人はシェイクスピアにすらも慣れる

昔の洋画を重点的に観るようになってからひと月ほど経つだろうか、最初のうちは「すごい!白と黒ですべてが表現されている!」とかなり根本的なところにすら感動を抱いていたものだが、今では映画が白黒であることは当たり前に感じるようになり、逆にカラーの映画を観ると「うわっ、色が付いてる!」だの、「カラーなだけでなくデジタルではないか!」だの、過去から来た人のような反応を示すようになった。

そういう意味では私はタイムトラベラーであるとも言える。人は環境さえ整えればタイムトラベラーになれるのだ。2020年の現代に生きて存在していても、密閉空間にて、任意の年代に用いられていた本や映像、家具や衣類、食料(外界との交流を断つため部屋に設けた小窓からの配給制が望ましいだろう)などに囲まれて過ごせば、その年代の人間の気持ちで暮らすことは可能なはずと言える。

実際に私は、病床というこの閉鎖された環境を生きる中で、現代日本を生きる若年層の女性としての自覚を失い始めていて、基本的には昔のヨーロッパ貴族とか、古き良き時代のアメリカの女学生の気持ちになっている。もしくは、お昼の時間には毎日おジャ魔女どれみを観ているので、平成初期の小学生の気持ちになっている。前者はともかく、後者は得られなかった幼少のみぎりの美しい想い出を充填されているようで大変心が充たされる。

おジャ魔女の話はさておき、昔の洋画といえば、シェイクスピアを観たことがないことに気が付いたので、何本か少しずつ観ている。と言っても元が演劇なので映画化されている作品はそう多くはなく、実にベーシックな『ロミオとジュリエット』と『ハムレット』を観終わったところだ(どちらも古い方)。

シェイクスピアを初めて観た時はその詩的な表現に心底驚いた。セリフの一行一行がまるで真実を語っているようで、鳥のさえずりのように美しく、シェイクスピアという人はきっとたいそう女性から好意を寄せられただろうなと感じた。才能のない書き手がつまらない風景描写や嘘くさい比喩表現を使うと私は興ざめしてしまうのだが、彼の書いた言葉は、本当に心の底からそう思ってるんだろうな、と、そういう衝撃があったのだ。

ところがどっこい、慣れとは怖いもので、ロミオとジュリエットを観終わり、ハムレットを観ている途中から、その詩的な表現にも特に何も感じなくなっている自分に気が付いた。別につまらないとか、飽きたとか、そういうわけじゃないけど、ただただプレーンな感情がそこにあり、「シェイクスピアはそういうこと言う人だからね」くらいにしか感じなくなっていたのだ。

これは初対面の衝撃が大きい人に対して起こりがちな心境の変化かもしれない。個性が強すぎると、最初の出会いでビッグバンが起きるのは良いものの、そこから先は右肩下がりになってしまうのだ。いやいや、きっとシェイクスピアの良さはそんなものではないのであろうし、味わえば味わうほどに深みが増すのであろうことは想像が付くのだけど、とにかく、最初の頃のドッカーーン!と弾ける衝撃はもう帰ってはこないのである。

シェイクスピアと同時に語る話でもないけど、気になる人と食事などに行って最初はめちゃくちゃ面白がってもらえるのに、三回目あたりでスウッ……と引いていかれる傾向にあるのはそのせいなのかな……と、全く関係ないことを考えた。ほんまに全然関係ないやんけ

おあとがよろしいようで。


執筆期間:思い付き即日発行



HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞