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好きなことを追いつづけた少年 |後藤壮太郎

華やかなステージの、つくりこまれたCDジャケットの、その写真のかたわらにはいつも彼の名前がそっとクレジットされている。

音楽が好き。カメラマン・後藤壮太郎の好奇心は、いくつかの困難にぶつかりながらもブレることなく子供の頃のまま大人になった。

偶然なのか運命なのか。たくさんの出会いに置いていかれないようにと、彼は今日もシャッターを切る。

同級生の結婚式でおよそ10年ぶりに再会したその日には、話しきれなかったこと。

今日は、そんな幼馴染を訪ねてこの部屋に来た。

「ようこそ、Flat Share Magazineへ」

ごっとん1

後藤壮太郎
カメラマン/フォトグラファー
1990年埼玉生まれ。KEYTALKやsumikaをはじめとした、さまざまなアーティストのライブ写真、アーティスト写真そしてジャケット写真などを撮影している。音楽関連のみならず、様々なジャンルの写真の撮影を行うフリーランスのカメラマンとして活動している。
聞き手、書き手:中原徹也(Flat Share Magazine)

後藤壮太郎さん、ようこそ

後藤:カメラマンの後藤壮太郎です。写真の撮影は音楽関係のものが8割くらいで、ライブ写真だったりイベントの写真だったり、CDジャケットだったり、取材の写真だったり。人を撮影する写真が多いですね。

── そんな後藤と僕は小中学校の同級生です。

後藤:家も徒歩1分くらいで、小学生のときめっちゃ遊んでたよね。

── ずっと遊んでた。だから会ってない期間がかなり長くても久しぶり感がないよね。

後藤:かしこまったりしないね。
同級生でもこういう仕事をしているひと周りには少ないし、30代になってからこういう関わり方ができるのは嬉しい。

── 久々に再会をしたのが小学校の同級生の結婚式。その時はすでにカメラマン・後藤壮太郎になっていたんだよね。

再会するまでの間にも、仕事中にアイドルの記事でクレジットとして”後藤壮太郎”を見かけていることはあったんだけど。だから会っていない間も、後藤の話は聞いていたんだよね。友達とか、それこそ親とか。

後藤:俺らの地元、Facebookとかより親のほうが強い情報網もってるもんね。

ごっとん6

漠然とデザインに憧れた青春時代

── 小中学校の時って、お互いに、そんなに特別だったり目立つような存在のキャラではなかったよね。

後藤:周りにも不良とかいなかったし、大人になった今でも真面目なひとが多い。

── だけど、後藤は”ワイシャツにネクタイをして働く”っていうイメージは、当時から無かったな。それはたぶんお父さんのイメージも強かった。

後藤:そうだね。父親がデザイナーをやっていて。小さい頃から、漠然とだけどそういう職業に憧れはあった。勉強もスポーツも得意な子供じゃなかったから、興味がそっちの方向に自然とシフトしていった。
中学生くらいのときにはもうデザインとか、何かをつくる人間になりたいなと思っていた。

── 中学のときはいろいろな音楽を聴いていたよね。

後藤:聴いてたね。音楽も好きだったし、映画も好きだった。その頃のまま大人になったかんじ。まわりはスポーツ、特にサッカーをみんながやっていたから、俺も好きだったけどそれ仕事にするみたいなイメージはなかった。

── たしかに。

後藤:でも中原も当時、『BUMP OF CHICKEN』の歌詞をノートに書き留めるっていうのやってなかった?

── やってた(笑)

後藤:それがけっこう衝撃的で。歌詞の部分のフィーチャーしてさ。その歌詞っていうものを今、仕事にしてるじゃん?それがすごいと思って。
あの頃って、俺たちの周りでは「サッカーがうまいヤツがすごい」「サッカーがうまいやつがモテる」っていう中で、ひとつのバンドの歌詞に注目して掘り下げているっていう人がいなかったからそれが衝撃的だったんだよね。

そう考えると、ふたりとも中学生のころから根本的な部分が変わってないと思う。

── 後藤も、硬質のクリアファイルのCDにジャケットとか入れて下敷きにしてたよね。
直接言葉で聞いたことはなかったけど、デザインが好きだったんだって話を聞いてしっくりきた。

ごっとん3

後藤:だけど高校生くらいまでは、デザインはまだ漠然と好きなだけだったんだよね。なにかを具体的にやるというよりは、ただ好きっていうかんじ。

元々、音楽が好きだったから、バンドをやってみたいっていう気持ちもあった。ただ入った高校に軽音楽部がなかったんだよね。部活に真面目な学校で。いわゆる「全国大会を目指す!」みたいな部活しかない学校だったんだよね。その中で少しでも音楽関係のことをやりたいと思っていたから、マーチングバンド部に入った。

でもその部活が年に休みが10日あるかないかっていう厳しい部活で、めちゃくちゃ大変だった。高校3年間はデザインとかはできなくて、今の方向にシフトをしたのは高校を卒業してから。

── その後、デザインをちゃんとやりたいと思った?

後藤:高校3年間でやりたいことができなくて、フラストレーションがたまっていたから、卒業をしたら好きなことやるんだっていう気持ちがあった。でもその後、すぐに写真にはいかなくて、デザインを勉強するために専門学校に行くんだけど。
中学、高校のころから海外への憧れがあったから、留学したいと思ってて。
留学したら英語もしゃべれるようになるし、箔もつくし、なんとかなるでしょと思っていたんだけど。そんな甘い世界じゃなかったよね。
ただ行くだけじゃ英語をしゃべれるようにならないし。

「シャッターを押せば写る」から選んだコース

── 英語話せない状態で留学行ったってこと?

後藤:留学するための資格があって、それをもらうために必要なぶんは勉強した。でもテストで点をとるのと、実際に話すのは全然違うからさ。留学してすぐはコミュニケーションが全然とれないし、元々コミュニケーション能力が特別高い人間というわけでもないというのもあったし。すごく苦労はした。
ロンドンの大学に入ったんだけど、現地の生徒がほとんどで、留学生が2割くらい。だから英語のコミュニケーションをとれない人間がやっていけるような環境じゃなかったんだよね。
でも、実は写真をはじめているのはその時。だから今は留学に行ってよかったなと思ってる。

── 写真をはじめるきっかけが何かあったの?

後藤:留学先で入った芸術の大学にはファインアートのコース、デザインのコース、写真のコースがあったんだよね。ファインアートも、デザインも知識がないけど「写真ならシャッター押せば写る」っていうダメな考えで、写真のコースをとった。

── コースが写真だったんだ!

後藤:そうです(笑)
元々写真を撮るのが好きだったし、カメラを持っていたから「これだ」と思ったっていうのもあった。音楽とか映画も好きだから、そういうものも撮れるカメラマンになれるような勉強ができたら良いなと思っていたんだよね。

でも実際入ってみたら『写真論』みたいな授業。撮った写真を見て「良いね!」みたいな感じじゃなくて「なぜその写真を撮ったか」「写真を撮るにいたった過程」を説明しないといけない。でも英語できないじゃん?
撮れば作品になるみたいなノリでクラスに入った俺からしたら、逃げたくなるような状況だったけど、周りのみんなが良い部分をみつけてくれたりして、救われたりしていたんだけど「ムリかも」って思う部分もあった。

入った大学は、進級するひとがクラスの半分とか1/3とかしかいないんだけど、そのタイミングで俺も「帰ろう」って思って日本に帰ることにした。

── さらっと「帰ろう」って言ったけど決め手になるような何かあったんでしょう?

後藤:東日本大震災があったタイミングだった。将来的に自分はどこで仕事したいか考えたときに、海外で仕事したいという気持ちもあったけど、日本で自分のベースみたいなものをつくれたらと考えたんだよね。それからバンドの写真を撮るっていうのをはじめた。

ごっとん2

同級生から撮り始めたライブ写真

── 帰ってきてすぐにバンドを撮りはじめたの?

後藤:そう。同級生がヒップホップグループをやっていて、ライブを撮らせてもらって。偶然フューチャリングで出演していた森心言さんと知り合いになってバンドを撮り始めるようになった。
それで10年前にAlaska Jamを撮らせてもらった時に、小野武正さんと出会うんだよね。それからKEYTALKの写真を撮らせてもらうようになって、いろいろな方に出会うようになって少しずつ仕事にできるようになってきたっていうかんじだね。

── 下積みみたいな時期ってあんまりなかったの?
すごく人気のバンドを次々と撮れるようになっていって、話聞いていると順風満帆にもみえるけど。

後藤:いや、あるよ(笑)
とにかく撮らせてもらうっていう時期も2、3年くらいはあった。その期間に写真の専門学校に行っていたから、その期間が下積みというか準備期間だったかも。

── たしかに、後藤の写真を通してみたバンドの方が、もう話題になっている方ばっかりだったから錯覚しているっていうのはあるかもしれない。

後藤:ありがたいことに、はじめて関わってからどんどんつながっていったバンドがみんな話題になっていったんだよね。だからそれに置いていかれないようにしがみついてがんばっているかんじかな。すごく恵まれているなと思う。
世の中には、うまくいかないバンドもたくさんある中で、関わってくバンドががんばってくれているから、大きな会場でのライブを経験できていると思うし、さらに仕事が広がっていくのを感じるんだよね。

える:日本で専門学校行きなおしたの?

後藤:イギリスでは写真論しかやっていなかったから、写真の技術みたいなことをぜんぜん勉強できていなかったんだよね。ストロボを使うとか。

── でも、CDジャケットとかつくりこんだ撮影しているよね

後藤:もともとそういう作品が好きで。今ってスマホとかでも写真を撮れるじゃん。自然なありのままの瞬間を切り取るっていうのもあると思うんだけど、自分がカメラマンである以上は「こんな写真撮れない」って思われるような写真を撮りたい。
一方ではライブ写真とかも好きで、頭の違うところを使うけどどっちも楽しい。

── それこそ、道具としてのカメラは進化していて、
「誰でもプロみたいに撮れます」っていうものが増えてきたわけだけど、
「押せば撮れるじゃん」っていう発想から”カメラマン”になった瞬間って自分の中であったの?

後藤:一番最初にライブ写真を撮った瞬間から、この写真最高だと思う瞬間があった。
自分の中でアイデンティティを見つけられてその延長線にいる気がするな。
常に良いものを撮ろうという気持ちだし、俺が撮るのは人が多いから、最初からフワッとした感じではなかったかもしれないね。

カメラマンって自称してしまえば誰でもなれるものだけど、良い写真を撮っているのはやっぱりプロのカメラマンだったから、そういう意識を持ち続けているっていうことが大事だと思う。

ごっとん5

喜びが自己満足で終わらないように

── これからの夢とか希望とかある?

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