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子どもと会うのが恐い。理由を探る。

子どもが高3の6月、子どもは突然私と2人で暮らしていたアパートを出て、徒歩15分程度の祖父母宅に行くことを決めた。

ここの記憶を思い出すと、私は苦しくなる。
子どもが出て行った後の子どもの誕生日、私は怖くて子どもに会うことができない。

私が何におびえているのかの特定ができないと、先に進めない。


私は「こんなにやったのに、なぜこの仕打ち」と思っているところがある。
日本で女性の人権と子どもの人権を守って生活するって、ある程度のお金の余裕が必要になる。お金の余裕を手に入れるために、私が自己犠牲をし、思考で本音を抑圧し続けてきた。

自分を犠牲にしてきたんだから、その対価が欲しいと思っているのか?

子どもからすると、親の自己犠牲は親が勝手に本人の意志で行っていることだから、そこに見返りを求められても「はぁ?!怒」ってなるだけ。
私の母が高校生だった私に「老後の介護はしてよね」と念を押してきた時、ぞわっとした。見返りを期待した親の行動は子どもを窒息させることはわかっている。

私が子どもに求めたことってなんだったんだろう。
ここは、前に地元のカウンセラーさんに
「どんな関係を想像していたんですか?」って突っ込まれて思考停止したことがある。

・私を永遠に愛し続けること?
・ずっと私の手が必要な未熟な状態でいること?

ここを想像する材料が足りてなかった気はする…
若い頃、30代はこういう風になっていたいと思ったことはあるが、40代は…と考えたことが無いのと似ている。

高校受験→大学受験と、短いスパンで受験の山が襲ってきて、それぞれそこそこ大きな山で、実際に合格した先のイメージが全くできていなかったんだ。そうだ。大人になった子どもとどういう関係でいたいかは、想像できていなかったんだ。ただ、笑いあっていられる関係性でいたかった。

私と子どもが山登り中に、子どものコンパスが動かなくなって樹海に迷い込んでしまった。子どもはだいぶ弱っていて、ピクリとも動かない。私はあの手この手で必死に子どもを生かそうとしていた。私が親に子どもの様子を見てやってくれとお願いし、私がひとりで池で洗濯している間に、親は私に内緒で子どもを運び出していってしまった。そういう感じ。

やはりここで「なぜ?」という疑問がでてくる。なぜ私をおろしたんだろう。多分何にも考えてなくて、思考は使っていなくて、「連れていきたい」と思ったから連れて行ったんだろう。

あぁ、やっぱり許せない。この感情だけで動ける人達が、心底こわい。
そして、ここで私の親が奇行に及んだために、記憶がぐちゃぁっとして、混乱が深まってしまった。

私は大人になった子どもとどういう関係性でいたいんだろう。
いいなって思うのは、日常を共に過ごしている親子。
私の日常から、子どもが居なくなった。ある日突然奪われた。
私がひっかかっているのはここだ。
日常的になんらかのやりとりができる関係性を望んでいるんだ。

私の親は、私にしたことを忘れて私の子どもとの日常を過ごしている。
怒りが湧くのはここだ。


子どもが小さい頃から無条件に注いでくれた愛情は、心地よすぎた。親から愛情もらえなかった私からすると麻薬のようなもの。だから受け続けたかった。子どもが物理的に離れることで、ここの供給が断たれてバランスが悪くなったのは確か。

ただ、彼の中で私が母で子として親を慕う気持ちがまったくなくなったわけではない。彼は大人になっていく発達段階で、自分の周りの人々に強い関心を抱き、関係を創っていく時期にいる。

子どものころは100%に近い関心が私に寄せられ、それが成長と共にだんだん減っていく。今は1~3%くらいだろうか。

それは、私が思春期の時も同じだった。親なんて頭の片隅にいるかいないかという程度だった。なんていうか、そういうものなんだよね。そういう生き物でそういう発達段階なの。

子どもが傍にいることで自動的に注がれていた愛情をエネルギーに、私はこれまでパワフルに動いてこれた。子どもが居なくなって、エネルギーが枯渇しやすくなっているから、これからは自愛を通してエネルギー供給を受ける仕組みに変化させないといけない。そのための、引っ越し、PCでできる仕事の模索、カウチサーフィン、民泊なんだよな。


ずっと私の手が必要な未熟な状態でいてほしいと望んでいたか…
ここはYESでもありNOでもあったというか、

私は子どもからの愛情の供給を受け続けたかった。だから、子どもが物理的に離れることについて、強い拒絶反応がでていた。子どもが寮生活を望んでいたので、子どもと日常的にやりとりできる範囲に私も引っ越して、せめて
週に1回でも一緒にご飯を食べたりして時間を過ごせたらと思っていた。

ここがジャンキーの発想。これだと、麻薬依存のループにハマり続けてしまう。

一方で、子どもが寮生活が出来るように、実家を離れてアパートで二人暮らしをスタートさせた。以前私が海外暮らしを望んだ時、あまりに生活力がなく進みたい方向に進めなかった苦い経験があったから、子どもには望む方向に進めるだけの生活力をつけさせたかった。

私の理想の関係性は、自分の足で立てる自立した人同士が、必要な時に手をつないで助け合い、必要がなくなったら手をはなして自分で立つ、そういうイメージ。
自分の足で立てない人達が寄りかかり合い続ける関係、私の父母のような形は望んでいなかった。私がメタメタに傷つけられた関係性だから。

このあたりは、私の経験と価値観で決定してきたが、子どもにとってはどうだったんだろう…
「寮に行きたい」その理由、それを選択した本音は何だったんだろう。子どもに依存し続ける私や父親との関係性に疲れていたとかそういうことだろうか…

子どもは生活力の育成は必要と思考では判断していたけれど、本音は「まだまだ生活に関することは誰かにやってもらいたい。受験との両立はむり。自立したくない。よりかかっていたい」だったんじゃないかな。

私にとっては毒々しい環境だったとしても、子どもにとってはマシだったのかもしれない。私の親は家父長制、男尊女卑を根深く内面化しているため、ジェンダー的に子どもには悪くない環境だったのかも。


後は、子どもの内面のベクトルがどこを向いていたのか。
本音と思考・環境が大きくズレているとき、人は動けなくなる。
そこに、私と親の間の溝を感じ取って、私に忖度した結果、身動きが取れなくなったということもあるのかもしれない。
だとしたら、他者の気持ちを感じる共感性、優しくあれる強さがあったということ。

大学に行く意味、どこの学部に入りたいか、どの教授に興味があるのか…
当時の子どもは、そこの動機が希薄なように私には見えた。
子どもが行きたいと言った大学は、本当に子どもが行きたいと思ったのか、父親の望みを自分の望みと思い込んでいたのか。私には後者に思えた。

大学受験で難関大学を狙うとき、私なら「親がここが良いって言うから」、「世間がここの大学を評価しているから」「みんなが行くから」という外圧の理由(他人軸)では踏ん張り切れない。

子どもの中で動機を探している時期で、決定できるだけの材料がそろっていないということなんだと私は思った。妥協して周りに歩調を合わせても、結局人は自分にとって最良のものを追い求めるものだと思う。だから、材料を探しに行く道を提示した。ワーホリや海外大学進学。ヨーロッパの学生は高校卒業後1年くらい自分のやりたいことを探す期間をとることがあることも伝えた。

後に子どもから「別の選択肢を提示しないでほしかった」と言われた。「学校にむりやり連れて行ってほしかった。塾にも最適な時期に最適な大手の塾に入れてほしかった。」と。

自分軸で生きてほしいという私の願いと、周りの価値観・歩調に合わせて他人軸で生きたいという子どもの願いがケンカしていたということか?

日本で男性として生を受けたら、他人軸に乗っかっておいた方が、一見、ある程度美味しい思いができる。でも、他人軸で生きている男性たちは、孤独で幸福度が低いように見える。

迷うということは、検討していたということ。検討のテーブルにのせるだけの価値が子どもの中にあったということだと思う。検討した結果、他人軸をとったということなのか。


あの時子どもに足りなかったものは自分軸で、自分の本音を最優先に物事を決定していく習慣がついていなかったということだろうか。
私自身が、妊娠した瞬間から自分の本音を一切見えなくさせて生きていたから、私が伝えることはできなかった。日本の公立高校は自分の本音を殺すことを訓練するから論外。父親は学歴・常識といった他人軸が強いので、できるわけがない。

私がオランダに行って、モンテッソーリ教育をみてきた時、
「赤ちゃんの時からの自分軸の育成」に強く反応した。

オランダには、これまで自分が学び実践してきた、子ども中心の学びの手法の方向性が間違っていなかったということを確認したくて行ってきた。いくつもの学校をめぐって、おおむね自分の実践の方向性と変わりなく、満足していたが、自分軸の育成はできてなかったなと痛感した。

雑談の人、桜林直子さんは、お子さんに自分軸の育成を徹底的にやったと言っていた。私はたくさん学んだのに、そこにたどり着けなかった。私もそれができていれば。


このあたりの私の記憶がぐちゃぐちゃだったから、
それ以上の混乱を引き受けることができないと思っていて、それが子に会う恐れにつながったのかな…

私の望みは、子どもと日常的に笑いあっていられる関係性でいたい。

思春期は、宝石の原石のような時期で、一つひとつの経験を通して少しずつ角が取れていき、美しい仕上がりになっていく過渡期にある。
彼らは親を人間としてみていないというか、親のキャパとかわからないので平気でとても鋭い刃で切り付けてくる。

子ども自身、整理がつくのに時間がかかると思う。
声をかけて、話し合ってみるか、どうしようかなぁ…

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