読書感想文:「星か獣になる季節」について

最果タヒさんという詩人の小説集です。小説としては二つのお話が、最後にはあとがきが収録されています。個人的にはあとがきが一番好きです。

まず最初に「星か獣になる季節」。表題作です。好きなアイドルが殺人犯として捕まったことをネットニュースで知った主人公のぼくはクラスメイトで同じきみのファンである森下と共に彼女を無実にするため殺人を繰り返します。はっきり言って気持ち悪いです。このお話、きみへ向けたぼくからの手紙となっています。ページにして86ページ。こんな手紙もらったらわたしだったら卒倒すると思います。作者が詩人なだけあって言葉の濃度が高いなと思いました。わたしが使えば陳腐に見える単語も最果タヒさんの手に掛かれば等身大のぼくになるんです。突拍子もない内容だけど、言葉はすごく丁寧でした。

かわいいと、思うこと、がんばっているね、と見ていることが、きみへの侮辱にならないか、きみを人として、アイドルやキャラクターやペットではなく、人として愛せているのか、不安だ。誠実でありたい。ぼくにきみの生き方を、がんばりを、褒め称える権利なんてあるんだろうか、愛する権利なんて。なにもない青春だった、きみを見つめる以外なにもない、でも、それでもどうしようもなく、どんな形になろうとも、きみがなにを思って、どんな生活をして、生きているかなんて関係ないぐらい、きみの努力に愛を、愛を、そそげたらよかった。そんなものがぼくのなかにあるなら。

手紙の終盤、これまでの話を終えたぼくが最後にきみへ気持ちを綴る場面の一部です。純度が高くて好きです。

次のお話「正しさの季節」。このお話について書くとどうしても先のお話の結末について触れなくてはいけないので割愛します。変わってしまった普通の中でいろんな人の正しさだとか悲しさが入り混じっていました。是非読んでみてください。

そしてあとがき。あとがきの文字のすぐ下に(これは、「17歳」という季節へのあとがきです。)とあります。これを見て、この本は三つのお話が入っているんだなと思いました。でも、二つのお話を通してのあとがきにもなっていて、上手いな、と。
わたしは一番最初にあとがきを読んでほしいと思うくらいにこのあとがきが好きです。どこかを抜粋しようにも全てが良いからなにも抜き出せない……。
誰かを軽蔑したり軽蔑されたりして自分自身を見出していた。あとがきにはそんなことが書いてありました。
「星か獣になる季節」で、ぼくはきみに対して何度も軽蔑している旨を伝えていました。アイドルとしてきみのことが好きだけど、アイドルなんてやっているきみのことを馬鹿にしてもいる。頭の中お花畑みたいだ、きみもその家族もなんて思って。
自分と他人に優劣をつけて、それが優であろうが劣であろうが自分は人と違うんだと思うことで安心した。自尊心を自分の存在のみで育むことができなかった。そんな季節を思い出して心がちりちりとした。
ぼくがきみを軽蔑する様は醜くもあり、懐かしくもありました。だって、わたしにもそんな季節があったのだから。しばらく忘れていました。あの頃、彼氏を取っ替え引っ替えするクラスメイトを見てわたしなんかより先を歩いているな、誰かと特別な関係になれるなんてすごいなと感心する反面、自分の価値を下げているなと軽蔑もしていた。でも、その価値ってどこにあるんだろう、一体なんなんだろう。わたしが彼女と付き合うわけでもないのに。価値について考えるなんておかしいじゃないか。関係ないじゃないか。だけどわたしはやめられませんでした。わたしがわたしであるためには誰かにはなにかになってもらわないといけなかったから。きっとわたしのことを知ってる誰かだってわたしのことを地味だ、頭が悪い、なんて評価して安心していたことでしょう。
それらがわたしのほとんどだったにも関わらず、大人になったらそんなことどうでもよくなりました。自分が自分であるのに他人なんて関係なかった。それに気づけたきっかけがなんだったのかはもう忘れてしまいました。こびりついていた醜さが風化して剥がれてしまったのかもしれません。あるいはもうそんなことをする必要がないくらいに自己を確立したのかも。ともあれ、自分の化膿した傷みたいな季節を振り返り懐かしく思えたのはこの本のおかげです。感謝!

👋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?