母の介護に疲れた。

私は母と二人暮しだ。
父は20年近く前に亡くなり、年の離れた兄も父の数年後に亡くなった。兄は仕事には真面目な男だったが、恐ろしく金にだらしなくて、借金を重ね父が建てた家を売却する羽目になっても、まだ金に狂わされていた。とにかく問題ばかり起こす兄が亡くなってから、私と母は穏やかに、そしてそれなりに幸せに暮らしていた。

私は40代後半だが、母は80を超えている。最近色々と身体にガタがきて病院に行く機会が増えた。最初はひとりで病院に行っていたが、病院側から「娘さんも来てください」と言われてついて行った。深刻な症状という訳ではなく、母が言うことがよくわからないので娘さんと話がしたかったんです、という医師の言葉。確かに少し認知症っぽい言動が増えていたので、納得した。
腎臓の数値が悪いので、腎臓内科を紹介しますと言われた。その他にも痔が出てお尻が痛いと言う。腎臓内科のある大きな病院と、並行して小さな病院の肛門科も受診した。
肛門科では、痔ではなく、括約筋の筋力が弱まり直腸が出てしまっていると言われた。確かに母の肛門からは赤い直腸が見えている。痔だとばかり思っていたものは裏返ってしまった直腸だった。直腸脱というこの症状は高齢の女性にはよくあるらしい。医師がすぐにでも手術したら?と言ってくれて(締まらない肛門を糸でくくるらしい)、その日のうちに入院することになった。

入院は一週間近くにもなった。
深夜は付き添ってくれと言われたので、会社を休んで病院に泊まり込んだ。二日程してから、母は支離滅裂な事を言うようになった。私の事を妹のように可愛がっている親戚だと間違えて、自分のことを「姉ちゃん」と口にする。深夜に急に起き上がって「(かかりつけの)〇〇先生のところに行く」と言い出したり、私が自宅に帰っていて病院に戻ると「雨降ってきたから傘持っていこうと思った」と病室を出ようとしていた。
ネットで調べると、どうやら「せん妄」と言うらしい。高齢の方は入院すると環境の変化もあり、記憶や行動が混濁するようだ。そういえば二年ほど前骨折して入院した時も数日同じような状態だったと思い当たる。

理解はしているが、娘である私のことを覚えておらず、親戚として接する母に耐えられなかった。母が自分のことを「姉ちゃんはな」という度に、涙が溢れた。泣く私を母は何かあったのか、何か辛いことがあったのなら『姉ちゃんに』話してごらんと私を抱き締める。私はずっと泣いていた。退院するまで泣いていた。

入院する前から母は歩くのが億劫になっていて、退院後も殆ど布団で寝ていた。食事の用意はここ最近はずっと私がしていたし、家事は苦ではなかった。
自分が全て家事をやり出すと、色々気付くことがあった。居間と別の部屋があるのだが、そこが全然片付いていない。タンスに入れるはずのシャツや下着が積み上げられたまま。季節は夏前だったが、まだ沢山冬服が残っている。
トイレの掃除もきちんと出来ていない。皿や鍋も洗い残しが目立つ。自分が気付くことが出来なかったという事実にも落胆したが、そういえば、そういえばと思い当たることが沢山出てきた。
分かりやすいのが冷蔵庫の中だ。同じ野菜がいくつも野菜室にある。生肉がチルド室に入れっぱなし。アルミホイルもまだ使っていないものが3本もある。何度も同じ野菜を買うことは以前から注意していたが、自分が全て家事をやるようになってパンパンだった冷蔵庫の中が少し余裕が出るようになった。

あれもこれも、母のやることのアラが目につく。それにイラついてしまっている自分が本当に嫌だった。

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