が全く飲めないので、食文化の話が「ワインの魅力」を不可欠な要素として語られるとつらい。の二点のために、「ああ、残念ながら私のの現実生活では、一生無縁の話なんだな、これが」となってしまうのが、残念と言うか、木村先生には申し訳ない所でありました。(そして、栗が特産の地域で、何にでも栗の粉の入っている料理は、それは本当においしいのか。などと、変なことが気になってしまいました。)

 話は飛びますが、昔、震災直後、日本の農業について、長いブログを書いたことがあります。

 農業の価値の優先順位を、①農業地と周辺自然の有機的つながり(里山的な)の全体環境の保全。その景観の保全 ②食糧自給的意味での食料生産 。つまり、どちらも公務員的な価値であり、経済的価値ではないので、農業従事者は「図書館や博物館などの文化財保護と、国境警備などの国土防衛を合わせた、国家公務員」として給与を払う。そして「継ぐ」ものではなく「なる」(農家になる=農業公務員になる)という職業選択・人生選択ルートを作ることで、農業人口を増やす、というような内容でした。

 「景観」と「自然環境保全」と「食文化」を、「外部経済価値と「経済価値」のバランスを取りながら地方の活性化を図る、というこの本のアプローチと、重なる部分と違う部分があって、そんなことを考えながら読んだのでした。

 リタイアして農村や地方で新しい生活を、という生き方を選ぶ電通の同期や後輩がいる。そういう人たちが、それぞれ楽しそうに生きている様子をFacebookで日々、見るのは楽しい。自分ではとても出来ないと思うが。日本でも、何か、この本のアプローチを日本に応用適応させた、日本版「テリトーリオ」戦略をきちんとまとめて発信してくれないかなあ。日本的真面目すぎを突き破って、イタリア的な「享楽性」「楽しい感じ」の地域戦略が生まれてこないかなあ。他力本願で申し訳ないが。 

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