グループインタビュー調査って、知っていますか?グループインタビューでわかってしまう、広告の不都合な真実。(今日は、政治、選挙の話は、ほぼ無し。)

  僕の仕事人生で、(もともとコピーライターになろうとした僕としては全く本意ではなかったのだけれど)、結局いちばん多くの時間を費やしたのが、グループインタビューという調査を観察分析して、広告主やクリエーターにレポートをする、という仕事だった。そして、おそらく、僕の能力の適性に合っていたのだと思うが、当初は本意ではなかったものの、その面白さを感じるようになっていった。

 過去の仕事の内容については、守秘義務や、調査対象の個人情報保持の点から具体的な事例について語ることはできないけれど、どんな形の調査なのかについては、説明しても問題ないと思う。(広告業界・マーケティング業界の人には常識だと思うけれど、それ以外の読者のために、基本的なことから説明します。)

 簡単に言うと、1グループ六人程度の座談会を数グループ連続して行って、観察する調査。

ある商品について、例えば
グループ1「当該商品をこの半年の間に買って、使い続けている30代 フルタイムで働いている既婚女性」
グループ2「当該商品は買わずライバル商品を愛用し続けている30代 フルタイム既婚女性。」
グループ3「購入継続(グループ1同様)で 30代 パートor専業主婦 」
グループ4「ライバル愛用(グループ2同様)で 30代 パートor専業主婦 」
全グループ共通して、「30代料理好き女性」

などというように、条件の違う数グループを作り、連続して行うことが多い。
 どんな人が、どんなふうに商品の価値を理解して、どんな風に買ったり使ったりしているかを見ていく。逆に買わない人は、何が阻害要因で買わなかったり使うのをやめたりするのかを把握する。
 商品によっては、年齢性別の違いを見たり、悩みの種類や深刻さで分けてみたり、商品を愛用している人、やめてしまった人を比較してみたり、「料理ベテラン」と「料理初心者」を比較してみたりと、課題によってグループ分けの仕方を工夫していく。

既存商品(今すでに売っている商品)の課題を発見するためだったり
新商品の開発をするためだったり
新しい広告が受けるか、効きそうかを確かめるためだったり
いろいろな目的で行われる。

 最近は、「エスノグラフィ」だの「ポストモダン」だのといった、消費者の自宅にビデオを設置させてもらって、自然な使用環境で商品がどうしようされているかを観察する「文化人類学の知見を活かしました」などという、もっと手の込んだ調査手法も進化している。

 しかし、生活スタイルや価値観から購買行動からメディア広告への評価から商品コンセプト、商品自体(デザインや味覚まで)を、一度に評価できるという意味では、グループインタビューはとても効率の良い調査手法なので、定性調査の定番としても、いまも広く行われている。

 ちなみに、定性調査というのは質的観点で課題を発見したり、検証する調査。一方、定量調査というのが何パーセントの人がどう評価する、という量的構造を把握するのは定量調査。調査というと定量調査を思い浮かべる人が多いけれど、広告の仕事をする上では、定性調査、グループインタビューの方が重要だと僕は思って仕事をしてきた。

 そのグループインタビュー、たいていの広告クリエーターは大嫌い。
「調査に集められた時には、調査対象者は、気取ってよそ行きの発言しかしないから、こんな調査は信じる価値がない」といって、調査を毛嫌いするクリエーターの人は多い。そういう、調査固有の問題点は考慮した上でこちらは分析する。調査上のバイアスを差し引いても、発見は多い。
それでも、クリエーターはグループインタビューが嫌い。なぜかというと、不愉快だから。腹が立ってしまうから。

①まずは、びっくりするほど広告というのは、見られていない、届いていない、覚えられていないということに愕然とするから。(定量調査で広告認知を取ると、結構高くでる場合でも、グループインタビューをすると、本当になかなか思い出してもらえない。)

②もし見られていたとしても、自分の作った広告の中で、商品について、広告主に、「こう伝わる」とプレゼンしたようには、伝わっていないことが、広告主の面前で明らかになってしまう。

③素人である調査対象者が、遠慮会釈もなく、「ここが嫌い」「ここが不自然」「このタレントが嫌」「狙いすぎ」などなど、言いたい放題に辛口評論家よろしくこき下ろされる。

 なので、クリエーターのほとんどは「原、グルイン、見てきて。レポートして。俺は行かないから」、と言う。(そんな中、グループインタビューに来てくれるクリエーターというのは、すごく誠実で仕事熱心。頭が下がります。)

 架空の商品で、架空のグルインを再現するとこんなかんじ。
(ほんとに架空の商品です。こんな商品、世の中にないし、このカテゴリーの仕事はしたことかありません。)

 グループインタビューでは、はじめに例えば「最近、はまっていることはなんですか」とか「同居のご家族を教えてください」みたいな話をして、リラックスしてもらいつつ、その人の人となりを把握する。

例えば調味料のインタビューだとするとーーー

「お料理で、こだわっていること、なにか、ありますか」
「ご家族の健康を気を付けているんですね」
「できるだけ自然な素材のものをとりたいのですね」
「そのこだわりのために、買ったもの、使っているものって、ありますか」と、だんだん、その商品の方に近づいていくように、話題をふっていく。

そうすると、愛用者なら「××っていうのを買いました」と、やっとテーマとなる商品について言ってくれたりする。

使用の実感、感想をいろいろ話してくれたりする中で

司会者が「そういえば、どこでその商品のことを知ったの?」と質問すると・・・
さあ、いよいよ「テレビCMで見て」と言ってくれるかなあ、と一同期待するが、相当に広告がうまく効いた場合以外は、まずなかなか出てこない。

「店頭で見かけて、なんだろうと思って」という人がほとんど。「店頭でみかけてパッケージにこう書いてあって」と、なかなか広告の話にはならない。

「TVCM」って、思い出せません?

「うーん、思い出せないなあ」

直前に何億円もかけて、大量にTV広告を出したばかりだったりすると、調査を聞いているクリエーターだけでなく、広告代理店営業の人間も冷や汗が出る。いや、広告主企業の「広告担当」と「商品担当」と「もうすこし偉い人」が一緒に調査を見ていたりすると、「広告主企業の広告担当者」も立場がない。

「あ、思い出した」、と一人が言うので

クリエーターも広告主も、やった!!と思うと

「××が出てる、あれでしょ」

最近リニューアルはしたものの、もともとロングセラー商品なので、5年も前に流した、昔のCMの話をしてくれる。しかも、他の代理店がやっていた時代のものなので、最悪だ。

 1グループ6人の参加者のうち、だれか一人が「あ、あれじゃない」と、ようやく最新作を思い出してくれる。と、他の人の中にも、「あー、あれかー、見た見た、知ってる。そうか、あれ、この商品の広告かあ」なんていう。

 そう、広告は、ものすごくヒットしたCM以外は、まあ、こうして「言われればかろうじて思い出す」くらいの届き方しかしないのだ。こうして「言われれば思い出してもらえる」のは、まあまあ成功した部類なのだ。ヒントを出しても、どうしても思い出してもらえないTVCMもけっこうある。

 司会者「じゃあ、そのTVCM、一回、見もらいましょうか」
座談会室にセットしてあるTVで、そのTVCMを一回だけ見てもらう。

「あー、これだあ。」「この××っていうタレントさんが好き」「この△△っていうのが耳に残るのよね」って、一回見せると、すごく盛り上がるのに、ヒントなしだと、最近見たばかりでも、なかなかTVCMというのは思い出してもらえないのだ。

ふと気づくと、一人だけ、全然反応しない人がいる。「○○さんは、見たことないのかしら」と聞くと

「あたし、テレビは観ません」なんていう人もいれば、最近だと「見たいドラマを録画して、TVCMは飛ばしてしまうので、TVCMは最近、見ていない」なんていう人もいる。

司会者「さて、じゃあ、今、見てもらったTVCMで、印象に残っていること、覚えていることを挙げてもらえるかしら」

タレントさんが何をしていた、どんな音楽がかかっていた、食べ物がおいしそうだった、。決め台詞で「なんとか」と言っていた。おお、いいところまできたぞ、と思っていると

「あのタレントのあのしぐさが気に食わないわざとらしい」というネガティブな意見が。おお、ネガティブなことも言っていいんだ、とその場の雰囲気が変わってしまう。
「食べ方がさ、なんかいや」
「△△なんて、ほんとは料理しないぽくない?」
「ほんとだったら、××さんが食べてくれたら、もっといいのにねー」
いかん、タレントへの不満が出てきてしまった。本当はタレントの適合度は重要な情報なのだが、タレントはそう簡単に変えることできない(年間契約でまだまだ契約期間が長かったり、いろいろな事情がある。)から、不満が出ても、困ってしまうことが多い。

司会者が「商品については、どんなことが分かった?」とすこし話を戻そうとすると

「まろやかな味」っていうこと。

うん。そう。まろやかなんだね。良かった。伝わっていた。

「自然のだしが濃いから、塩分0でも、味がまろやかで味わい深くて体にやさしい」という伝えたいことのうち、「味がまろやか」だけが伝わったようだ。

司会「ところでね、本当は、この商品、こういういいところがあるのだけれど、どう思う」と、言いたいことを全部書いたボード(コンセプトボードという)を見せると、

健康を気にしているから、ここがいいとか、味だけの話じゃなかったんだ、とか、自然のだしなのね、といろいろ納得してくれる。「こんなにいいところがあるなら、TVCMでも、ちゃんと言ってくれればいいのにー。」「そうよね、そうしたら、買うわよねー」と、なぜかちゃんと言ってくれていないTVCMに文句がどんどん出てくる。

「じゃあ、もう一回、さっきのTVCM見てみましょうか」と見せると

「あれ、ボードに書いてあったこと、全部、ちゃんと言っているわねえ。」

「塩分、ゼローって言ってるわね」「ゼロポーズまでしてる」「だから味もまろやかよー」ってね。言ってるじゃない。「自然のだし」って大きく文字がでてくるわねー。「その下に昆布とカツオがひらひらしているわね」

「なあんだ、全部、ちゃんと言ってるじゃない。全然わからなかった、家で見ているときは。」

TVCMっていうのは、これくらいしか伝わらないものなのです。

お茶の間でテレビを見ている人の、情報処理能力というのは、これくらいのものなのです。

こういうことと33年間、戦ってきたのが、僕の仕事人生でした。

CM総研CMINDEX調査によると、毎月、流れているTVCMの種類は4000作品くらい。そのうち、3000人のモニターのうち、たった一人でも「印象に残った」「好き」といって、思い出して書いてもらえるTVCMは1300本くらい。1/3だけ。

残りの2/3、2700本は、反応0。思い出してもらえない。定量調査で言うと、これがTVCMの現実なのです。

何億円も使って、大量に放送しても、びっくりするほどほとんど覚えていてもらえない。見てもらえても、伝えたいことのうちの、残るのはごくわずかな「印象」だけ。本当に伝えたいことのうち、ひとつだけでも残れば大成功。好感度の高い、契約料も高いタレントさんを使っても、嫌いだ、商品に合わない、という意見が出てくることは避けられない。

 商品のTVCMでもこうなのですから、政治についてのTVCMなんて、もっと何倍も難易度が高い。出演者(おそらくは党首さん)の、印象を「嫌い」にしないように出せただけで大成功。「何を言っていたか」具体的政策内容を残すことなど不可能。党首さん印象をよくさせられる「一言」をどう作れるか、作れたら本当に大成功だと思います。


補足

読んでくださったクリエーターの方から、「一般人をバカにしすぎ」というコメントをFacebookでもらいました。「これから作る表現について、一般の人にも参加してもらってワークショップをする方が有意義だ。できてしまった表現についてグルインで評価を聞いても仕方がない」と。なるほど、と思い、その方に返信した内容をつけておきます。

一般人をバカにしているのではなく、一般人の能力や時間の取り合いを、他の4000本のTVCMと、それだけではなく、スマホなど他の画面の情報やその他もろもろのものと取り合いをしていて、お茶の間では、まず、取れない、という事実について述べているのです。「世の中の人の、脳の中の情報処理能力と時間の奪い合い」が、広告産業の本質です。ワークショップという場なら、一定時間、一般の人の脳の情報処理能力を独占できるのだから、有意義なのは当たり前です。グルインの場でコンセプトボードを見せるという「時間と能力の独占」も同様です。
  これだけ人の脳の情報処理能力と時間が激しく奪い合われている状態で、政治的複雑な課題が入り込む隙間はあるのか、と続く話の枕と理解してもらえるといいかと。与党側戦略としては、むしろ「隙間が無くて、考えない人が増えた方が好都合」ということですから、抵抗勢力側がいかに不利か、と話は続くわけです。


 

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