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こだわりすぎたい作曲家 | 早川博隆

「俺のほうがあなたの曲の良いところをたくさん説明できます。」

真夜中の居酒屋で、事務所代表はある作詞家に問い詰められていた。
作詞家は、その作曲家がつくる曲が好きで好きでたまらなかったのだ。

だから、作曲家のファンは作詞家になればいい。
神曲を一番最初に聴くことができるのは作詞家だからだ。

あれから7年。なんだかんだ仕事の話ばかりしてきた。
それが楽しかったし。たぶんこれからも楽しいから。

だからたまには、部屋でゆっくり話をしてみたいと思った。

早川博隆(はやかわ ひろたか)
作家事務所・株式会社Rebrast代表、作曲家。
AKB48『Teacher Teacher』でレコード大賞・優秀作品賞受賞。アイドル、アニメをはじめ、ジャンルにとらわれない様々な楽曲をアーティストに提供。作編曲を手がける。
聞き手・書き手:中原徹也(Flat Share Magazine)

早川博隆さん、ようこそ

早川博隆(以下、早川):株式会社Rebrastという楽曲制作と作曲家、作詞家のマネジメントをしている会社の代表をしていて、自分自身も作曲家の早川です。

── 会社の代表としては7年くらいたちますよね。

早川:そうだね。

── 僕もその事務所に会社立ち上げのタイミングから作詞家として所属をしているので7年になりますね。今日はよろしくおねがいします。

早川:よろしくおねがいします!

2歳で弾き始めたピアノ

── そもそも会社を立ち上げるずっと前から作曲をしていたわけじゃないですか。一番最初に作曲をはじめた理由って何だったんですか?

早川:もう覚えてないくらい前だけど、おばあちゃんの家にグランドピアノじゃなくて、四角いアップライトピアノがあったんだよね。そこで2歳くらいの時に作曲みたいなことをして遊んでいるのを母親が見て「これは才能があるのでは?」って思ったらしいんだよね。それが理由でピアノをはじめようってなったんだよね。

── その時のことって覚えてはないですよね?

早川:なんとなく覚えてるよ!「この音は赤色で」とか、先生が色で鍵盤を教えてくれてた。聴いたのを当ててみたいな、すごいスパルタな感じだったけど!

── 気がついたころにはもう周りは音楽をやるっていうスタンスだったと。

早川:なんとなくはね。嫌々やってたけどね(笑)最初はなんとなくっていうかんじだったけど、小中学校になってくると怒られつつやっていたね。

── たしかに、流れでやるっていうのとはちょっと変わってきますよね。それこそ周りの子がサッカーはじめたり野球をはじめたり。

早川:サッカーの体験に行ったりもしたけど合わなかったね(笑)「球を足で蹴る理由」とか考えちゃってダメだった。今だったら、サッカー漫画の『ブルーロック』がめちゃくちゃアツくて全然考え方も違うんだけどさ。

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アニメ・漫画との出会い

── アニメソングとかも手がける早川さんですけど、アニメや漫画って子供のころから好きだったんですか?

早川:高校の先輩にすごくオタクな先輩がいたんだよね。高校生くらいのときってカッコつけてオタク的な趣味なことを隠していたわけじゃないけど、ガチじゃないですみたいな感じを出してたんだよね。

── たしかに、いわゆるオタク的なコンテンツが今ほど一般的な扱われ方じゃない時代でしたもんね。

早川:漫画のデスノートの流行とかがあったりして、そういうのもちょっと変わってきてる時期ではあったんだけどね。その時にオタクなひとがいていろいろ教えてもらって一気にハマったね。

── 音楽的にもそのあたりの年齢のときに流れが変わってきたかんじですよね?

早川:高校の時に同じマンションに住んでた友達に「俺ラップやるからお前は曲作ってよ。」って言われたんだよね。ピアノとやり方が全然違うから作れないんだけどとりあえずやってみるわってことになって、調べた。今もうみんな知らないと思うけどSOL2っていうソフトで作曲をなんとか始めたっていうかんじ。

── それが17年前とか。

早川:その友達がいたからHip-Hopは当時からけっこう聴いていて、サウンドとかの雰囲気はわかったんだけど当時は「とりあえず、なんとなくできた。」っていう感じだった。

── 勝手がわからないからまずはマネからはじめてみたっていう感じだったんですよね。

早川:でも当時があったからこそ、今はEDMも作れるしアニソンも作れるようになったんだなって思うね。

運命の作曲家との出会い

── 楽曲制作ユニットの『SigN』として一緒に活動していたShogoさんとであったのは大学生時代でしたっけ?

早川:そうだね。大学生のころ。クラブとか全然行かなかったんだけど、たまたま曲を作ったつながりで「一回くらい聴きに来いよ。」って誘われて。イベントには幼馴染が出ていたんだけど、そこで紹介されたのがShogoだった。その頃から「歌のセンスがめちゃくちゃあるな。」と思っていて。Shogoはその時もオリジナルの曲を歌っていたんだけど、メロディーにめちゃくちゃセンスを感じて、それから一緒に曲を作るようになった。

── たしかに、バディというかお互い得意ジャンルが違うから、一緒に曲を作っているのがすごく良いなとは出会った当初から思ってました。

早川:そこが今はチームになって、いろいろな作家同士でShogoも組めるし俺も組めるし、そこは組織として良くなっていったなとは思うね。曲調にしても、自分ひとりだけだとできることに限界があるからさ。

当時、Shogoがライブイベントの現場で、一緒に作っている曲が話題になって、メジャーでも楽曲提供をしているウチみたいな作曲家の事務所から連絡をもらった。そこからが仕事としての作曲家のスタートだね。それが12年前。

── それまでは趣味の延長線として?

早川:いろいろやってはいたけどね。同人活動とかはできたからね。今の会社で作家として活動している奈須野くんも当時からの仲間だね。

早川さん5

景色が変わった"プロとしてのスタート"

── たしかに、商業作家と趣味の間に同人作家みたいなカテゴリがあるのをすっかり忘れてました。それこそニコニコ動画が主戦場みたいな。

早川:でもやっぱり音楽業界に育ててもらったと思う。見える景色が当時と今とではかなり変わったなと思うね。

── それから会社を立ち上げるまでは、事務所に所属している作家として活動していた?

早川:そうだね。作曲家として事務所に所属して活動はしていたけど今みたいにたくさん曲を作るような感じではなかった。時々は有名なアーティストの作品もやらせてもらえたけど。でも本名で活動しておけばよかったっていうのは今になって思う。

── そうなんですか?

早川:当時からやってた人って思ってもらえたかもなっていうのは時々感じる。単純にわかりにくいよね(笑)

── 僕とか昔からの早川さんのファンは「SigNだ!」ってなるからわかるけど。

早川:Mr.Childrenに同じ名曲があるからさ、それはミスったよね。

── たしかに検索で絶対に探せないなとは思ってました。

作家から社長へ

── 作家ユニットでの活動だったりとか、事務所に所属している作家を経て、今は自身で事務所を立ち上げるというところに至ったわけですけど。

早川:元々の事務所がまあいろいろあったっていうのもあるんだけど、先輩たちが本当にすごくて、全員レコ大とってるのよ!そういう先輩が周りにいっぱいいる環境だったんだよね。

── ちょっと登竜門的な感じでしたもんね。でも当時、みんな若かったから今活躍されてる作家さんとかも、忘年会とかの席でお会いしたりしてて、逆に今テレビとかで観てるのがすごい変な感じです。
10年とか経つとこういうふうに景色が変わっていくんだっていうのも感じてるし、早川さんがレコード大賞をとった時もそういう気持ちで観てました。

早川:俺もよくわからない感情だったよ(笑)自分だけの実力っていうわけじゃないっていうのもあるし。

── 20代前半から、会社の代表になっていったことで変化がありましたよね。事務所で作曲家として活動していた時とマインド的に変わったことってありました?

早川:前の事務所に対して「よく当時の俺らみたいなのをとってくれたな。」とは思ったね。

── 逆にそっち側の目線で自分と向き合うことになったんですね(笑)
会社立ち上げたてのときは僕も含め新人の作家も多かったと思うんですけど、今は状況も変わってきたわけじゃないですか。ここ数年で気持ち的に変わったことってあるんですか?

作家チームのマネジメントを始めて変わったこと

早川:クライアントさんに迷惑かけないってとこだね。あとは調子に乗らないってとこ。

── 調子乗らないってとこはなんかターニングポイントあったんですか?

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