癒された話(余談)
厳しい指導で育てられた私たち。厳しい教育の中で優秀だった今の経営者たち。厳しい事が良い結果をもたらすとは限らない。過当競争により悲惨な結果や思考の歪みが顕著化していたように思う。
人が欲しがる物を作り必要とされるサービスをする。それらが商売となり仕事となる。それは社会形成する動物「人間」である以上かわりようがない。必要がないものを売り嫌なものをサービスにするのは詐欺であり犯罪だ。
大人の社会では例の少年野球と違い、未だに気合と根性と我慢、罵倒と欠点の指摘が横行している。それが仕事というものだと言わんばかりだ。良いもの良いサービスでなく、気合と根性と我慢が仕事だなんて本末転倒。人の役に立たなくて何が仕事なのだろう。厳しい教育も自称優秀も聞いてあきれる。
相手が欲しているものを与えるなら我慢も努力も必要だろう。値段の割には物が良くないなど小言を言われるのもままあるだろう。それでも人に求められるから我慢できるし努力できる。存在価値もそこにある。それが努力だけ我慢だけしろとは何事だ。
子供たちでも構築できる世界なのに大人は何をやっているのだろう。確かに大人が手助けをしなければグダグダになるのは目に見えているが、少しの手助けで本当にうまく回りだす。
戦後教育の歪みが70年以上立ってもまだ尾を引いていると思うのは私だけだろうか。文化はそう簡単に消えない。結果が悪くなるとは分かっていても引くに引けない。気合と根性で少しでも結果を良くしようともがいている。高度に成長した社会でもそんな戦後教育があとを引いているのだろう。
もうそんな事は終わりにしよう。
競争に勝つだけが人生じゃない。悔しさだけでは成長する意味が見いだせない。
私は曇り空の帰り道、雨が降りそうな陰鬱な景色しか思い出せないが、今の子供たちには明るい景色しか見えない。
人生に落胆して悩んだ少年とは私の事、世界で最後の1人です。となってくれればいいと思う。
子どもたちに接していろいろ気付かされた。癒やされたという話でした。
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