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ソプラノ歌手、詩を書く。

友人の勧めでnoteを始めてみた。

昔アメブロとかもやってたけど、媚び媚びなコンサートの宣伝ばかりになってしまって書くのが面倒になり、ほぼFacebookにたまに書いたマジメな文章を貯めておく倉庫のようになってしまっていたから、心機一転こういうのも悪くないかなと思う。

私はソプラノ歌手だ。

-ああ、スーザンボイルね!

音楽に詳しくない方と話すと、大抵こう返ってくる。
まぁ、そんな感じです。
ザックリ言うと、綺麗な裏声で色んな歌を歌う人。

今はシンガーソングライターとかバンドとか、いわゆる歌姫とか、色んな歌手の形態がある。

そんな中でクラシックの歌手の特徴といえば、自分で曲を作るのではなく、既存の曲(百年前とかの!)の中からどの曲を取り上げプログラムを作るかというのが歌手の個性を決めているということだろうか。
そういう意味ではDJとかと似ているのかもしれない。

そんなわけで、私は今まで平々凡々ふつーのクラシック歌手として、幾人もの先輩達がそうしてきたように、自分の声に合った曲を探し、研究し、歌うというルーチンを繰り返してきた。
日本を飛び出し、イタリアに留学してもなお。

そんな最中、あのコロナ禍が訪れた。

ちょうどイタリアから日本にコンサートをしに一時帰国するタイミングで、コンサートは無くなるわ飛行機が欠航になるわ、めちゃめちゃ大変な思いをして帰ってきた。

その騒動については前アメブロの方に書いたので、リンクでも貼っておこうかな?

前編

後編

やっとの思いで日本に帰ってきたものの、その時期から日本でコロナが拡大、緊急事態宣言なんてもんが出てしまった。
せめて少しでも聖歌隊とかで働ければと帰ってきたのに、散々だった…

最初こそオペラのスコアを広げ、色んな役を譜読みするぞ!と意気込んでいたのだが、日に日に状況は悪化していく。

精神が不安定だと勉強って全然身に入らないんだなぁ、と分かった。

Twitterでも、最初はリモート演奏で賑わっていたTLも次第に寂しく、ピリピリしたなんとなく嫌な場になっていった。

イタリアでもバルコニーから歌を歌っていた翌週には道で喧嘩が頻発していたのと全く同じ流れだった。

そんな中、何人かの歌手の友達が詩を書いているのを見つけた。
へー面白いなー、と最初は見ているだけだったのだが、見ているうちに自分でもやりたくなってきた。

もともと文章を書くのは好きだったし、好きなバンドのヴォーカルが書く詞に憧れてたから。

そんな感じで、最初に書いたのが
『もぐら』だった。

もぐら

近頃は暑いですか、

そうですか、僕、もぐらなもので

川の水が増えてますか、

そうですか、僕、もぐらなもので

渡り鳥さんのお土産ですか、

そうですか、僕、もぐらなもので

きつねさんの結婚式でしたか、

そうですか、僕、もぐらなもので

楽しくなさそうですか、

そうですか、僕、もぐらなもので

かわいそうですか、

そうですか、僕、もぐらなもので


こんな詩。

我ながら陰キャな詩だと思う。
中高時代、思春期特有の悩みに明け暮れていたあの頃、
クラスメイトが
「私って悩みが無いんだよねー!それが悩み!」
って言っていた思い出がある。
太宰治に憧れ、少しの痛み苦しみに大げさにのたうちまわってた自分にはそれがとても印象的だった。

あー、この子はきっとプラス側の人間で、私はマイナス側の人間なんだなー

なんとなくそう感じた。今でもそう感じてる。

という、初っ端から辛気臭い裏話をしたところで筆を置きたいと思います。

ちなみに、このnoteに誘ってくれたオーボエ奏者副田真之介君が、この詩に曲をつけてくれた。
なんて嬉しいんだろう!!!!!

クラシック歌手にとって、詩を書く経験はもちろん、そこに曲を書いてもらえる機会はそうそう無い。
昔ロックスターになりたかった自分にとっては、この上ない喜びの時間だった。

https://m.youtube.com/watch?v=HcFWY-Ji204

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スーザンボイルは、あのオーディションの時、歌う事に喜びを一番感じてた人なんだろう(売れてからは知らん)と思う。
そういう意味では少し彼女に近付いたのかもしれない。

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