不一致からの喜び

「読みたいことを、書けばいい」という本があるらしいが、じゃあ食べたいものを食べればいいのかというと、答えはNOだ。こんなことを言い出したのは全てモスバーガーのことを考えているからで、しかし実際に食べているのはおかゆと梅干しだ。食べたいものと食べられるものは一致しない。食べたいもの≠食べられるもの。だから、読みたいもの=読めるものとは限らないし、書きたいもの=書けるものとも限らない。着たい服と似合う服は一致しないことが多いし、好きなタイプと相性がいいタイプも一致しない。何もかもが不一致。人生は不一致の連続だ。

私は何を言っているんだろう。全ては胃腸のせい。もう二ヶ月半も復活しない胃腸のせい。食べたいものが食べられない苦しみは大きい。モスバーガーが食べたい。モスバーガーが飲みたい。モスバーガーを消化したい。モスバーガーを味わいモスバーガーを咀嚼しモスバーガーで腹を膨らませたい。間違っても豆腐や厚揚げや魚のすり身ではない。読みたいことを書けばいいのなら私はモスバーガーを書きたい。モスバーガーのSFやモスバーガーのコメディやモスバーガーのファンタジー。モスバーガーが産まれた日、モスバーガーの青春、モスバーガーの旅立ち……

ああモスバーガー、モスバーガーが食べたい。

胃腸の復活はいつだろう。十字架に磔にされた胃腸が今にも息絶えそうに呻いている様子が見える。このまま胃腸が死んでしまったら?モスバーガーとは永遠のお別れ?そんなのは嫌だ。モスバーガーとは別れたくない。まださよならも言えていないのに。最後に会ったあの日がまさか一生の別れになるだなんて。

謎の奇病になってから3年が経とうとしている。そのうち現状の自宅入院ラプンツェル生活は1年半。歩行できないので車椅子を押してもらうが、運動をしないから各身体機関の機能が低下していく。骨折をきっかけに寝たきりになって身体が弱っていくお婆さんの晩年と展開があまりに似すぎている。まさか胃腸までダメになるとは。頼みの綱の食の喜びが消えた今、何を喜んでいけば良いのだろう。

ここまで書いて今、喜びの遊びのことを思い出した。喜べることを探すのはいいことだ。ビッグバンセオリーをシーズン5まで観られたことは嬉しいからそれを喜ぼうと思う。ビッグバンセオリーを見ているときだけは何もかも忘れて彼らの楽しい生活の中に存在できる。ビッグバンセオリーに出会えたことはかなり喜ぶべきことだ。ビッグバンセオリーに出会う人生とビッグバンセオリーに出会わない人生なら、ビッグバンセオリーに出会う人生の方がいい。ビッグバンセオリーに出会えたことを喜ぼう。それからアマゾンの便利な棒が1階のテレビに挿せたこと、1階の布団の寝心地が上々なこと、今日も緑が綺麗なこと、ベルメゾンのカタログが面白いこと、喜べることは探すと案外たくさんある。見えていなかっただけで。

落ち込んでいても仕方がない。
だけど落ち込むこともある。
弱音を吐いても仕方がない。
だけど弱音を吐くこともある。

それが人間、それが感情を持つということ。
私にはまだ感情があった。それを喜べばいいんだわ。
一通り落ち込んだら元気が出てきたような気がする。

ビッグバンセオリーを見て笑ってきます。
ありがとうございました。

しあの

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞