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時代を思い出す最初の扉が歌であればいい

Pitchfork、Billboard、J-WAVEの歴代チャートを参考に自らの記憶を手繰り寄せ、この30年余りを振り返ってみると、音楽が思い出とともに脳裏に刻まれていることに気づく。1989年から2019年まで一年に一曲ずつ選んでみたら、結局すべて洋楽になった。

平成元年(1989年)
Prince『Batdance』
映画『バットマン』が公開され、プリンスが歌う『Batdance』のプロモーションビデオをレンタルビデオ店で何度も見た。当時小学2年の自分は、取り憑かれたようにバットマンに夢中だった。
実家に帰ってテレビでクリストファー・ノーラン監督『ダークナイト』を見ていたら、母親がこんな話をしてくれた。
「子どもの頃のあんた、バットマンになるって言って聞かなかったわよ。まあ、おもしろかったけど」

平成2年(1990年)
MC Hammer『U Can't Touch This』

この数年、日本で流行った踊りといえば、DA PUMP『U.S.A.』と星野源『恋』だろう。1990年はなんといってもMCハマーだった。『U Can't Touch This』で踊るMCハマーをだれもが真似した。
いろんな考えがあっていいと思うけど、恋ダンスよりもMCハマーのダンスが流行していた時代のほうが、いくらかクールだと感じる。少なくとも自分は、恋ダンスには関心も興味もまったく持てなかった。

平成3年(1991年)
Nirvana『Smells Like Teen Spirit』

ネットが一般に普及していない当時、海外の音楽が日本に入って来るにはタイムラグがあった。横須賀に住み、米軍基地に出入りしていた自分はその例外だった。基地の中で常に最新の洋楽に触れていた。
あるとき、基地の敷地内で暮らすアメリカ人の少年が「Do you know Nirvana ?」と聞いてきた。こちらが首を横に振ると、彼が家に招いてくれた。そこでかけてくれた曲が『Smells Like Teen Spirit』だった。

平成4年(1992年)
Radiohead『Creep』

大して英語ができないのに、米軍基地によく顔を出すようになった。基地の入口に立っている衛兵に「ハロー!」と声をかければ、笑顔で通してくれた。当時はとても平和で牧歌的な時代だった。
相変わらずだれもがニルヴァーナに夢中だったけど、別の曲が流行っていることに気づいた。基地にあるレコードショップに入ると、気だるいロックが流れていた。これが『Creep』との最初の出会いだった。

平成5年(1993年)
Sting『Shape Of My Heart』

1990年代、最も人気のある映画監督といえば、リュック・ベッソンだった。レンタルビデオ店でサブウェイ、グラン・ブルー、ニキータを借りて見て、自分もすっかりファンになった。
1995年に日本で『レオン』が公開され、エンディングで『Shape Of My Heart』が流れた。1993年当時、この曲が収録されたアルバムを聴いていたはずなのに、その良さに気づいたのは映画を見たあとだった。

平成6年(1994年)
Primal Scream『Rocks』

洋楽を聴くようになって3年。米軍基地では音楽の知識だけでなく、女の子と打ち解けるワザも身につけ、ませたガキになっていた。かわいい女の子にあげるカセットによく収録したのが『Rocks』だった。
プライマルが一番勢いに乗っていた時代。ボビー・ギレスビーのインタビューが載った雑誌を見つけると、小遣いをはたいて買った。その延長で洋雑誌のi-Dを買うようになり、写真とデザインに興味を持った。

平成7年(1995年)
Oasis『Wonderwall』

音楽好きの間では、オアシスとブラーのどちらが好きかで趣味性を競い合う二分法が流行していた。だが実際は、趣味性ではなく人間性の二分法だった。オアシス好きは穏健なリスナーで、ブラー好きは偏屈なオタクだった。
ブラー好きは今でいう意識高い系の走りみたいな連中だった。オシャレだけど、教養がない。カッコつけるけど、口先だけ。急進派だけど、腰抜け。でも、そんな彼らも『Wonderwall』の良さは認めていた。

平成8年(1996年)
Jamiroquai『Virtual Insanity』

カート・コバーンが亡くなって2年。グランジロックが勢いを失ったことは、火を見るよりも明らかだった。気づけば、自分もロックよりヒップホップを聴くようになっていた。
ジェイソン・ケイが踊りながら登場するソニーのテレビCMは、新しい時代の到来を告げていた。バックで流れる『Virtual Insanity』こそ、最先端の音楽なのだと。お年玉でMDプレーヤーを買ったのは言うまでもない。

平成9年(1997年)
Janet Jackson『Got ’Til It’s Gone』

東京に引っ越してきて、海も山もなく、空も狭い場所に息が詰まった。学校に行ってもセンスのあるヤツがひとりもいない。かわいい女の子もいない。ひとりで音楽を聴いて本を読んでいるほうがマシだった。
A Tribe Called Quest『The Low End Theory』を聴いて以来、すっかりジャジーラップのサウンドに魅了され、Q-Tipが客演する曲はすべてチェックした。90年代では『Got ’Til It’s Gone』がベスト・オブ・ベスト。

平成10年(1998年)
Marilyn Manson『Rock Is Dead』

この曲が出た頃、すでにロックはレームダック状態だった。クラブから出てきたアーティストたちが徐々にチャートを席巻し、アンダーワールドやケミカル・ブラザーズを聴くのが最先端のファッションになった。
1999年に公開された映画『マトリックス』が一大ブームとなり、サントラに収録された『Rock Is Dead』が流行った。ロックもマリマンも時代から取り残される一方だけど、この曲を聴いたときの衝撃は色褪せない。

平成11年(1999年)
The Chemical Brothers『Let Forever Be』

相変わらずオルタナティブ・ロックが好きだった一方で、クラブ・ミュージックのレコードを買う枚数がだいぶ多くなっていた。いまでは高価になってしまったケミカルのアナログも、当時は1500円あれば買えた。
この曲のMVを撮ったミシェル・ゴンドリーに、スパイク・ジョーンズ、クリス・カニンガムを加えた3人は、当時MV監督のビッグスリーだった。後に3人のDVDボックスセットが出るほど、絶大な人気を誇っていた。

平成12年(2000年)
Fatboy Slim『Weapon Of Choice』

ノストラダムスの大予言が当たるか否か散々議論された挙句、結局何も起こらず迎えた21世紀最初の年。日本ではヴィジュアル系ロックが台頭する一方で、自分はそのブームにまったくついていけなかった。
高校でダサい連中に囲まれて学校生活を送るのがほんとうに苦痛に思えた。クリスファー・ウォーケンが踊りまくる『Weapon Of Choice』のMVを見ながら、ダサい連中と縁が切れる日を待ちわびた。

平成13年(2001年)
Herbert『The Audience』

この頃になると、クラブ・ミュージックとヒップホップばかり聴くようになり、ロックにはほとんど見向きもしなくなっていた。2001年春にデザインの専門学校に入り、ダサい連中とおさらばできたことを喜んだ。
学校が中目黒にあったから帰りに必ず渋谷に寄り、毎日レコード屋に通った。12インチの新譜をチェックしているときに出会ったのが、クラブ・ミュージック史上最高の名曲『The Audience』だった。

平成14年(2002年)
Norah Jones『Don't Know Why』

前年にアメリカで同時多発テロが起き、時代が不穏な空気に包まれたと感じた。なんであんなテロが起きてしまったのか。2001年9月11日以降、さまざまな検証が試みられたが、結局のところ理由は判然としない。
テロが起きた翌2002年、ノラ・ジョーンズが『Don't Know Why』(なぜかはわからない)と優しく歌う曲が大ヒットした。いま思えば、攻撃されたアメリカ人の気分を代弁していたのかもしれない。

平成15年(2003年)
Britney Spears『Toxic』

2003年発売のアルバムに収録され、2004年に世界で5番目に売れたシングルとなった。この曲のサビでブリトニーは「Don't you know that you're toxic ?」(わからないの?自分が毒だって)と歌う。
ブリトニーはドラッグに溺れる自分のことを歌っていただけだと思うけど、2003年のイラク侵攻が失敗に終わったとわかった2004年、同じ質問をアメリカにぶつけたいと考えるひとは少なくなかったはず。

平成16年(2004年)
Bjork『Oceania』

イラク情勢の混乱が深まる2004年、平和の祭典といわれるオリンピックが108年ぶりにアテネに還ってきた。オリンピック生誕の地で開かれた、21世紀最初の大会だった。
自宅で開会式の生中継を見ていると、ビョークが登場して興奮した。ギリシア神話のような歌詞が美しい『Oceania』を歌うビョークは、反戦思想やイデオロギーをかざすことなく、音楽の美しさだけで平和を象徴した。

平成17年(2005年)
Gorillaz『Feel Good Inc.』

ブラーのデーモン・アルバーンが始めたゴリラズは、初音ミクやVチューバーが登場する何年も前に、バーチャルなキャラクターがバンドで演奏するという演出で登場し、『Feel Good Inc.』で人気を不動のものとした。
Vチューバーがすごい!なんて騒ぐ日本人って、ほんとうに野暮だと思う。ゴリラズを知っていれば、それの何が凄いの?ってくらいの話だから。しかも日本の場合は、ただの萌え系キャラで盛り上がる始末。アホくさ。

平成18年(2006年)
Jack Johnson『Upside Down』

2005年にサーフィン映画『スプラウト』が公開され、日本でサーフ・ミュージックが注目を浴びた。レイ・バービー、ドノヴァン・フランケンレイター、トリスタン・プリティマン……。
子どもの頃からサーフィンが好きだったため、すっかりサーフ・ミュージックに魅了された。社会人になってサーフィンする時間なんてなかったから、『Upside Down』を聴きながら波に乗る自分を想像した。

平成19年(2007年)
Ne-Yo『Because Of You』

この頃は店でもラジオでも、メロウなソウルナンバーがたくさんかかっていた。当時J-WAVEでオンエアされまくっていたのが『Because Of You』だった。実際、TOKIO HOT 100の年間チャートで1位だった。
曲自体にはこれといって思い入れがないけど、この頃からメロウな曲を集めてプレイリストを作るようになった。スポティファイもアップルミュージックもなかったから、CD-Rに焼くだけだったが。

平成20年(2008年)
Q-Tip ft. D'angelo『Believe』

ATCQが解散して以降、Q-Tipのソロ作品はプロジェクトが立ち上がっては消えていった。レコード屋でブートレグを探す以外に聴く手段がなかったけど、この頃からようやっと正規で音源が手に入るようになった。
アルバムを聴くと、『Voodoo』リリース以降まったく音沙汰がなかったディアンジェロが突然出てきた。しかもQ-Tipと一緒に!ヒップホップが好きな自分にとっては、盆と正月が一緒に来たようなものだった。

平成21年(2009年)
The XX『Islands』

この頃は仕事があまりに忙しくて、最新の音楽をチェックする時間がなかった。レコードを買うのをやめ、たまに時間ができても、渋谷のタワレコで音源をチェックしてiTunesでダウンロードするくらいだった。
ある日、洋楽ロックのフロアに行くと『Islands』が流れていた。EBTGみたいだなと思ってアルバムを試聴したところ、文句なしの名盤だった。2016年12月6日に豊洲PITで見たライブはいまも鮮明に覚えている。

平成22年(2010年)
Corinne Bailey Rae『I'd Do It All Again』

コリーヌが2006年に出したファーストアルバムは何度聴いても美しい。セカンドが出た後に行われた来日公演を見に行った。コリーヌがステージに現れると、会場の渋谷AXは興奮のるつぼに沸き返った。
パートーナーを亡くして作られた『I'd Do It All Again』は、ギターのアルペジオが美しいラブソング。『You got my heart and my heads lost, ooh』(あなたは私の心と頭を奪った)と歌うコリーヌの姿が忘れられない。

平成23年(2011年)
Boy『Little Numbers』

東日本大震災が起き、すっかり暗い時代に突入してしまった。政治も経済も社会も一向に好転しないまま、ただただ重苦しい空気が立ち込めた。この頃からアイドルとマイルドヤンキーがカルチャーを支配するようになった。
日本のカルチャーに絶望していた2011年の夏、『Little Numbers』を何度も聴いた。2013年の来日公演は音楽好きの女友達と一緒に見に行った。お互い忙しくてそれ以来会えていないけど、元気にしているかな。

平成24年(2012年)
Tennis『Origins』

オルタナロックをほとんど耳にしていなかったとき、Youtubeで偶然見つけたのがテニス。久しぶりに胸踊る曲だった。MVが1990年代の短編映画みたいで、いま見ても新鮮に映る。
2014年9月、長めの休みをとってニューヨークへ旅行に出かけた。METでオペラを見てMOMAでアートを堪能してから、イーストビレッジにあるウェブスターホールでテニスのライブを見たのがいい思い出。

平成25年(2013年)
Robert Glasper Experiment『I Stand Alone』

中学生の頃からヒップホップを聴き始め、アナログレコードを買い漁った。当然、元ネタを探して、ファンクやソウル、そしてジャズのレコードも買った。おかげでいまではかなりジャズに詳しい。
クラブジャズのムーブメントが落ち着き、ジャズシーンが停滞していた頃、グラスパーが『Black Radio』を出してシーンが一変した。翌年に発表された『I Stand Alone』は、ジャズの進化を最も象徴する曲になった。

平成26年(2014年)
Ed Sheeran『Thinking Out Loud』

オアシスが解散して5年が経ち、ロックが音楽チャートから姿を消した。無論、一部のバンドは頑張っているけど、ロックがクールと思われていないことは間違いない。実際、バンドマンよりDJやラッパーのほうがモテる。
当時仕事で音楽チケットの販促を担当していた。エド・シーランを見てほしくて来日公演の宣伝を頑張ったけど、それほど売れなかった。会場はリキッドルーム。小さいステージで熱唱する姿を見られたことは一生の思い出。

平成27年(2015年)
Oh Wonder『Without You』

仕事に飽きて後先を考えずに会社を辞め、フリーランスで働くようになった。音楽を聴く時間がちゃんと確保できるようになり、アップルミュージックを利用して片っ端から世界の音楽をチェックしていった。
演歌とアイドル以外ならなんでも聴くようになっていたが、相変わらずオルタナロックが好きで、そんなときに見つけたのが『Without You』。何回聴いても切ない気持ちになるこの感じと来たら!

平成28年(2016年)
Anderson .Paak『Am I Wrong』

オッドフューチャーやブレインフィーダーといったレーベルが台頭するとともに、ケンドリック・ラマーやフランク・オーシャン、ブラッド・オレンジが活躍し、音楽の世界が少しずつ変わり始めた。
そんな頃に出会ったのがアンダーソン・パークだった。2016年9月に初来日公演が行われ、渋谷WWW Xまで見に行った。ライブがヤバすぎて、観客たちは興奮しきりだった。最高のライブを見られれば、十分ハイになれる。

平成29年(2017年)
Tove Lo『Disco Tits』

「セックス、ドラッグ、ロックンロール」なんてもはや死語。現代は「セックス、ドラッグ、ダンス・ミュージック」の時代。ハイになってセックスするトーブ・ローの曲を聴くと、つくづくそう思う。
自分はクスリをやったことがないから、ハイになってセックスしたことはないけど、ピエール瀧はどうだったのだろうか。十数年前、目黒川沿いで花見に興じる瀧がラリって大騒ぎしているのを見かけた。逮捕が遅すぎる。

平成30年(2018年)
Masego ft. Fkj『Tadow』

去年、Youtubeで最も見たMVが『Tadow』。あらゆる楽器をひとりでこなすマセゴとFKJがあまりにカッコよくて、こんな音楽の可能性がまだ残されていたのか!と刺激を受けた。
この数年、EDMブームが下火になった反面、トム・ミッシュやサンダーキャットをはじめとした、メロウなサウンドのフォロワーが増えている。激しく踊れる音楽ではなく、物腰のやわらかい音楽が最先端なのかもしれない。

平成31年(2019年)
Marshmello ft. Chvrches『Here With Me』

カルヴィン・ハリスが2017年に『Funk Wav Bounces:Vol.1』をリリースして以降、DJたちがストレートなEDMサウンドを追求しなくなった。ZEDDのサウンドも明らかにハウスに寄ってきている。
翻って、マシュメロはいまだにストレートで勝負している。しかも、それが最高にカッコいい。『Here With Me』は、マシュメロとチャーチズのサウンドに漂う浮遊感がマッチしていてマジで名曲。

Playback The Heisei 1989-2019
以上31曲をまとめたプレイリストがこちら。なお、記事のタイトルは作詞家の阿久悠が残した言葉から引用した。標題のイラストはニルヴァーナの名盤から起こした。
(文中敬称略)

(標題イラストはタナカ基地による作品)

タナカ基地(Tanaca Kichi)
イラストレーター。1994年生まれ。セツ・モードセミナー卒業。最近はどれだけ手抜きで美味しいお弁当を作れるか研究中。初仕事は週刊朝日ムック『医学部に入る 2018』(朝日新聞出版)。
Instagram@tanaca202


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編集者。1982年生まれ。思いつきでたまに書きます。