学術会議任命拒否は違法行為である

学術会議任命拒否は違法行為である

政治ウォッチャー

まず、最初に必要となる基本的な条文を上げておこう。日本学術会議法(以下、日学法)の条文だ。

どれも極めてシンプルな条文ばかリである。法律条文に慣れていない人はいったん読み飛ばしても構わない。議論の途中で参照できるように上げておく。

第1条第2項 日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。

第3条 日本学術会議は、独立して左の職務を行う。

第7条第2項 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。

   第3項 会員の任期は、六年とし、三年ごとに、その半数を任命する。

   第4項 補欠の会員の任期は、前任者の残任期間とする。

第26条 内閣総理大臣は、会員に会員として不適当な行為があるときは、日本学術会議の申出に基づき、当該会員を退職させることができる。


さて、上記条文に照らすと本件任命は任命そのものも違法であり、任命拒否も違法である。

◆任命自体も違法

任命が違法、というのは定員との兼ね合いである。日学法第7条で定員は210名と定められている。そして同じ7条の第3項は「会員の任期は、六年とし、三年ごとに、その半数を任命する」とある。つまり、今回6名の拒否をしたことで定員不足を生んでおり、しかも99名しか任命していないので、「半数を任命する」という規定にも違反している。


この任命の違法性については、仮に任命拒否が合法だとしても、なお払しょくできない違法性であり、任命拒否の理由を政権がいかに説明しようとも違法である。逃げ隠れはできない。

◆任命拒否の違法性

続いて任命拒否の違法性を解説しておこう。

日学法の条文を確認して、すぐに分かるのは任命拒否を定めた手続き規定が存在しないことだ。なぜか。中曽根総理の国会答弁や、参議院文教委員会での大臣答弁からも明らかなとおり、「形式的任命」であって拒否することが想定されていないからである。拒否しないから拒否の手続きも必要なかったのである。

では、手続き規定はないとしても、規定がないままで拒否は可能だろうか。

できない。なぜか。規定がない状態で拒否を認めると、内閣総理大臣の極めて恣意的な拒否がまかり通るからである。今回のように。

なぜ恣意的な拒否がダメなのか。これを認めた瞬間、第3条の独立して職務を行うという規定が空文化するからである。理由の説明もなく一方的に拒否を許してしまえば、拒否されないようにと顔色をうかがいながら推薦しなければならなくなり、およそ「独立」とは程遠い状況になる。

また第26条では、会員に不適当な行為があったときに、総理が退職させることができるとあるが、この場合でも「学術会議の申出に基づき」行えるだけだ。不適当な行為があったときですら、総理は自在に退職させられるわけではないのだ。

言い換えればそのくらい学術会議の独立は重視されているということだ。そんな中、任命拒否だけは恣意的に行えると解釈するなど不可能である。

任命拒否を合法だと強弁する議論の中には、日学法の第1条第2項に定められている「日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする」という文言に依拠して、所轄責任を全うするために任命権者には当然任命拒否権もあるのだと主張する議論もある。だが、これも無理筋の議論だ。

まず法律用語における「所轄」は、関係性としては比較的緩く弱い関係を意味しており、「所轄」の文言をもって、定められてもいない任命拒否権を読み込むことはできない。むしろ任命拒否できない、形式的な任命しか行わないという弱い関係性ゆえに「所轄」の文言が採用されたのだと解すべきだろう。国会答弁とも整合する。

そしてまた第7条の第2項「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」という規定にある、「に基づいて」という表現も、かなり拘束力の強い表現として通常用いられている。理由も示さずに覆したり、手続き規定もなしに任命拒否したりしていいと解釈したのでは、こういう強い表現が用いられていることを説明できない。

別途任命拒否の手続きが定められていれば、「所轄」や「に基づいて」という表現があっても任命拒否は可能だろうが、規定がない以上、他の条文との兼ね合いから言っても任命拒否が可能だと解釈することは困難だ。

◆法律による行政の原理

もちろん「任命拒否してはならない」との条文がないのも確かである。しかし、忘れるべきでない点は、行政法の基本原理である「法律による行政の原理」である。これは行政は常に法律に従って、法律の根拠をもって行われなければならないとする基本原則である。一般私人であれば、「法律が禁じていないことはやっていい」と解釈して、任命拒否を禁じていないのだからやっていいと立論することもできる。しかし、行政は違うのだ。行政は逆に「法律で許されていないことはやってはいけない」のである。禁止規定がないからやっていい、とはならない。

この「法律による行政の原理」があるから、時の政権は自分たちが実現したい政策があれば、それを法案にまとめて国会に諮り、立法府に立法してもらう必要が出てくる。法律がなければ実現したい政策があっても、何もできないからである。

そのような観点から言っても、明文規定のない任命拒否を解釈だけで合法化するのは難しい。可能性があるとすれば、他の条文との兼ね合いで、この法律の場合は許されるとする道であるが、学術会議法では上述したごとく困難だ。

第1条の「所轄」も、第3条の「独立」も、任命拒否はできないと解釈した場合にこそ、一貫性のある規定として統一的に読むことができる。第7条に任命の規定だけが置かれ、そこでは「推薦に基づいて」と強い表現で規定が置かれていることも、任命拒否の不可能性を裏付ける。

第26条で会員に不適切な行為があった時にすら、学術会議の申出を待たなければ総理はその会員を退職させられないとされていることも、独立性を保つための規定として読めば整合するが、逆に恣意的な任命拒否を許せば不自然に厳しい要件を課している規定になってしまう。

◆今後任命した場合に生じる問題

岸田政権下でも任命しないという方針だそうだが、実は任命した場合にもややこしい問題が発生する。それは追加で任命された6名の任期がどうなるかという問題だ。

日学法は今見てきたとおり任命拒否を想定していないので、任命拒否によって遅れて任命された補充人員の任期がどうなるかについて規定が存在しない。

日学法の第7条第4項には「補欠の会員の任期は、前任者の残任期間とする。」という規定はあるが、これは使えない。なぜなら任命拒否にあった場合には「前任者」が存在しないからである。

仮に、同時に任命されるはずだった他のメンバーの任期と同じになって、その残存期間だと考えても、それを根拠づける条文がない。第7条の第3項ははっきりと「会員の任期は、六年とし、三年ごとに、その半数を任命する。」と明示している。なぜ残存期間でよいのか説明がつかない。

では任命されてから6年だとしたらどうだろうか。この場合は、残りの99名の任期が終了し、次のメンバーを任命する時に問題が生じる。なぜなら、「三年ごとに、その半数を任命する」というのが法律の要請なので、6名を欠いた状態では「半数を任命」できないからである。

同じ問題は6名の任期が切れた時にも生ずる。6名だけを任命することが条文上はできないのだ。

こういうおかしな事態を招くことからも、日学法が任命拒否を想定しておらず、したがって任命拒否は違法であるということが分かる。

結論として日学法はどこをどう読んでも、任命拒否を認めていない。菅総理大臣がやったことは明白に違法行為である。

◆法治国家 VS 人治国家

世間の論調を聞いていると、学術会議の問題点を指摘して、「こんなに問題の多い組織だ。だから任命拒否してもいいのだ」といった議論をよく目にする。しかしこれは法治国家としてはありえない論法だ。

むしろ学術会議に問題があって、ケシカランと行政当局が考えていたならば、なおさら違法な任命拒否はなされるべきではなかった。

それはそうだろう。気に入らない人物・団体に対しては違法行為も許される、などということになったら、もはや法治国家ではない。これは人治国家の統治そのものだ。

学術会議に問題を見出しているのであれば、法改正を国会で審議し、必要な立法を行ってから任命拒否でもなんでもすればいいのである。それをせずに気に入らないから違法行為によってその活動を妨害するなどということが許されたら、誰も日本国内で安心して暮らせはしない。

今回の任命拒否に対する反論として「学問の自由」を挙げる人も多い。それも重要なことだが、この「法律による行政の原理」というもう一つの原理問題もまた深刻な意味を持っていると私は思う。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
政治ウォッチャー