優しさに追い込まれたら

私個人の話なのだが、なんか、昔よりも「善き人間であらねば」という想いに追いかけられている気がする。

私は大学時代マジメに授業にも出ない自堕落な生活を送っていた。そもそも学部に友達が少なかったのが原因なのだが、それでも楽しくやらせてもらっていたサークル内ですら揉め事を起こし、罪悪感で日々いたたまれず、そのまま暗い卒業式を迎えた。その後、慈悲の心により仲間たちには温かく迎え入れてもらえたものの、申し訳なさで今だって胸がズキズキする。なんであんなにクズだったんだ、私。

家庭環境っていうものは人格形成に多大なる影響を及ぼすもので、言わずもがな私は自分のことがそもそも嫌いだった。自信がなかった。だから就活もせずに大学卒業後は留学に逃げ込んだのだが、なんの因果か留学をしてから目が冷めて、そんな自分がほとほと嫌になった。外国の人たちはセルフ・ラビングとでもいおうか、自分のことを愛する力が強くて、私にはそれが衝撃的だったのだ。

自分のクズさクソさに真っ向から向き合った私は、もうクズはやめよう、クソはやめようと、善き人間になるべく努力を重ねることを決意した。容姿の努力、勉学の努力、仕事の努力。努力は確実に報われていった。少しずつ綺麗に、華やかになった私は、少しずつ良い仕事をするようになった。

アートにも興味が湧き、美しい映画を愛するようになった。善き人間が登場する、良い話。憧れだ。私の憧れの人生がここにある。

なのだけど。

そもそも私が抱えている問題は変わらないのだ。生まれの悪さ、育ちの悪さは変わらない。私が荒んだ心のまま少女期と青春を過ごしたことは変わらないし、根本的な環境が変わることもない。そこに理想と現実のねじれがある。

昔はもっと気楽だった気がする。のびのびとクズをやっていたし、クソな生活を送っていた。自分が美しくない人生を送っていることに対して、少なくとも「努力が報われない」という形では絶望することはなかった。

人の悪口を言うのをやめて、誰にでも対等に、できるだけ明るく、柔和に。一つずつ項目が増えては南京錠が掛けられていくような、そんな重苦しさがのしかかっている。

優しさに追い込まれた先に見える世界はなんなんだろう。

私は善き人になれるのだろうか。

善き人ってなんなんだよ。

なんか、昔、そんなこと言われた気がするな。なんなんだろうな。

私は自分の過去の全部がいつまでもずっと許せないようにシステム設計されたロボットなんだと思う。

おわり


HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞