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ヘッダー画像を毎回さがすの大変すぎ問題

note歴も2年半となると毎回の投稿に対してのドキドキもなくなってくる。ただ息を吸うように文章を書き、いやむしろ吐くように書いているのだが、とにかく自分の内に秘める想いをただ爆裂なる勢いでガーッと書き出しただけの文章をインターネットの海に放流することにさほどの抵抗もなく、実際は "ここ" は「学校へ行こう」における未成年の主張の舞台となった学校の屋上くらいにはなんらかのてっぺんに位置するはずなのに、それも忘れてしまう。いまやnoteを「趣味」と位置付けた私にとって、つまり学校の屋上で想いの丈を日常的に叫ぶこともまた趣味ということになり、そんな中学生いやだな、というか中学生ならまだ若々しさという大儀明分があるからいいけど、私はもう大人なのに、といっても赤ちゃん同然なんだけど。

と、こういった至極どうでもいい、内容なんてない、ただ文字を羅列して言葉遊びやリズム遊びがしたいだけの文章を書くにあたり、主義主張なんてないわけで、じゃあこれって本当に未成年の主張なんですか?むしろこれは高校で軽音部に入った男子生徒が音楽の中の「音」という部分にのめり込んでいる様そのものなのでは?という気もしてくるのだが、とにかくジャムセッション的な文章には中身なんてなく、言葉が音のように流れることだけが楽しく、音のない音楽を聴いているようで、いつまでもそのリズムの波に乗っていたい。

で、こんなどうでもいいnoteに対して毎回ね、ヘッダー画像を選ぶのって大変すぎやしませんか?と、前から思ってはいたのですが、さりとていい感じの写真を用意できるわけでもなく、ただみんなのライブラリから選ばせていただいてはいたのですが、これが読み込みがなかなかに遅く、しかもスクロールすればするほど目が回る仕様で、全体的に自分には合っていなかった。合っていなかったんだから仕方がない。だからこの通り、自分用のヘッダー画像を月ごとに用意してみることにしたわけであります。今月は薄緑色なわけであります。

季節は定点観測から成り立つ。物理的な移動距離が今ほど長くなかった遙か昔、人は同じ地点で眺める小さな景色の移り変わりを楽しんでいたのだろう。家の中庭を散歩してみると、様々な植物がそれぞれ十日ほどの周期で若葉をにょきりと出しては花を咲かせ、それらが何層にも重なることで自然の移ろいが出来上がっていることに気が付く。五月は古い葉と若い葉の二層構造で、新緑は初々しく瑞々しいが、詰み取るとあっという間に枯れてしまう。そんな産まれたての若葉もやがて歳を取り、これから景色は徐々に濃い緑色に変わっていく。季節は突然に変わるものではなく、一日一日、一時間ごとに変化していくものだ。夏が来るのは楽しみではないが、夏が来る予定がなければ五月もやって来なかっただろう。この気持ちの良い気候の中、今はただ新緑のカーテンを楽しんでいたい。


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