続・散歩した

感情が蠢いていました。この気持ちはいったいどこにいくのだろう。心に向かっていくのか、脳に向かっていくのか。口から吐き出されるのか手を使って表現をするのだろうか。
わたしは感情を孕んでいます。それは次第に膨れていって、どうにかして生まれます。言葉だったり絵や音楽だったりが感情を持つ母の子です。

浮かぶ感情について考えていると楽しくなってきます。正誤なんて関係なくって、果てのない道をひたすら進むみたいに考えていきます。そして最後はドロップアウト。そんな感情の欠片を沢山持っているのに、わからない感情だらけで例えば好きとか例えばシャーデンフロイデとか全くわかっていません。どうしてわからないんだろうと考えました。考えました。考えたんです。どうしてこう思ったのか忘れてしまいましたが、きっとこうなんです。恋愛っていうのはパズルの枠なんです。わたしが毎日追ってる果てのない道はそんなパズルのピースで、ピースだけを持ち上げて見てもなんの絵だかわからないみたいにわたしは好きがよくわかっていないのです。でも、きっとピースは持っています。沢山持っているからきっとそれのピースだって持っているはずです。意識しているのか意識していないのか、それをはめて眺めたりしないからわからないのでしょう。だからむいちゃん(彼女はわたしの友達です)とわたしはそういう野暮な話はしないんです。枠組みの話じゃなくて、どうやってそれを作っていくか、どんなピースをはめていくかの方がずっと盛り上がるから。たぶんそうでしょう?

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