アーティストという心性をめぐって

アーティストにとって、自分が所属する表現ジャンルの常識やシステムから生成される心性(メンタリティ)について考えてみたい。今回、劇作家・演出家の皆さんと意見交換をさせていただき、一番に考えたことだ。演劇制作において半ば必然的に伴う集団性、階層や役割、ジェンダーバランス、劇場を主とした公演という発表形態、演劇史、批評形態、市場ルールや文化政策、労働(演劇人の仕事の幅、副業との兼ね合い)など。こうしたシステムは、自明でありつつも、そのシステムに乗りながら活動するアーティスト(関係者全体)に深くマインドセットされ、時として表現の中身にまでシステム的な発想が内化される。これが、「心性」という言葉で表したものだ。理屈ではなく心性なので、かなり注意深く意識しないと自動的にそういった発想のモードになる。もちろん悪いことばかりではないが、自由な表現をするには、その心性は時に邪魔になる。

「現代○○」と呼ばれる表現は、往々にしてそのジャンルのルールや常識をずらすことに注力してきた。「演劇とは何か」「美術とはどこまでが美術か」「そもそも音楽とは・・・」という問いをもって、「○○史」を更新してきたのだ。その歴史の流れのなかで表現することを避けるのは難しい。しかし、今回の座談会には、その「先」(あるいは「手前」なのか)で語る気概があり、「いったん“演劇”は置いておこう」というムードがあった。そこで向かうのは、「日常」という現場だ。地方移住、福祉、海外生活、育児などお互いの関心、あるいは目の前の生活ならではの切実さが、演劇というシステムの話と分け隔てなく語られてゆく。そう。私たちは一人ひとりののっぴきならない「生活の当事者」として、この先、いつどこでどのように、そして誰と演劇(表現)するべきなのか、そのことについて思いを巡らせたわけだ。

2000年にミュージシャンとしてキャリアを始めた私は、2000年代後半から「アートプロジェクト」なんて言葉も皆目知らない状態で大阪の新世界、釜ヶ崎、築港などで様々なプロジェクトを企画してきた。そのキャリアが一定評価されたのか、2010年代は全国各地の街場、学校、福祉施設、復興支援の現場などで、アーティストとして期間滞在し、原点である音楽を軸にプロジェクトを立ち上げてきた。しかし、ここにきて限界も感じている。コミュニティ(生活の現場)は舞台には上がらない。そこにただそのまま、在る。そのうえで、第三者であるアーティストが関わり、そこに居る人たちの日常をリスペクトしつつ、少しずらす。これまでなかったような発想で日常をとらえるための「感性のまなざし」を創作する。そして、共に行動する。ここで起きることは、言うならば文学的であり、映画的であり、演劇的であり、音楽的な異日常の発生だ。感性による体験は、そこに居る人たちの関係性や生活の機微に多少の変化をもたらす。些細ながら何かアクションを起こすきっかけになれば、新しい仲間たちを招き入れる契機ともなる。でも、それらは評価(経済波及効果、当事者に対するケアや教育的視点、移住や開店の有無)の対象となっても、「批評」の対象にはならない。美的な体験を社会的に評価しても、「社会的な体験を美的に批評する」という壇上にはあがらない。「社会美学」なるものが、根付かないのだ。私はそこに不満と限界を感じてきた。逆に言えば、私のなかに「作品」的なる存在にこだわる心性が残っていたとも言えるだろう。「場そのもの」が批評されないなら、「作品」として切り出さねばならないのではないかと。このことの答えは未だ出ていない。

しかし、皆さんとの対話で気づいたことがある。生活現場に赴く表現を長らく続けていると、「アーティスト」である自分が消えてゆく瞬間を感じることがある。それはアイデンティティが揺らぐ恐怖の体験でもあるが、一方で、役割から解放される自由の体験でもある。自分はどこかでアーティストという役割を演じてはいなかったか。時に強烈な個性を放つ住民たちとのやりとりによって、「自分がアーティストであることなんてどうだっていいのではないか」と心底思わされる。そのプロセスがあったうえで、再度、役割を自覚し、引き受けるとき、表現の地平は変わる。つまり、アーティストという心性から(少しは)解放されたうえで、表現に向かえるようになる。この鍛錬は、おそらく多くやってきたと思う。

書いていて自覚する。私はいま揺れている。批評を求める心性とアーティストであることすら脱ぎ捨てる心性のなかで、何を心底表現できるだろうかと。おそらくこの揺れの構図は、今回語り合った皆さんにおいて、パターンやディテールは違えど、存在しているのではないか。生活という半島の岬に立ち、海に向かってどんな表現を投棄できるのか。この問いをこれからも一緒に考えさせてくれるのなら、とても嬉しい。

(※このテキストは、『フェスティバル / トーキョー20 アーティスト・ピット ドキュメント』に寄稿したものを転載させていただいます。)

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