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ひなたとセブンシブリングス

今週の日曜日、初めてのパーツに会うことができた。

朝の夢の中で突然耳元にささやきかけてきた。

昨日の詩「日のあたらない場所」は、そのささやきを記したものだ。ただし、公開するために体裁(要するに見た目)を整えてしまっていて、本当の意味での詩とは言えないかもしれない。私の記憶や感情が閉じ込められたパーツである彼女のささやきはもっと生々しく、親密なものだった。

10代の頃、実家にいて、引き裂かれ押しつぶされていたときの私の記憶

とはいっても、このnoteはもう私の心的な回復の記録になってしまっているので、詩ではないものを詩と宣言してもいい気がする。後で読み返せば、彼女のささやきを思い出せるから。

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彼女は「ひなた」と名乗りたいと言った。本当の名前は別にあって、詩的で古風で美しいけれどすぐに壊れてしまいそうな名前である。

たまたま前の夜にオリンピックの女子サッカーを見ていて「ひなた」という名前の選手が出ていることに気付き、そう名乗りたいと思ったらしい。確かに、ひなたという名前は、世界のなかで最も素晴らしい名前の一つだと思う。

解離で生まれたパーツたちは、まり(23番)やハナ(19番)などの例外を除いて過去の時間に閉じ込められているのではないかと思っている。ひなたさんは、これまでずっと、実家の残像の中に閉じ込められていたようだ。

解離が酷いときには寝ようとすると金縛りにあって、床からたくさんの手が出てきて身動きができなかった家

こんなにも長い時間、よく耐え続けることができたと思う。
「ひなた」ではなく「ひなたさん」と呼ぶのは、その気持ちの反映


ひなたさんが出てこられたきっかけは、まりとの一体化によって安定したことと、なにより、今、もう一度読み返しているジュディス・ハーマンの「心的外傷と回復」にあるらしい。

「心的外傷と回復」には、私とほぼ同じ状態にある人々(戦争経験者を除くと多くは女性たち。心的外傷を負った人は、外傷経験を無意識に再演しようとすることが多い)とその回復が記されている。そして私がこの本に書かれている回復のためのステップをトレースし続けていることで、解放されたようだ。

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ひなたさんは、身体の左側にいる。ちょうど、みかん(パーツの一人で、みかんはnote用の名前。変だと思うけど本人がそう決めた、というか、そんなもの何でもいいからみかんでと言った)と被るあたり。

みかんは、私の理想を閉じ込めたパーツ(隠すことで理想を護るパーツ)のような気がするので、「理想」と「尊厳を奪われ続けたことで自分が汚い存在だと思う感情」がほとんど同じ場所にいることになる。

そして不思議なことに、ひなたさんが出てきた後、身体の左側と右側が初めてつながった感じがした。

これまでずっと左側と右側が分離してた。つながって初めてわかった。

よくよく思い返してみれば、身体の中央を縦に大きな板が打ちぬかれているような感覚がしていたときが昔にあった。あの板はずっと残っていたんだ。

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ひなたさんとみかんは、場所が近いからか、仲がいい。特にみかんが、ひなたさんを大切に思っている気がする。そして、身体の左右が繋がったことで、まり、みかん、ハナ、ひなたさんで相互にやりとりができるようになったらしく、そういう感覚がある。

まりの世界には海があって、この海には小高い丘が面している。この前の記事で、この丘はドーバー海峡に面したセブンシスターズに似ていると書いた。そのためか、パーツたちは、自分たちはまさにセブンシスターズみたいだと思ったらしい。

なので、セブンシブリングスという概念が心の中に誕生しました。

どんなパーツたちも受け入れるためにシブリングス(シスターズやブラザーズと違って性別を問わない)にしたんだって。

表にいる私も混ぜてもらえるらしいよ