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少年の日の思い出。②

さて、続きです。前回までのお話はこちらです。

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さあ、どうしたものか。腹が間につかえてしまい身動きが取れないではないか。当時2歳の僕は押してダメなら引いてみるを文字通り身体で会得し実践していた。
それでも僕は抜けません。さながら気分は『大きなかぶ』のかぶである。
最初のうちは遊びの延長で僕がふざけていると思っていた兄がようやく異変に気づき救いの手を差し伸べてくれた。

しかし2歳と5歳の力はたかが知れている。
抜けないのだ。その辺に落ちていたビニールの紐を駆使し上手いこと抜けないものかと画策するも依然抜けないのだ。
しかしここで兄がしばしまでと私に告げる。
男2人でダメなら祖母を呼ぶしかない。そう悟った。
何もしないで時を待つとはいかに退屈なことか。こんなことをしなければ今頃は美味しいシュークリームなんぞを頬張っていただろうに。
そんな事を考えながら待っていると祖母がきた。
開口一番で呆れられ僕はもうぐうの音も出なかった。
頭側とお尻側から引いて押すという事をするも結果虚しく状態は依然そのままである。
最早僕はこのまま一生このベンチと過ごす事になるのだろうか、祖父母の部屋の蛍光灯の灯りを外から眺めて余生を過ごすのだろうか
半ば諦めつつそんな事を脳裏で考えていた。
そして祖母がある決断を下す……!!

119番を呼ぼうッ……と

大体30〜40分くらいで救急隊の方は来てくれるという事だ。しかしこの時既に時刻は4時半程を回っている。そしてこの公園は言うなればその団地に住む人は必ず通る道なのだ。世界には僕とその家族だけではない多くの人で構成されている。人が通るたびに私はなんとも言えない顔で彼らと目を合わせる事になるのだ。幼少期の僕はとてもシャイであった。この性格がこの状況に拍車をかけ私は内心既に泣きそうであった。だがしかしここで泣き叫ぶと人目についてしまう。私は見せ物ではないのだ。どうにか穏便に済ませたく必死に耐え忍んでいた。

そうしてる間に救急隊が到着した。
来てくれたのはとてもありがたいのだが、頼む…そのサイレンをこの場では一刻も早く止めてくれ…さもなくば僕は大衆の目の前で恥を晒す事になってしまう…と。
駆けつけた隊員が僕に向かって優しく語りかけてくれる。
「お兄ちゃん大丈夫?」
命に別状はなくバイタルも大丈夫なので出来るだけ早く穏便に済ませてほしい。

2歳の語彙ではこんな事は思っても言葉にする事が出来ず、必死に頷くことしかできなかった。
初めのうちはお腹を半ば無理やり引っ込め引っ張ろうとするもやはり抜けない。
サイレンの音を聞いて出てきた野次馬達が一斉に出てくる、ざわざわと声が出てきて僕はついにこの事態を乗り切れなかった事を悔やんだ。
心境はさながら本日のボスである。

なかなか事態が進行せずついに隊員はある決断を下す。

…抜けないなら、壊すしかない。

???壊す???ベンチ壊す???僕はどうなるんだろうか?

「ちょっと大きい音なるけど怖くないから大丈夫だよ」
この時初めて死を悟った。恐怖と野次馬達に見られてしまった恥辱で堪えていた涙が溢れてしまった。

これ以降の記憶が思い出せないのだが、聞くところによると、隊員は私に厚めの毛布を巻いて工事現場で見かける様な大きい器具でベンチごと切断して僕を助けたのだ。

-その後またある日にチョコレートを鼻に入れて呼吸困難になりかけたのはまた別のお話。

以降その公園のベンチは子供が隙間に入れない様にしたものが設置されるようになったのだ。
言うなれば行政を体を張って動かしたと言っても過言ではない。

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