アサダワタル(文化活動家)

「表現(アート)」で社会をより緩く、面白く、生きやすくしたいと走りながら思索。近著に『…

アサダワタル(文化活動家)

「表現(アート)」で社会をより緩く、面白く、生きやすくしたいと走りながら思索。近著に『住み開き増補版』(筑摩書房)、『ホカツと家族』(平凡社)、『想起の音楽』(水曜社)、CDに『福島ソングスケイプ』(GrannyRideto)等。博士(学術)。近畿大学文芸学部教員。

最近の記事

「水辺」を求めて三千里

時間の過ぎる速度が日に日に上がっている。ただただ目の前に来る仕事や子育てに追われる中で、じっくり考えて表現する時間にまで「効率化していかな!」というモードになっていることをどう考えるか。実際に、判断を早くしたり、判断するための思考の材料を日々整えたりすることは大事だと思う。でも、それをやりすぎると常に前のめりになって、他人に厳しくなったり、自分を追い込みすぎたりする。でも、それでもどこかで「まだやれる」と思っている。そう自覚しながらも、やはりそれでも「まだやれる」と思い続ける

    • なかったんじゃなくて、あったかもしれないけど、潜ってこなかったんだ

      過去にあったことを対象化しながらも、そのことを「終わったこと」として扱うことと、その過去と関わり続けながらもうまく付き合えるようになることとは違う。うまく付き合うというのは、「回復し続ける」というプロセスであり、永遠に現在進行形なのかもしれない。だから、時に過去は目の前に忍び寄って、怒りや怖れの対象になる。他人から見ると、「なんでまだ怒っているの?もう昔のことじゃん」と思ったとしても、その対峙のリアリティは計り知れない。そこに対話の距離は生まれる。「私には君の気持ちがわからな

      • それは「花の水やり」のようにそっと「やってくる」

        福島県いわき市でやってきた音楽プロジェクトが映画化された。県営の復興公営住宅である下神白(しもかじろ)団地の住民たちと、かつて住んでいたまち(富岡町や大熊町、浪江町や双葉町など)の記憶を当時の馴染み深い音楽を手かがりに語り合う「ラジオ番組」を創作してきた。「ラジオ 下神白 ーあのとき あのまちの音楽から いまここへ」というプロジェクトだ。一緒にプロジェクトメンバーとして活動してきた映像作家の小森はるかさんが、同名のタイトルで映画化した。いま各地を上映中だ。 自主上映会や映画

        • ブルシットなコミュニケーションの型

          人と付き合うことが年々苦手になってきている自分がいる。その一方で、人と程良く付き合うことが得意になってきている自分もいる。これは一体、両立している話なのか。 コミュニケーションのためのコミュニケーション、こういう風にふるまうととりあえずこの場は上手く進むだろうという語り方・モードみたいなものが発動しているときに、「自分はいま上手くやっているなぁ」という自覚があるのだけど、そういうときはどっちかと言うと「何をやってるんだろう?」という気持ちになる。決して、嘘を言ってるわけでも

        「水辺」を求めて三千里

          変化の兆しのその瞬間/ずっと気になってきたこと

          誰かにとって生きやすく、暮らしやすくなることが、できるだけ多くの人にとっても生きやすく、暮らしやすくなることにつながればいいと思う。でも、現実はそうなっていないかもしれない。たとえば「昭和」という言葉に込められた憧れと嫌悪の落差。ある人は「昔は許されたのに!」と愚痴るし、別のある人は「あの習慣なくなってくれてほんと良かった。何が昭和やねん!」と。マジョリティに置かれている人にとっての当たり前が、マイノリティとされる人にとってはパーフェクトに差別であったり、ハラスメントであった

          変化の兆しのその瞬間/ずっと気になってきたこと

          言葉を半拍ずらす

          人に何かを伝えたい、知っていることを語りたいって気持ちがどうしても出たときの感覚。ドラムを長らくやってきている身体感覚で例えるとそれは、「走ってしまうリズム」とどこか似ている。そう、走ってしまうんだよなぁ。 僕は高校のときにドラムを始め、大学2年までキックペダルの「ダブル」に苦戦した。「ドドッ」と2回連続で打つんだけど、最初の一打がどうしても1/4拍ほど早くなって、つんのめりになってしまうのだ。この癖を治すのに随分苦労した。「気持ち半拍ずらして打とう」と思ってちょうどいい塩

          知るとか、言葉にするとか、伝わるとか。

          いまこうして世界各地で起きていることを知れるような気がして。でも、結局何を持って「知った」ことになるんだろうと途方に暮れるほど、情報が溢れかえっていて。そのように情報が「ある」とあたかも「知っている」ように思いこんでいること自体が間違いなのかもしれないと、ふと考える。 自分のささやかな日常の、ほんの目の前にある大切な人や出来事。一方でそれらを日々愛でながら、他方でそれらを囲い込みすぎずに誰かに対する配慮や想像力、つまり「別のあり方」をも認めることを大切にすべく自らの日常を相

          知るとか、言葉にするとか、伝わるとか。

          もっと「そもそも」の話を

          深く関わってきた人たちの間で重大なハラスメントがあったことが一昨年11月に報じられてから2年が経ちました。本件についての背景は、当時のメディア記事や、被害者を支える人たちが運営するウェブサイトなどを参照いただきたいですが、この間も、関係者に話を聞いたり、裁判を傍聴したりしながら、自分なりに近しい現場で見てきたこと、感じてきたことを、近々記事にまとめようと思います。 様々な職場での重大なハラスメント事案がニュースになり、声を上げた被害者たちの想像を超える、比喩ではなく文字通り

          もっと「そもそも」の話を

          音楽は〇〇でもありえる ー音大で授業して考えたことー

          例年、音楽大学で作曲や演奏を学ぶ学生さんたちにゲスト講師をしている。具体的には東京音楽大学と大阪音楽大学だ。京都精華大で非常勤講師をしていたときは所属学部がポピュラーカルチャー学部というところだったけど、そこでも音楽コースを専攻している学生さんが多く、「音楽表現×生活世界」みたいなことを、いろいろ話したり、時にワークショップしたりしてきた。 それで、ちょうど数日前に、東京音楽大学の「音楽文化教育の最前線」というゲストレクチャーシリーズに招待してもらって、「社会を知るのではな

          音楽は〇〇でもありえる ー音大で授業して考えたことー

          「懐かしさ」についての覚え書き/『共創のコラボレーション』(UTCP)より

          東京大学 共生のための国際哲学研究センター(UTCP)が取り組んできた「デザイン×哲学対話」を集積をまとめた書籍『共創のためのコラボレーション』。アサダも主宰の梶谷真司先生と共に、2018年に駒場キャンパスにて「音楽×想起によりコミュニケーションデザイン」をテーマに語り合いました。その後、今回の書籍に「自由な内容で寄稿を!」と言われ、「懐かしさとメディア」の関係について軽めのエッセイ(同誌pp8-9)を書きましたので、以下ぜひ読んでみてください。 ↓↓ 「懐かしさ」につい

          「懐かしさ」についての覚え書き/『共創のコラボレーション』(UTCP)より

          それを君から教えてもらった

          自分の人生は変化過多の方かもしれないって思う反面、案外、変わっていないこともちゃんとあるんだなって思うことがある。過去を振り返ると、なんかいたたまれなくなることもあるし、でも、やっぱり大切なことも多くあったんだなって思うこともあって、うーん、結局何が言いたいのだろう・・・?! 先週、20年ほど前に、ライブで共演してきた京都在住のミュージシャンであり、謎の表現者 「マイアミ」こと、吉野正哲さんたちご家族やお仲間が暮らす壬生のシェアハウスに遊びに行った。20歳くらいの頃、本格的

          それを君から教えてもらった

          夏の終わり

          先週末まで約一ヶ月、新潟県妙高市で過ごした。単身生活(3年間東京、今年からは大阪)も四年目。妻と娘2人は実家があるこの妙高市に生活のベースを置き、僕が新幹線や特急を乗り継いで行き来してきた。今年から大学の専任教員になったこともあり、夏休みのタイミングで新潟にがっつり居られるかも? そう思って、イベント出演やワークショップなど現場仕事をがっと7月に詰め込みとんでもない移動の日々となったけど、その分、8月はずっと家族と一緒に過ごすことができた。 改めて妙高市の環境はとても良いと

          ルーズプレイスが必要なのだ

          (本文は、2022年7月11日に全国の書店やAmazonなどで出版された書籍『へそ ── 社会彫刻家基金による「社会」を彫刻する人のガイドブック』(MOTION GALLERY編)に書いた寄稿文「ルーズプレイスが必要なのだ」(pp188-193)より転載します。本書で取り上げらているケアとアートのスペース事例 ボーダレスアートスペースHAP(広島)に応答する形で書かれたものですが、文脈がなくても独立して読める内容として書きました。以下、どうぞ拝読願います。) 寄稿 「ルーズ

          ルーズプレイスが必要なのだ

          キツいけど、考えることはやめない。

          秋田に二日間行ってきた。初日のフライトで秋田空港に着陸するときに電波が届いて、最初に目に飛び込んだのが、安倍晋三元総理銃撃の一報。そして現地のアートセンターで一仕事終えた夕方、そこのスタッフたちから「亡くなったそうです」と。そのまま周辺の千秋公園のお堀をぐるぐる回りながら、なんとも言えない気分になった。 個人がその人にしかわからないような、他者にはなかなか理解されにくいような生育背景、当事者性、そこから生じる社会に対する問題意識。これらを抱えるとき、それでもその問いを他者に

          キツいけど、考えることはやめない。

          土地の選択、家族の行方

          今週末は新潟は妙高市の家族のもとへ。東京ー新潟、そして大阪ー新潟を合わせて、この二拠点生活は4年目に突入した。子育て、教育、高齢化する親の問題、土地との関係など、悩むことをあげればキリがないけど、なんとかやってます。 家族生活ってついつい他の誰かと比べてしまう。誰々ちゃんの家族はどこどこでこんな形で生活しているとか、友人の何某は最近どこどこに移住してこんな家族生活を営んでいるとか。「家族なんて、何一つ、同じ形なんて、ないのに!」。何度もそう自分たちに言い聞かせてきたけど、や

          土地の選択、家族の行方

          誰かの「こだわり」を評価せずそのまま近づく

          週末は移動ばかりしている。二週間に一度新潟の家族のもとへ、それ以外の週末は全国各地の現場へ。30代半ば以降は東京や神奈川など関東圏、福島など東北圏の仕事がほとんどで、久方ぶりに大阪に戻ったのでまぁ遠い! でも、現場に行けばなんというのかな、くさい言い方だけどやっぱりやってきたなりにつながりや絆を感じる。各地に大切な仲間たちがいて、アートや福祉、まちづくりや教育など色々寄って立つ場所が違っても、目の前に存在する「人」とその人が営む「日常」に敬意を払い大切にしようという姿勢は共通

          誰かの「こだわり」を評価せずそのまま近づく