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天神竹井皮膚科美容皮膚科 院長 竹井賢二郎さん

皮膚科の診療を10年間行ってきた知識や経験をベースに、美容医療に安心して踏み込める女性が増える様に、新しいチャレンジをし続けている、竹井賢二郎さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地: 宮崎県
活動地域:福岡県
経歴:ラサール高校卒業
2007年 九州大学医学部卒業後、九州大学皮膚科医局入局
東京都佼成病院、長崎県中対馬病院、九州大学病院、飯塚市立病院
医療法人中野会中野医院勤務(宮崎県)、六本松皮ふ科を経て
2019年 天神竹井皮膚科美容皮膚科開設
現在の職業および活動:天神竹井皮膚科美容皮膚科 院長
座右の銘:万事塞翁が馬

キレイな人が増えることで、元気で幸せな人を増やしていきたい

Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?

竹井賢二郎さん(以下、竹井 敬称略):
私はもともと、皮膚科の診療を10年間やっていました。その時には、皮膚の疾患を治すことを必死に取り組み続けて、大体のことが出来る様になり1人前になることが出来たと思います。その時に改めて「自分は何が本当はしたいんだろう?」と考えたんです。
 今行っている保険診療は、病気を治すことがメインなので、マイナスを0にしたり、少しプラスになればいいというイメージの仕事です。それが決して不満という訳ではないのですが、キレイな人をよりキレイにする仕事が私はしたいと思いました。そこで選択したのが自由診療でできる美容皮膚科でした。私はもともと自他共に認めるキレイ好きで、肌にシミができたら取りたいと思いますし、その人が元々持っている肌の美しさに戻ることがキレイだと思います。今、残念なことに美容医療に踏み込む女性は1割と言われています。理由は、「良くならなかった」や「高いお金を取られた」などの悪評が多いからだと思います。私は10年間まじめに皮膚疾患について学んできたベースの上で、肌の構造やリスクを理解してやっていますが、美容皮膚科の中でしっかりと皮膚のことを理解してやられている人は限られていると思います。もっと美容医療の良さがわかって頂けたら美容医療業界が良くなったり、美容医療に踏み込める女性が増えると思っています。そんな女性を少なくとも3割位には増やしたいと思っています。
 私は独立する以前に、美容医療のことをしっかりと学ぶために第一人者の中野医院の中野先生のもとで勤務させて貰いました。中野先生の美容医療に取り組む姿勢が本当に素晴らしくて、中野先生と仕事をする中で、新しい知見を見つけて、いい技術ができることを通して世の中の為になると思いました。新しい知見を見つけることを続けながら、キレイな人が増えることで、元気で幸せな人を増やしていきたいと思っております。

記者:美容医療に対する問題意識や、そこに本気で向き合っている竹井さんの姿勢が素晴らしいと思いました。

Q.「キレイな人が増えることで、元気で幸せな人を増やしていきたい」を具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?

竹井:無駄なく、効率よくシミが取れるプランを5年位で作りたいと思っています。今はまだ、非効率な面があります。それをもっと効率的にしていきたいですし、いずれはAIや機械を開発することにも係わりたいと思っています。

記者:ワクワクしながらお話して下さる姿に、本当にキレイにすることがお好きなんだなと感じました。

Q.「キレイな人が増えることで、元気で幸せな人を増やしていきたい」を具現化するために、現在どのような活動指針を持って、どのような(基本)活動をしていますか?

竹井:

理念
・当院が皮膚科診療を通して、人々を美しい肌に導くことで明るい社会を作る。
・新しい医療の知識や技術、接遇のスキルをクリニック全体がチームとして作り上げる。
・新しい知識や技術を世界に広げる。

行動指針
・全員が笑顔で楽しみながらで働き、患者様の満足、喜びを自らの喜びとする。
・全員が皆、夢を持ち、成長し、日々向上することを目指す。
・皆がそれぞれの立場を越えて、お互いに支え合いチームとしての力を発揮する。

記者:この理念と行動指針をチーム全員が、しっかりと理解し、行動されているお話を聞いて、チームで活動することを大切にされていることを感じました。

Q.そもそも、「皮膚科の医師になろう」と思ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

竹井:医学部の大学に進学し、やりたいことを見つけたい思いから。勉強も頑張りながらも色んな本を読んだりしました。そして、卒業で進路を決める時に、父の後を継ぐ小児科ではなく、自分の人生を生きようと、興味があった皮膚科を選択することを決めたんです。そして、父に「今までは父の言うことを聞いてきたけど、これからは自分のやりたい事をやる為に皮膚科にいく」と話したんです。その時はじめて父が理解してくれて、今までの父の思いを話してくれました。正直これまでとても厳しかった父を憎みたくなるような思いもありましたが、それが父の愛情であった事が理解できて感謝へと変わりました。今ではよき応援者となってくれています。

記者:やりたいことを見つけたいという思いが強く、勇気を持って自分の人生を切り開いていった決断に聞いていてとても感動しました。

Q.「医者を目指そうと思った」背景には、何があったのですか?

竹井:私は小学校の時から、「生まれた来た意味は何だろう?何か名を残さないといけない」と思っていました。父は小児科で医師をしており、私は医者になると小さい頃から思っていました。父から「ノーベル賞を取れる様に頑張れ」と言われ続けたのも影響して、中学生の時に七夕には「歴史上に名前を残せます様に」と書いていました。私の家はゲームや漫画が禁止だったり制約が厳しく、友人宅でゲームをさせて貰ったりもしましたが、それよりも、理科や地図を見る事など知らないことを知ることにワクワクし、その時間が好きでした。
そんな学生時代を過ごして、私が高校生の時に大きな事件がありました。2歳上の兄が医学部への進学をやめたんです。兄と父が喧嘩になり、なんと父から兄は縁を切ると言って追い出されてしまったのです。それが高校生の私には凄いショックで、家族がバラバラになるのが悲しくて、父の望んでいる医学部に行くしかないと思う様になりました。

記者:竹井さんの追及心や探究心のルーツが観えましたし、医師になる背景には、深い涙があることを知りました。

Q.読者の方に向けて一言お願いします。

竹井:美容業界や美容皮膚科に不安を抱いている方は多いと思いますが、やれることやれないことを提示した上で、選んで貰えればいいと思います。なので、できることがあるのに踏みこまないで、悩みを解決するのを諦めないで欲しいです。

記者:医師になるまでの深い涙や、今の事業を決断するまでのお話に沢山の気付きや勇気を貰いました。また、竹井さんの美容医療にかける思いの深さにも感動しました。貴重なお話ありがとうございました。

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竹井さんの活動、連絡については、こちらから↓↓

HP:

【編集後記】
インタビューの記者を担当した不知と岩渕です。
終始フランクに話して下さった竹井さん、美容医療にかける思いはもちろん、チームのことを常に考えられている姿勢が本当に素敵だなと思いました。もっと色々聞いてみたくなる様な素敵な魅力を持たれている方で、とても楽しい時間でした。
竹井さんのますますのご活躍を楽しみにしております。

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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


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